BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

言い聞かす-201005。

みじめな人生しか享受できないのは、
自分の気持ちの取り扱いがザツだからだと思う。

嫌な目にあったり、傷付いたりしたら、
嫌な目にあった、とちゃんと怒ったり、
ちゃんと傷付いたりしなくちゃいけない。
「自分はこういう目にあって当然の人間だからしょうがない」
とかいう、いじけたキャラを気取ってると、
そのイジケキャラが本当になってしまい、
本当は自分のことが可愛いと、ちゃんと思っているのに、
いつしかザツに扱うようになってしまう。
「こういう目にあって当然」なんてのはありえない。
前後がつながっているかのように決めつけておけば楽だが、
そんな固定された自分なんてものは、どこにもいない。
自分なんてものは、他者と関わる時に、
その都度、その場でしか生まれない。
さまざまな顔があり、いつも違うものだ。
それくらいぼんやりしていて揺れ動いているなかで
それなりになんとか「つかんでおきたい」と思うなら、
他者と関わる時に生まれてくる「気持ち」は、頼りだ。
「気持ち」を、注意深くつかまえていかないと、
不安が増すばかりだと思う。

悲しいとか、
みじめだとか、
寂しいとか、
バカにされたとか、
ムカついてるとか、
屈辱だとか、
間違えたとか、
恥ずかしいとか、
傷付いたとか、
できそうにないとか、
たとえ一生振り向いてもらえなくても好きだとか、
今だけだと知っているけどそれでもうれしいとか、
濃くて強い感情が湧き上がることは、時に苦しいけど、
自分てこういう所があるんだなって知るのには
とても重要な気持ちだと思う。
ばかみたいかもしれないけどそれで良いのだ。
知るにはそれがすべてなのだから。
自分のことが可愛いと、ちゃんと思うためにも、
自分ってしょせんこんなもん、って知るためにも、
気持ちって、とても大事だ。
それは他者と関わっていちいち感じることでしか
わからない。
花火みたいにその時だけで、鮮やかだ。
それで全然良いのだと思う。

逃げないで、いじけるのもほどほどにして、
「感じている」ということを受け入れなくちゃだめだ。
生きている限りは。
受け入れる手順はいつもシンプルだ。
ああ、こう感じてる、と言葉にして、
その言葉を、頭の中に書くだけで良い。
それができればもう良い。
あとは広げなくて良い。
そもそも広げた先はたいてい他者次第だ。
それは自分に関係あるようで全然関係ない。
どんな他者でも、みんな、
それぞれの事情と、それぞれのステージで、
おのおの良かれと思って生きている。
他者のことはコントロールできない。
他者は鏡だ。 

受け入れるって難しくない。
自分の現実を、言葉にしてただ、
頭の中で思うだけで良い。
それが受け入れるということだ。
苦痛を伴うようで案外そうじゃない時もある。
思ってしまえばもうそれだけで良い。
つらい時があっても面倒くさくても
いちいち丁寧に気持ちを言葉にして思うことが
自分の気持ちを大事に取り扱うということだと思う。
ただうつうつとしているだけでは
つらいとか 自分はダメだとか言っているだけでは
足りていることにはならない。

そして多分だけど、その先がある。
でも先のことは今はまだ良い。
命ある限りは続けていくことだからこれで今は良い。