BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

220702(RIZIN36)。

暑過ぎる。日中はずっと家にいる。こんなに暑いなか仕事でもないのに外なんて出たくない。

夜になってから近所を散歩とかしている。遠くには行かない。ジョギングもしてない。

 

RIZIN36があった。

昇侍選手と渡慶次幸平選手が出るから、注目していた。

結果的には、つらいことになった。なんか、格闘技観るようになってからこの1年くらいで、いちばんつらかったかも。

 

昇侍選手は、プライベートでも親交の深い朝倉海選手の代わりに、急きょ今大会に出場した。朝倉海選手はこの大会のメインをはる予定だったけど、拳に負ったケガが重く、ドクターストップがかかり、直前に欠場となった。そんな彼の代わりとして昇侍選手に白羽の矢がたった。わたしは当初何も知らず、ずいぶん急な発表だな、でも昇侍選手が出るならうれしいな、と、のんきに思っていたら、そういう事情があったことを、まもなく知った。

ムリならオファーを断れば良いのだから、昇侍選手自身がそれでも出ると決めたなら、まわりがどうこう言うことではないが、

・・・昇侍選手は、朝倉選手と対戦する予定だった韓国の選手と戦うために、4日か5日の短い期間で、7キロも体重を落とさなくてはいけなかったらしい。また、朝倉海選手とこの韓国の選手の対戦はメインマッチの予定だったが、昇侍選手が闘うことになってメインではなくなり、第9試合か何かに、試合順が変更となった。

 

結果的に昇侍選手は敗れた。ムリな減量をしたので体調が悪かったのだとおもう。顔色が悪く体も何かしおれているように見えて、調子が悪そうだった。計量の時の様子を見て、素人目にも、これはいけないとおもった。それでも彼はやり抜いた。敗れてもいいわけめいたことは一切いわず、最初から最後までりっぱだった。

けれども、あまりにも無茶だとおもった。

わたしとしては、単純に、昇侍選手は、こんなふうに扱われて腹が立たないのか、とおもった。朝倉選手の踏み台。彼のいずれ来る復帰戦のストーリーを作るための、コマ。昇侍選手はそんなふうに扱われているということがわからないような愚か者だろうか。それでも友人である朝倉選手の試合に穴をあけないために一肌脱ぐのが、彼だなあ、だとはおもうけど、最悪だ。ひどい。

もしわたしが昇侍選手の立場なら、こんな扱いを受けたらすごくみじめな気持ちになるだろう。それでも試合に出場すると決めた以上は、大会が終わるまでは自分の本当の感情にはフタをするだろうし、そのあと1年か2年くらいは、閉じたフタをあえて開けないことによって何とも思ってないかのようなふるまいをする可能性もある。でも、その後はある日ふっつりと、気持ちが、なにか、切れるだろうなあ。バカにされたこと、下に見られていたことを知りながら、ずっと平気な顔でなんていられないし、水に流すなんてできない。いくら友だちのためだろうとなんだろうと他人のためにそこまでバカを演じきれない。ならば最初から演じなければ良かったのに(出場を断れば良かったのに)、という話なのだが・・・。

朝倉海選手は・・・今回のことでは昇侍選手に心から感謝しているだの、尊敬しているだのと語っていたけれども、そんな自分も、将来いつかは昇侍選手のような扱いを受けることになるかもしれないんだということを、少しも想像したことがないからあんなことを言えるんだとおもった。それか、シンプルに、本当は昇侍選手のことなんてどうでも良いっておもってるか。

そもそも昇侍選手と朝倉海選手の「友人関係」も、どこまでの実態をともなうものなのか。何がリアルか、ではなく、何を見せることができるか(何を見ることができるか)、がリアル、みたいな、この社会的なおおきな潮流のなかで、ふたりとは無関係の「みんな」の手で練り上げられた、ファンタジーなんじゃないかという気がする。あのふたりの「友人関係」とやらは。全然親交がないとまではおもわないが、実際以上のなにかが常に期待されている・・・。そんななかで、本人たちも自覚がないうちに、心にないことまで演じ始めているようなことはないだろうか?

