BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想『ガリーボーイ』-240320。

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スラム街で生きる青年が、ヒップホップに目覚め、作詞を中心とする音楽的才能が開花。格差社会の理不尽に苦しみ、親子関係に苦しみ、恋に悩み、さまざまな困難をのりこえたりしつつ、スターダムを駆け上がっていく。


インド版『8Mile』とか言ったらそれまでなのかもしれないけど、そんな感じのストーリー。

 

主人公をとりまく環境や状況は、たしかに苛酷なはずなんだけど、なぜか、観ていても思ったほどにはそういうことを感じなかった。正直「インドだもんな、そりゃそうだよな」・・・くらいにしか思えなかった。

 

全体に今ひとつ、あともうちょっと、足りない、という感じだったかなとおもう。

 

監督のまなざしが、優しすぎた?
監督が、この物語にでてくるキャラクターたちにつらい思いをさせたくない、誰一人として傷つけたくない、と内心おもってるのが伝わってきてしまった。 


そもそもイヤな奴、悪い奴がまったくといって良いほど出てこないし、全員なんだか基本的には安全圏で、健全で、善良そのもの。

 

どうせならもっと自己中心的に行動して、仲間すら押し退けたりとかして、ズルとかイジワルとか、して欲しかった。

 

つまり、悪くいえば、
描写が甘い。
どこか、子ども騙し感がある。

 

全然、悪い映画だったとはおもわないんだけど これでは いまのわたしの心には 響かない。

 

けど、アーリヤー・パットは魅力的。

 

音楽も良かった。

 

インドの言葉でのラップには、独特の迫力と凄味があるね。

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きのうは、職場から日比谷に直行し、皇居ラン1周5キロ走ってきた。神奈川エリアを中心に活動するおおきなランニングサークルの、年1回の皇居ラン企画。

このサークルへの体験参加はこれで2回め。

まえに皇居ランをやったのは昨年8月の午前中で、腹が立つほどの快晴だった。本気で「あ、これ死んじゃうかなー」と思うほど暑くて キツかった。
みんな平気だったのに、わたしだけヘロヘロになり、熱中症寸前のようなところまでいき、みんなに介抱してもらって、お世話になりまくってしまった。

 

今日は一転、3月のランニング。走ってるうちに、すぐにあたたまってきたし、大丈夫。夜だから日差しもなく、らくらく快適。東京の美しい夜景をながめながら走れた。

みんなと一緒だったおかげで、わたしにしてはなかなか良いペースで、最後まで走れたと思う。ひとりだと、なかなかこうはいかない。ほんの3キロや5キロだってヘトヘトになって途中でやめちゃうことも正直いうと多々ある。

 

打ち上げにも参加させてもらって、みんなとお話できて、楽しかった。


みなとみらいを拠点とするランニングサークルと、このサークルで迷ってたけど、こちらに入会してみよーかなあと、今は思っている。


初対面の大勢の人たちに囲まれて、いろいろ話しかけられても、なぜだかあまり、緊張することがなかった。走っている間はみんなのなかに埋没して、しずかに走ることに集中できていた。走ってないときは、ノンキで親切でマイペース、みたいな、心がいちばん安定しているときにあらわれる自分の一面が、出てきていた。ずっと、イヤなことが何もなかったし、急につらいことを思い出してしんどくなったりもしなかった。気分転換がヘタクソで、よけいなこと考えたり、思い出してつらくなったりしちゃうほうなんだけど。

そういうのひとつひとつが 今のわたしには、しみて、すごくありがたかった。

それに、メンバーのみんなの練習会への参加率が比較的高め安定の印象で、活気があり、みんな楽しそうにしてるのも、良いなっておもう。

 

今年の11月に開催される、ぐんまマラソンにも誘っていただいた。

 

まだ、いまは寒いけど、
じっと耐えて 待っていれば いつか春がくるのかな。

240319。

年に1回くらい、グーグルアースとストリートビューで実家を検索してるんだけど さっき、久しぶりにみたら、実家が建て替わっていた。
1年半くらい前から兄の名前で何かの工事を行なっていることは、画像で把握ずみだったんだけど、リフォームやら部分的な改築程度かなとおもっていたら、みためから何から、本格的に刷新されていた。

 

ストリートビューで拡大すると、一階の物干し場に 母の趣味とは違うようにおもわれる、女性向けの洋服が干されているのがわかった。

 

弟はすでにほかの場所に家を買ったはず。
もしかして、兄が結婚・・・?兄の奥さんは、母と同居することを承諾したのか・・・?

