どう生きたい、
どんな人間になりたい、
何がやりたい、
いずれもわたしにはない。
どうせ自分には無理だから、
とさえ思ってない気がする。
どうせ自分には無理だから、を
逆に考えると
無理じゃないのだとしたらやりたい、
と思ってる側面があることになるが、
無理じゃないのだとしたらやりたい、
ことが自分にあるか、と考えると、
特にない、という感じだとしか言えない。
他人から見たら、
わたしには何かできることや
やりたいことが あるように
見えるのかもしれない。
でも、期待には応えられないから申し訳ないだけだから、
できるできると言わないでもらいたい。
何かができたためしも
やりたいと思ったことも
今まで生きてきて一度も、ひとつもない。
あったと自信をもって言うことができない。
やりたかったことなんてなかった。
何もやってこなかった。
何かやりたいことがあるような
ふりをするのは、うまかっただろうが。
やりたいことがあるふりをするために
すべてのことをやってきたのだとしたら、
どんなむなしい人生よりもむなしい人生だし、どんなはずかしい人生よりもはずかしい人生だとおもう。
中身がないから、まともな人にはそれを見抜かれる。
何にもしたくないなら何にもしたくない、別に何がどうだろうとどうでも良い、何のことも誰のことも愛しておらず憎んでもいない、別にかまわない、と正直に言ってさえいればまだ良いものを、
何にもしたくないなんて言っちゃいけないんだと思って、あたかも何かしたいことがあるかのようなふりをするから、周りの人を煩わすことになる。
ほんとうは何もしたくなかったんだよねと後で言うわけにもいかないので つじつまを合わせようとウソを重ねてしまう。
結局何がなんだったのか自分でもよくわからないことになる。
いつもそのくりかえしで、今も結局そうなんだとおもう。
また同じことになるだろう。
今までよりも、始まりから終わりまでの
スピードがすこしゆっくりなだけだ。