BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

無題-200603。

「虐待しないだけありがたく思え」
と母に言われたことがある。
これは非常にショックだった。

わたしはいつも、
過去の 母のわたしへの関わり方については
「わたしはあれを虐待とは認識しない」
というふうに考えているが、
その一方で、
母との関わりのことについて
考える時たいてい、
この「虐待しないだけありがたく思え」
という発言が 強烈におもいだされ、
「ウーーーーン」
って感じになる。
 

虐待と認識するかしないか
とかそういう話というよりは
「虐待しないだけありがたく思え」
とは 子どもに向かって何という言い草だ!
言って良いことと悪いことがあるぞ!
という方面に 近い話の気がする。

わたしは それを言われた時
なんてひどいことを言うのだ、とも
言って良いことと悪いことがあると思うよ、とも
傷付いたよ、とも
いっさい何も言い返さなかった。
ショックだったけれども
何がどういう風にショックかとっさにはわからなかったし
わたしがもし「ショックだよ、それは」と
泣いて訴えたとしても
「母がハッと我に返ったような表情を浮かべ
 『ごめんなさい』と気まずそうに謝り
 『謝ってくれたからもう良いよ』とわたしが赦し
 ふたりで抱き合って泣く」
とかいったような 安いドラマや小説にでもあるような
(ないか・・・) そんな確変的な展開など 
言うまでもないことだが現実にはありえないものだ。
絶対に起こりえなかった。
少なくともわたしと母の間では。
あの人は子どもに謝るということをしなかった。

でも、傷付いたなら傷付いた、
ショックならショックと
言っても別に良かったのかもしれない。
わたしは怖かったから言えなかった。
怖くて言えない、それが日常だった。
言えば良かったという激しい後悔が今もあるとは思う。

何が怖かったのだろうな。
今思えばだけど、本当の気持ちを言うと、
決定的に壊れてしまう、という感じがあった。
この母親のケースで 考えれば
わたしが 何か 自分の本心に近いことを言おうものなら
それへの母のリアクションしだいで
すごく都合の悪い真実の確認ができてしまうのではないかと
それを恐れた。
「この人は『本当に』わたしという子どもが嫌いなのだな」
「この人は『本当に』虐待しないだけ感謝して欲しいものだ
 と考えているのだな」
「この人は、3人の子どものなかでわたしのことだけ
 このように明確に酷薄に扱うことについて、
 それが正当だと『本当に』考えているのだな」
要するにそんな感じだろう。
わたしは それが真実だと確認したくなかったのだ。
バカだなあ。

母に言われたことされたことのほとんどは
もう今となっては 
なんかすごくヤなことをしょっちゅういわれたよな、
ヤなこと怖いことされたよな、って感じになっており
細かいところまでは、覚えていない。
先に述べた 虐待しないだけ・・・のように、
一部、よく覚えているものもあるが、
だいたいは記憶があいまいだ。
別の時に起こった2つのことを統合して覚えていたり、
自分で記憶を作ったりも、しているのだろう。

で、
その なんとなくヤなことや、
なんとなく今もスッキリとは癒えないらしい
傷のような穴ぼこのような ものを
わたしは全部まとめて雑に覆い隠している。
「でもしようがなかったんだろうな」
「親には親の事情があったんだもんな」
そんな 考えによって。

でも、あんまり覆い隠せてはいない。
穴ぼこのようなものの存在を意識せずにすむ日は少ない。
どうやら非常に重要なことらしいとは理解してる。
でもうまい考え方、ほぐし方がよくわからない。
このようなものを大人になっても心に抱えている自分を恥じている。
二度とやり直せない。

幼稚と言うんだろうな、人はわたしを。
3歳まで立てなかったのを あちこちの病院を
駆けまわって治そうとして捨てないで育ててもらい、
なんだかんだ言って大学教育まで受けさせてもらい、
お金のかかる音楽をやらせてもらい、
寝る場所と食べ物と着るものとお風呂と
生理用ナプキンを与えてもらったのではなかったか。
いつも付けている十字架のネックレスは誰が買ってくれたのか。
そこまでしてもらって今の命があるくせに
不満があるとか、赤ちゃんか。

そう言うのだろう、人はわたしを。
わたしはわたしにそう言う。

ラクになることはできない。
ラクになることを望んでいないのかもしれない。
自分を恥じている。

なんかよくわからねえな
なんか消えたいな
わたしは汚物も同然だな
しばしばそう思いながら毎日を生きている。

 

わたしにも悪い所があったのだ。
母は人に頼れない性格でもあったし
いろいろと大変だったろうから、同性であるわたしに
ストレスをぶつけてしまったのだろう。
祖母も厳格な人だったからな。
母はわたしに愛情を感じてなかったわけじゃないのだろうが、
愛情を愛情として表現することが苦痛だったのだろう。
娘なのに、同じ女である母の苦しみをわたしが理解せず、
それどころか母を裏切って自尊心を踏みつけにした父の方と
むしろ仲が良く、父と容貌も性格も似ているようだから、
わたしを見ていると父を思い出してつらかったのだろう。
わたしが、娘としてお母さんを助けるわ! という感じの
賢い子どもじゃなく、鈍感で虚弱で使えなかったから、
母はイライラして、孤独だったのだろう。
期待はずれだったのだろう。

・・・

そうなんだろう。そうではないのだろう。
そうだが そうじゃない部分もあるのだろう。

なのに、だけど、それゆえに、
わたしは自分の母親が怖かった。

怖かったために何も言い返せず、
本心を言わなかった。
恐れることなく本心を言いたかった。
どうせ言ってもわかってもらえないと思って
嘘をつくのではなく、
きっとお母さんならわかってくれると信じて
本当のことをいって叱られたかった。

わたしはもう絶対に あの人とは関われない。

いつからかお互いに顔を見るのもいやになった。

誰にもわかってはもらえないと思う。

愛情だったと本人は言いたいのだろう。
それこそ死に物狂いで 精一杯やったに違いない。
虐待しないだけで、精一杯だったのだろう。
だが、あの人がわたしへの愛情であると
主張するであろうものの多くを、
わたしは愛情として受けとれない。