でも弟が前に買った家を売却して実家に戻った可能性もあるか?

いや、兄の名前で建て替えた家に弟夫婦が入って兄が家を出たということになるから それはおかしいな。

兄と母の二人暮らしという状況が変わらないのに、家をバリアフリーリフォームどころか全体的に建て替えなんてことまでするなんて、それも考えにくい。

やはり兄が結婚、かな。

母が再婚・・・もありえるか?

でもその場合 やっぱり 兄が施主になるのはおかしいよね

 

2年くらい前だったかもっと最近のことだったか、兄からわたしのスマートフォンに着信が入ったことがあった。たしか、前後して、母と仲良くしてくれていたご近所のおくさんからも。わたしはどちらの電話にも出なかったし折り返しもしなかった。だって話したくなかったしもし本当に重大な用件ならまたむこうからかけてくるだろうと思ったから。もしかしてあれは実家の建て替えと兄の結婚をしらせる電話だったのかな。

 

ちょっとだけ気になる。

でも連絡して確認したいとは思わない。したくない。


だけど複雑な心境
うまく一言ではいえないけど
なんとなく「これで、実家にむりやり呼び戻されるなどといった恐れがなくなったような気がして、ほっとしている」

「これでいよいよ帰る場所がなくなり この世でたったひとりになった」
が混ざったような気持ちかな。

 

わたしきっと今、すごくさびしいんだな。

 

つらいことが最近いっぱいあった。

 

 

 

 

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きのうも横浜の毎月恒例マラソン大会の1キロと3キロだけ走ってきた
おもったよりも余力はあったので、5キロの部も走ろうか、それとも5キロの部をスキップして10キロにトライしようか迷ったけど 体調の関係もあり、一応ここまででやめといた。
花粉がヤバかった。
あと、折り返し地点からの向かい風がエグかった。

 

この大会では、初回参加のときに、個人レコードの蓄積のためのゼッケン番号がわりふられ、記録用のバーコードプレートと、ゼッケンが与えられる。このとき渡されるゼッケンは、四隅をゼムクリップでシャツに留めるタイプの、ただの黄色い布プリントのやつ(端がどんどんほつれてくるので、チクチク縫って、加工した)。連続30回参加すると、タンクトップみたいに着られるタイプの、赤いゼッケンがもらえる(確か、さらに100回とか?でネイビーのゼッケンがもらえるはず。違ったかな・・・)。「通算30回」ではなく、「連続30回」だから、赤いゼッケンをもらうには、雨の日も風の日も雪の日も、30回出続ける必要がある。そこまでがんばらなくてもいっかー、と思ってたけど、いまは、せめて赤いゼッケンがもらえるまでは、この大会に出ようとおもってる。

この大会もう出るのやめようかなと、ついさっきまで考えてた。ここ数ヶ月でいろんなことがあり、大会は楽しいしいろんなコースがあって好きなんだけど、いっぱいつらいことがあって、もう、わけわからなくなった。

けど、やめるのはいつでもできる。行くのをやめる、それだけ。

赤いゼッケンがもらえるまでとりあえずがんばろうって思う。そのころには、この月例の大会を卒業しようとか、やっぱり次も来ようとか、今よりも悩むことなく決められるようになってるかもしれない。
続けたかったら続ければいい
やめたら、また他の場所で、こういうのを探すか、
別の新しい世界にいけばいい。