 

それに、体調が万全じゃないことが明白な選手が、案の定フラフラになりながら闘って惨敗し、対戦相手にまで介抱されて、そんなところをみて「感動した」なんて・・・今回のことをめぐっては、世間の声も、なんだかすごく、おかしくないだろうか。昇侍選手が(本人が、状況を受け入れたとはいえ)心ある一個の人間として、誇りある一個の選手としての、しかるべき待遇を受ける、そんな基本の基本が欠落した状況だったのに。

 

運営側は利益がほしいだけ、興奮を煽りたいだけで、選手の立場や心や健康のことなど、まったく考えていないのだろう。

 

出場オファーを断る権利もあったと、理屈では言えるけれど、やっぱり、昇侍選手は、断れない状況に半ば追い詰められていたのではないか。誰かに脅された、とかいうことではなくて・・・本人も自分のこれまでの選択や発言がすべてウソだったかのように周りに思われたくなかったのだろうし・・・。そういう意味ではやっぱり昇侍選手自身も、今大会に出たことによって生じた結果と責任を背負わなくてはならないとはおもう。というか昇侍選手しか背負うことはできない。それは確かに当たり前のことだ。だけど・・・。

べつに、やってきたこと、言ってきたこと、すべてを翻しても良いのだとおもう。ただ、それをやるのは今ではなかった。今それをやったら彼は一生自分で自分を許すことができなかったんだろう。

昇侍選手は、自分が今どういう場所にいるか、理解できないような人ではないとおもう。

 

みてて、とてもつらかった。

こんな扱いを受けることがあるのが格闘技の選手なんだなとおもったし、格闘技だけやっているわけにもいかないのが格闘技の選手なんだなとおもった。

 

でも、あんまりなんじゃないかなあ。

 

渡慶次幸平選手も今回は敗れた。

渡慶次選手は、こんご、総合格闘技で勝つための練習に傾注していくんだろうとおもう。試合後のインタビューをみたかぎり、それが彼の望みのようだから。でもそのようにして総合格闘技が今よりもできるようになっていくなかで、反比例してラウェイの強さは損なわれていくんじゃないかと危惧している。不得手なことを伸ばすのに時間や労力をついやすなかで、もともと得意なことが弱くなっていくのは、よくあることだ。そもそも、不得手なことが、努力で前よりもできるようになることはあるけれども、どんなに努力しても、同じことがもともと得意な人を超えるくらいうまくなることは、まず不可能だ。努力がムダだとかいうわけではなくて、単純に、もともと得意な人は、苦手な人の半分の時間と半分の労力で、2倍も3倍も多くのことを吸収して、どんどん先にいってしまうからだ。適性によるところが大きい。当然の理屈だ。不得手なことは、あえて努力してうまくなろうとするうちに、相対的にはもっともっと、不得手になっていくものだとおもう。

渡慶次選手はそれで良いのだろうか。総合格闘技が前よりうまくなれた、という実感を得たいがために、総合格闘技をやるのか。うまくなれたという満足感さえ得られれば、「本当に強い選手には結局勝てないけど全体の真ん中くらいには強い」程度の強さしか得られなくても、かまわない、いうことか。

渡慶次選手にはラウェイがあるのに、なぜいまさら、「中くらいの強さの総合格闘技の選手」に、なろうというのだろうか。

ラウェイに関心がなくなったのだろうか。だったら、はっきりそう言ってラウェイから離れてくれれば、まだ、この流れに、わたしも納得できそうなのだが。

 

渡慶次選手はRIZIN36に出るために7月10日のラウェイ北陸大会を蹴ったかたちになっている。北陸大会の正式なオファーがあったかどうかはしらないけど、わたしは彼にオファーがなかったはずはないとおもう。日本のラウェイの看板選手なのだから。

渡慶次幸平選手はラウェイのファイターのはずなのに。

コロナとミャンマーの政情不安の影響で日本でラウェイの大会が開かれないので、ラウェイに軸足を置いてきた選手が、稼ぐために総合格闘技など他の競技の大会に出る、というのは理解できるけど、いずれラウェイの大会ができる状況になったとき、今の調子だと渡慶次選手は、いざ出場しても、かんじんのラウェイで勝てなくなっているのではないかとおもう。

ラウェイの試合ができない間に、総合格闘技がめちゃめちゃ強くなって、RIZINなどのメジャーな大会でメインをはれるくらいのスターにでもなったら素晴らしいけど、何度も言うようだが、わたしはそれは普通に考えて難しいようにおもえる。今まで、渡慶次選手をわたしなりにみてきて、彼はそういうタイプの人じゃないとおもうから。それに、渡慶次選手はラウェイの歴戦のファイターであることが他競技の大会における名刺になっているのに、総合格闘技のためにラウェイで勝てなくなったら、その名刺はいったいどうなるのか。

わたしには、本末転倒の選択のように見える。

 

でも、そうなっていくことも、ある種の運命、どうしようもないことなのかな。ここでどうこう言っても、ラウェイの大会がまた開催されるようになるまでのあいだ、まさかわたしが渡慶次選手(とその家族)の生活を支えてあげられるわけでもないのだし、

もっともっと長い目でみたら、渡慶次選手が人生でやりたいことのための手段のひとつなのだろうから、格闘技は。ラウェイですらも。

 

 

きょうは、応援してた選手が、ふたりともひどい敗れ方をした。

つらかった。