BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画とは他人である-220104。

2021年に観た映画をまとめるなかで、それぞれの作品の監督名を確認していた時に、「わたしは1年間でこんなにたくさんの監督が手がけた映画を観てたのか」と、今ならながら、つくづく思った。特定の映画監督に興味を持って、その監督の作品ばっかり何日も続けて観た期間もあったが、たいていは日によって違う監督の作品を気のおもむくまま選んで観てたので、数えてはいないけど1年間でどう少なくみても百人以上の監督の作品には触れてたと思う。しかも、当たり前のことだけど、その監督たちは全員、わたしにとっては赤の他人で、直接会ったことも話したこともない人なわけで。しかも監督だけじゃなく製作にかかわった人たち全員のことを考えると、Aという映画とBという映画が、誰一人欠けることなくまったく同じメンバーで作られる、なんてこと、あるはずもなく、もし仮にそういうことがあったとしても、ひとりの製作スタッフが映画Aを作った時と映画Bを作った時とでまったく同じコンディション、メンタリティなわけがないことを考えれば、どういう意味においても映画って、ほんとうに全部、ひとつひとつ、違うのだ。映画を1本観ることは、まったく知らなかった人と初めて顔を合わせて2時間語らう時間を持つことと、似たようなものじゃないかな。どう考えても、映画は他人なのだ。思ったんだけど、だったら、その彼ら、他人が作った映画に、2時間ずっと完璧な満足を提供してもらうことなんか、期待する方がおかしい。作った人は他人なんだから。言葉も歳も暮らしてる環境もなにもかも違うんだから。だからやっぱりその映画が完璧だったかとか、完成度がどうだとか、うまくなかったところを探すこととかよりも(批判は批判で、大切な作業だが。)、2時間のうちほんの一瞬でも良いから、眼を奪われるほど美しいシーンとか胸を打つセリフとかがあったら、それだけでも素晴らしいことだ、というつもりで、楽に、映画を楽しめば良いんだと思う。でも、そんななかでも本当にごくごくときたま、「今日、この映画を観ることができたから、今まで生きてきたことは正解だった」と思うくらいの映画に出会えることがあるし、しかも意外にしばしば、やっぱりこの監督が手がける映画はこういうところがあってそこが好きだからこれからも新しい作品が出たら絶対に観たいなあとか、期待を寄せずにはいられないことがあって、それは、わたしが思っているよりもはるかにもっと、幸福なことなんだと思う。普通に、人と人とのつきあいでもやっぱり、この人とだけは何があっても一生関わっていくだろうと思うくらい、深いつながりが持てる相手なんて、一生にひとりでも、出会えればラッキーくらいのものなのだから。