いつでもやめられる。

大会は月1回だから、これから30回だと2年半くらいかかるけど、それくらいがんばったあかつきには、もしくはもう少し早い段階で、さすがに10キロくらいは、楽に走れるようになってるんじゃないか、ともおもう。ちょっと10キロ走ってこよー、って感じに。いまは、一度レースで完走したとはいえ、正直、「わたしは10キロを走ることができるランナーである」とはとても言えない。ぜんぜん、気軽に走れる距離じゃない。

大会に参加し続けるのも、楽な道ではないけど、いま無理に大会から離れても、いっそう、いろんなこと引きずっちゃうかも。だったらもう、続けよう、って思う。どんなことがあっても、大会がひらかれる限りはがんばって参加しつづけて、30回やりぬこう。1キロだけ走って帰っても、参加は参加だから。それならできる。
カゼとかひかないように体調管理をしっかりしなくちゃ。ケガもきをつけないと。

わたしの体はどこも悪くなく健康で、心臓は動いており、数キロ走ることのできる2本の足も持っている。
やめたい理由も、やらない理由も、探そうと思えばいろいろいっぱいあるけど、それでも続ける選択をとる思考が今はまだある。
やりとげよう。

240315。

好きな人に思いが届く恋を一回もすることができず 誰とも愛しあえず抱き合うこともなしに人生を終えることになったとしても、それはほんとに、結果なわけで、結果っていうのは、いたしかたのないものだとおもう。思いを受け止めてもらえなくても、返してもらえなくても、しょうがない。でも、好きになった人がいた ということを、思い出に持つことはできるので それでもう、わたしの人生はしょうがないかなとおもう。たくさんのいろんな人といろんな恋をして愛し合うとか たったひとりと出会って人生をともにする とかいう人生は おそらく わたしのターンでは 手に入らない。わたしがいつかどこかで死んで そのあと わたしの生まれ変わりか、そのまた生まれ変わりが、そのターンかもしれない。生まれ変わりとか、あるといいなー。わたしの生まれ変わりでも、わたしじゃないから、わたしはまったく関係ないけどな涙

 

だからこの人生はもうしかたがないということで理解しておきたいとおもう。

いまは思えなくても、いつか、たぶん、そう思える。

240313。

きのうカバンに入れていた炭酸水のペットボトルのフタが微妙にあいてて図書館でかりた本(しかも返却期限をすぎている)がけっこうな水浸しとなり、帰宅して一生懸命乾かしたんだけど、裏表紙をよくみたら、古い本なのですでにいろいろな事情でヘタってて、「水濡れあり」「汚れあり」のラミネートラベルがはられているのをみて、「ラッキー」と思ってしまった。わたしクズだな・・・

 

ちゃんとごめんなさいして、怒られよ。

 

クズといえばゆうべ 正直かなりのクズ野郎だったわたしの父が、たぶんわたしのこれまでの人生で初めてだったとおもうんだけど、夢に出てきてびっくりした。

叔母と、わたしの弟夫婦につきそわれて、実家にやってくるという設定だった。
わたしに何か怒られるのではないかとビクビクして、叔母のうしろに隠れるように立っていたけど、すぐに父だとわかった。
なんかわたしの認識よりも背が高かった。

白地に赤いラインの入ったジャージ上下を着てたような気がする。実際の父はそういうかっこうするタイプじゃなかったけどなあ。白のジャージなんか着てたことなかったとおもう。他の誰かのイメージが混ざったんだろうか。

 

あと、その夢に、クズで有名な「空気階段」の鈴木もぐらくんも出てきた😆

もぐらくんは、わたしの兄の友人であるという設定で、夢の中で、兄と一緒にわたしの部屋にいた。映画の半券コレクションを床にばらまきちらかして、一枚一枚裏返して、裏のあいたところに作品名と観た映画館をボールペンで書いてくれていた(いつも映画館で映画を観て帰ってきたときにわたしがやっていることだ)。でも、その字を見たら、信じられないくらい下手くそだった。下手くそなうえに筆圧が強くてぐりぐり書かれた汚い字だった。「もぐらくんがくると、部屋が汚くなるし、しかも字も汚い」とハッキリ苦言を呈したら、もぐらくんは爆笑していた。