BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『レ・ミゼラブル』-200320。

f:id:york8188:20200320224150j:plain

www.youtube.com

原題:Les Misérables
ラジ・リ監督
2020年、フランス

現代のフランスはモンフェルメイユ地区
ある子どものささいな悪さがトリガーとなって
子どもたちと大人たちの間で引き起こされる
およそ2日間の悲惨な激突の顛末を描いている。
ドキュメンタリーのような感触だが、フィクション。
モンフェルメイユはパリ郊外の地区で、
この映画で描写される通り、移民や低所得者
多く暮らし、犯罪多発エリアとみなされている地域。
ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の
重要な場面の舞台としても知られている。

子どもの悪さ、っていうのは、
モンフェルメイユの貧しい少年イッサ(イサカ)が
巡業にきていたサーカス団の拠点に忍び込んで
ライオンの子を盗んじゃった、っていうことだった。
このかわいいライオンのアカチャンが出てくるたびに、
気持ちの緊張がゆるんでしまって参ったが
(一体なんであんなキュートな存在を
 この物語に取り入れたんだ・・・
 いくらなんでもかわいすぎる・・・)
終盤30分の暴動シーンで、すっかり持ち直した。

モンフェルメイユの人たちは、警察にさえ頼れないんだな・・・

モンフェルメイユの街には「市長」と呼ばれる男がいた。
いわゆる「説明」っぽい描写があまりない映画だったので
「えっっ、この人が自治体のトップなの!?
 道端で群れてるワルどもとそんなに違うように見えないんだけど」
とか思って観ていたんだが、
あとでよくよく考えてみるにやはり彼が本当の市長であるはずはなく、
市長、というニックネームで、地域の調整役を買って出ている。
別に街の人びとが、そうしてと彼に頼んだわけではないんだろうが
まあそんな感じだと見受けた。
たぶん必要な時には彼が地域の人びとと行政との間に入る。
住民どうしがもめごとを起こした時とかに
それが金で解決できそうなら行政にサポートを頼んだり
警察沙汰になりそうなことに目をつぶってもらったり
これだけやってやるんだから、お前ら、わかってるんだろうな、的な
・・・いろいろ、そういうことをやっているんだと思う。
でも、この人物も別に地元の名士とか、そんなものではない。
少しはマシな生活をしているのかもしれないにしても、
彼も貧しい地区の貧しい住人であることに変わりはない。

物語の前半、大人どうしの争いでは、 
暴力沙汰はあまり起こらない。
牽制目的で武器やガソリンなどの物騒なものが
持ち出されることはしょっちゅうだが、
それが実際に使われることは、まずなかった。
そのかわり、男同士のメンツのぶつかりあい、
吹けば飛ぶような利権の奪い合い、
みじめったらしい不祥事隠し、それから
一種のマウンティングが積み重ねられていき
非力な子どもが、それに巻き込まれる、という構図だ。
もちろん、その子どもたちは大人と違ってみんな無垢で 
いつも笑って仲良しこよししている・・・なんてことはない。
彼らは大人のあらゆるストレスのはけ口にされている上に
子どもゆえに逃げ場がない、という苦しい状況に置かれている。
子どものコミュニティのなかでも
声の小さい子は無視され、ふみつけにされ、いじめられる。

ちょっと想像したんだけど、
もしかしたら 大人が「子ども」を見る眼そのものが
わたしの認識とは違うのかもしれないなと思った。
前にマーティン・スコセッシ監督の
ヒューゴの不思議な発明』(2011年)とかを
観た時にも 同じことを思った覚えがある。
あの映画では戦争で親を失った子どもが
鉄道の駅に寝泊まりしている設定だったと思う。
鉄道警察隊が彼らを ネズミども、とか呼ばわって
さも憎々しげに追い回したりしていた。
子どもというのは場合によっては
すごく邪険にされる存在なのだ。貧しい所の子は特に。
ジャリかゴミか、害獣のように扱われる。
子どもを、可愛がり守るべき存在、ではなくて
大人の足手まといになる未熟な存在、とかいうふうに
見なす 社会もあるのかもしれない。

終盤30分、抑圧されてきた子どもたちの逆襲が始まる。
なまはんかなものではなかった。
彼らはどう考えても殺す気で来ていた。
ヘタに生かしたら倍返しの復讐に遭うと知っていたのだろうし
殺してしまったってかまいやしない、とも思っていたんだろう。
幼いからなのか、そこは残酷だ。あれは本物の憎悪だった。
少年たちの反乱のあまりのすさまじさに、正直言うと最初は
え、警察や「市長」は確かにみんなひどいことしていたけど、
でもここまでやり返されるほど、ひどかったかな・・・
って思った。
大人たちが物理的な意味での暴力を振るうシーンが
(イッサが傷つけられたことをのぞけば)
あまりなかったせいか、
彼らのしてきたことが子どもの心にとってどれほどのものか、
多分わたしにはくみ取れていなかったんだと思う。
というか、今だけのことではないのだ。
結局それに尽きる。
何年も何年も、何世代にもわたって、
こういうことが続けられてきているわけなのだ。
あの少年たちはずっと抑えつけられてきている、
そういうことだ。

静かな怒りに燃えるイッサの表情には
「凄み」なんて言葉では言い表しきれない
何か尋常でないものを感じた。

バズの視点もおもしろかった。
彼は警察の不祥事を、ドローンで偶然撮影していたために
管轄警官たちに追われるはめになる。
上空高くから街全体をとらえるドローンの視点が、
物語に積極的に取り込まれていた。
多分、言わば「神」の視点、というものだった。
神さまが、もしいるならば、地上で行われている
この醜悪なできごとを見て、どう思うんだろうな。
やっている当人たちは、自分のしていることが
客観的にどうかなんて考える冷静さを持ち合わせていない。

バズは少年たちの反乱に直接的には参加しないが、
大人たちが助けを求めてきても部屋のドアを開けない、
という方法で「暴動に加担した」と言えると思う。
実は他の住民たちも、みんながそうだった。

ラストシーンは秀逸としか言いようがない。
ああいう一触即発の局面で、
こちらから、静かに武器をおろすことができれば、
それさえできれば、話はほんとうに簡単なんだけどな。
銃を向けて警告すればイッサがあきらめてくれる、なんて、
本気で信じているとも思えなかったけど
銃を構えない選択など思いもつかないステファンが切ない。
あの瞬間、何をイッサは思っていたんだろう。
唯一いくらかまともに構ってくれたステファンの優しさが、
憎悪の奔流へとなだれこんでいくはずの激情を
ぎりぎりの所でせき止める、壁となったのかもしれない。
今にもそれは、決壊しそうだったが。
迷っているようだった。
助けて、と言っているようでもあった。
イッサはあのあとどうしたんだろうなあ。