このところ3本観た。
『カーライル ニューヨークが恋したホテル』
『ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート』
『存在のない子供たち』
『カーライル』と『バーグドルフ』は
それぞれニューヨークに実在する
高級デパートと高級ホテルを
取り上げたドキュメンタリーで、
同じ監督が手がけたもの。
『存在のない子供たち』は
フィクションドラマだが、
物語と大して変わらない境遇にある
ほぼ素人のような人たちをキャスティング。
彼らの実生活と体験をストーリーに反映させながら
レバノンの貧しい少年の運命を描いている。
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「カーライル ニューヨークが恋したホテル」
原題:ALWAYS AT THE CARLYLE
マシュー・ミーレー監督・脚本
2018年、米
『ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート』
原題:Scatter My Ashes At Bergdorf's
マシュー・ミーレー監督
2013年、米
ステータス、価値ってなんだろうな。
それはどうも本当にあるもののようなんだけど、
いつ誰がどうやってそれを作り上げるのか。
ホテルも、デパートも、人が商売のためにただ作ったものなのに
人よりもでかい何かになっていると思う。
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『存在のない子供たち』
原題:CAPHARNAÜM/کفرناحوم
ナディーン・ラバキー監督
2018年、レバノン・フランス
このところ観てきたなかでは 一番心にきた。
ラストシーンに涙がでた。
ゼイン少年がいとおしくて。
そういう反応を自分がするとは、予測してなかった。
アルフォンソ・キュアロン監督は『ROMA』という映画を
社会に何かしたいと思って作ったわけじゃなかったと思う。
商業映画で成功している映画監督で、
社会的な発言力や影響力を持っている人だとしても
映画を撮る目的が、「社会に何かする」ことじゃなくちゃ
いけないという法はない。
例えば「自分のため」に、映画を作っても良い。
だが『存在のない子供たち』で、ナディーン・ラバキー監督は
明確に、社会のために、子どもたちのために何かしようとしていた。
あるいは少なくとも そうでありたい、という願いを感じた。
・・・
しかし『カーライル』『バーグドルフ』と
『存在のない子供たち』とでは
描かれる世界が対極すぎたな。
同じ地球上のことのはずなんだけどな。