BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

240229。

きのう、銭湯の脱衣所で着替えてたら、知らない母子(50歳代くらい?のお母さんと20代後半から30代くらいのお嬢さん)がいて、彼女たちも着替えをしてて、お母さんが、さっき自分で、バッグの上に濡れたタオルを置いたのに、お嬢さんが置いたものと勘違いしたらしく、なんでこんなところに濡れたタオルを置いたのよ! と怒った。お嬢さんは、私が置いたんじゃない、お母さんが自分で置いてた、と言い返し、文字通りの濡れ衣をきせられたことに、不服そうな顔をした。お母さんはそれを聞いて、ここにタオルを置いたのは自分だったということを思い出したようで「あ、そうだった、そうだった。ごめんごめん」とちゃんと謝っていた。

それをみて、良い親子関係だなーとおもい、ほんのちょっとだが、うらやましくなった。わたしの親は、自分が悪くてもわたしには絶対に謝ってなんかくれなかったし、間違いとか思い違いを指摘なんかしようものなら逆ギレ必至で、3時間くらい平気で立ち通しで怒鳴られた。弟や兄なら、親に落ち度があれば、言えばごめんねと謝ってもらえるし、逆ギレもされないのに、わたしだけがそうならなかった。そうなると、もう、何もかも、言っても無駄なんだ、と思ってしまい、わたしも早い段階から何も言わなくなり、そうやってだんまりを決め込むわたしのことが一層きにいらなかったのか、それとも黙り込むわたしを見ていると暗に責められているような気になってイライラしたのか、わからないが、結局、家においては、黙っていても、主張しても、わたしにとって良いことはひとつもなく、怒鳴られる時は怒鳴られた。そこに「こうしていれば怒鳴られない」「こういう時は怒鳴られる」みたいな法則性は、まるでなかった。いずれにせよ親がわたしに謝ってくれることはなかった。逆ギレするのをやめてくれることはなかった。謝らないのはよくないなーと、親も頭ではわかっていたのかもしれないけど、わかっていても改めることができなかった、のかもしれない。わたしを怒鳴ったり無視したり自分がしたことを忘れてわたしになすりつけてわたしを責めて気づかないふりをしてたほうが、自分自身のよくないところと向き合って改める、みたいな努力をするよりも、ラクだったのだろう。わたしの親も厳しい親に育てられたようだし。ともかく、そういうことだけが理由じゃないんだけど、わたしと親との間の会話は、どんどん激減し、わたしが家を出たころには、本当に、ほんのひとことの会話もなくなっていた。何年も口をきいてなかった。家の中ですれちがうと、親は聞こえよがしに舌打ちをした。わたしは本当に本当にずっと早いうちから、抵抗しようとか反発しようとか主張しようとかいったようなことを考えることをやめてしまってた。言ってもどうせ聞いてもらえない、信じてもらえないと、学んでしまった。

 

銭湯の母子をみてて、親がこどもに謝ってくれるのって、良いなあとおもった。「フェア」「対等」ってかんじだ。