BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

230123。

ふと、ひとりぼっちの毎日につよい寂しさを感じた。たぶん死ぬのが怖いみたいなこととつながっている気持ちだと思った。寂しさを人との関係で埋めることができれば、死ぬのも怖くなくなる? みたいな考えが、わたしのなかにもともとあるから、人とつながりたいとおもっていて、でもそれが思うようにはいかなかったりするから、それで寂しいのだろう。

でも、ひとりぼっちじゃないと感じたとしても、死ぬのが怖いことに変わりはないと思った。多少は、死への恐怖心が紛れる瞬間が増えるかもしれないが。(でも、ひとりじゃなくなったら、むしろ死ぬのがもっともっと怖くなるんじゃないかなあ?)

 

人に誇れるような人生ではないし恥ずかしいこともきついこともいっぱいあったけど、それでもここまで生きることができたのだから、それだけで十分だなとおもう。社会的に生きた。人として。犯罪もおかさず、法に触れず、そこそこマナーをまもり、ときに人に親切にし、ときに人に親切にされ、ちゃんと労働をし税金をおさめた。

 

最後はひとりで野垂れ死ぬだろう。どんなに健康で長く生きることになっても、だんだんそれが損なわれていき、容貌がおとろえ醜くなって、若い人たちに邪魔にされるようになり、できることが減っていき、つらいきもちを多く味わいながら、だんだん、死んでいく。この人のために生きたいとおもえるような人も、わたしにたいしてそうおもってくれるような人も、減っていく。さびしいだろうなー。きっとすごくみじめだろうとおもうよ。

でも死の時がきたら、それはもう、そういうすべてのことからの「解放」だ。別れでもあるけど、つらいことすべてから解放される。それでいい。わたしだけじゃない。みんな同じだ。ひとりで寂しいとかひとりじゃないから寂しくないとか関係ない。みんな同じなのだ。

 

わたしの場合、あまりきれいな死に方ではないんだろうけど、死んだら、きれいかとか汚いかとかなんて、自分にはわからないし、汚い死にざまでも、必ず(イヤイヤながらも)誰かがどうにかしてくれる。どうにもしてもらえないわけがないし、仮にそんなことがあったとしても、地球がわたしの死骸を分解してくれる。大丈夫だ。それに、いまはこういうことがいかにも重大なことのような気がしていても、死を迎える頃には案外、どうでもいいことになっているかもしれないよな。

 

とはいえ今はまだ元気だし何の問題もない。今はまだ生きることができる。どうにもならなくなってきたら、そのとき考えれば良いだけだ。考えるといっても、むずかしいことじゃない。どうにかしてもうちょっと生きるのか、それともあきらめるのか、決めれば良いだけだ。