BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

240311。

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厚揚げとブロッコリーの味噌オイスターソース炒め。

 

きのうの夕食に作って食べた。おいしかった。レシピが3人〜4人分想定だったので、それを1人分に計算し直して作った。ちょっと自信なかったが、うまくいってたみたい。少し保存しておいて、きょうのお弁当にも入れた。ゆうべおいしかったので、お弁当でまた食べることができるとおもうと楽しみだった。考えてみれば自分でつくったものをおいしいと思ったことは今までほぼなかったとおもう。出来上がったものがマズければ良いのにと思ってるわけではないのだが、おいしいものをぜひとも食べたいと思って作ってるわけでもないというか、ただ、自炊がんばろう、とかそういうことでやってることなので、おいしさを意識してなかったのかもしれない。

映画の感想『ネクスト・ゴール!世界最弱のサッカー代表チーム0対31からの挑戦』-240309。

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ネクスト・ゴール・ウィンズ』と同じ題材の先発ドキュメンタリー映画があることを知りU-NEXTで配信されているのを見つけてさっそく観た。

 

フィクションよりもドキュメンタリーのほうがドラマチックだった笑

 

選手たちが 若いのにどこかみんなどっしりと落ち着いていて、何よりすごく優しくピュアなのかなという感じが伝わってきた。普段はのんびり静かに日々の暮らしを送っているのだが、いざというときの同胞たちとの結束力と爆発力がすばらしいのがわかった。どんなに負けてもへこたれず、自分や周りをへんに責めることもなく、泰然としている。負けても俺たちは強いよ、弱くても俺たちは最高さ、結果は気にしないよ、とみんな言う。31対0で負けた時のゴールキーパーを、若い選手たちはいまも深くリスペクトしており、彼が代表に復帰すると、大歓迎していた。たぶんこの感じが、世界トップクラスの戦いを知る海外のコーチなんかには、とても理解できないんだと思う。31点とられて負けたのに、1点も入れられたことがないのに、弱くても俺たちは最高なのさ なんていわれたら、外部から雇われてきたような監督は、そりゃイライラするだろう。勝てなくて悔しくないのか、恥ずかしくないのか、負け犬になりたいのか、というような論法では、サモアの選手の心を動かすことはできない。怠けてるわけじゃない。頑張ってないわけじゃないから。ただただ、それがこの島の人たちの心、この人たちの魂なのだ。そこがわからないと、勝利のためにサモアの選手を率いることも、できない・・・

 

トーマス・ロンゲン監督は、フィクションよりも本物の方が強烈だった。名前からしてヨーロッパ人だなって感じはしてたけどオランダの人らしい。この映画が撮られたとき55歳だけど髪の毛がホワイトゴールドでプライベートでも苦労してきたせいもあるのかもっといってるようにみえるが40歳でもこんな元気な人いないよってくらいバイタリティにあふれ闊達で、おおきな目がキラッキラしてて、中身はすっごく頑固で、ちょっと古いタイプの、ザ・鬼監督。若い選手が引くほどドギツイ下ネタジョークを飛ばしまくる。短気で怒りっぽいけどいつまでも引きずらない瞬間湯沸かし器キャラ。でも裏表がなく、陰口はいわず、悪態は面と向かって本人に吐き、情にもろくて、お父さんみたいにあったかい。すごく好きになった。マイケル・ファスベンダーは見た目もキャラクターもよく本人に寄せて見事にやってたとおもう。

 

ネクスト・ゴール・ウィンズの意味は、草サッカーでゲームが長引いた時などに、それまでの点差などはあまり関係なく「次に1点入れた方が勝ちってことにして、終わりにしようよ」というルールが投げ込まれることがあるそうで、その「次のゴールが勝ち next goal wins」または単に「next goal!」らしい。

映画の感想『ネクスト・ゴール・ウィンズ!』-240309。

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FIFA世界ランキングで長年にわたり不動の最下位だった米領サモアが、アメリカからやってきた白人の新任監督に率いられ、2011年サッカーW杯において公式戦初勝利をおさめたという実際のできごとをベースに描かれる、めっちゃ楽しくさわやかなスポーツヒューマンドラマ。


監督は『ジョジョ・ラヴィット』などで知られるタイカ・ワイティティ。監督自身もたしかハーフか何かでサモアの血を引いている人だったとおもう。


試合中の乱暴な行為などでアメリカ代表監督を解任されたトーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)が、協会の指令で超弱小・米領サモア代表の監督に任ぜられる。W杯のためなら死ねると豪語し、勝利のためのサッカーに人生を捧げてきたトーマスは、美しい南の島の、善良だがあまりにノンキでサッカーを知らなさすぎるチームにまったく馴染めず、選手たちとの心の距離ももちろん縮まらず、言うまでもなくチームは弱いままで、もう、毎日イライラ。だがW杯初戦の日は目前に迫り・・・

 

わたしマイケル・ファスベンダー好きなんだよな・・・ なんか顔が好き。パーツが大きく濃いようにみえてよく考えるとあまり特徴がない。おかげでどんな役をやっても違和感がない。ファスベンダーではなくあくまでもその役の人物だと感じさせてくれる。そしてどこか、わずかに不幸そうで性格暗そうで不健康そう。いかにも役者ってかんじの顔。

 

まあ、結果ははじめからわかっているわけなんだけど、とにかく不思議とワクワクできるし、ハッピーなきもちになれる、ほんとに楽しい映画だった。似たようなストーリーをたどるスポーツものの映画はたくさんあるけれど、描き方や視点の据え方ひとつで、こんなにも最高になっちゃうんだね。ユーモアのセンスが秀逸で、悪フザケもギャグも効いてて、レイトショーで空いていたのをいいことに、ゲラゲラ声出して笑いながら観た。

 

なんか、こんなこというのはおかしいんだけど、タイカ・ワイティティ監督が 鑑賞者であるわたしたちのことをすっごく大好きでいてくれてるのが伝わってきた。おかしな感覚なんだけど。
あの人の映画って、親しみやすくて、なんか、うまくいえないけど、ほんとにかわいいんだよな。監督が、人間というものを愛してるってことなのかな・・・


あと、「映像」というよりはどこか、具体的な「言葉」によって直接かたりかけてきているようなかんじがするのも、この監督の映画の特徴のように感じる。そんなふうに感じるのには、わたし自身が昔から、自分を表現しようとするときの方法として、ほかのなによりも「言葉」に依存してきていることが、何か、関係してるのかもしれない。この監督は映像作品の監督だけど、ものすごく、言葉の人なんじゃないかなーとおもう。この監督の映画は、わたしにとっては、言葉によって(もっというと「活字」によって)なにかを説得されるときと同質の効力がある。でも日本語じゃないのに。外国の人なのに。へんな話なんだけど、そう感じる。

 

まーなんにしても大満足の2時間だった。シリアスなものではなくみんなで楽しめるかわいい映画。『インビクタス 負けざる者たち』ではなく『がんばれベアーズ』方面。

もうスクリーン上映は終わってしまうかもだけど レンタルや配信で ぜひ観てみてほしい。

ラジオが好きな人-240308。

銭湯でお風呂につかっていると さきに温まっていた女性が2人 ラジオの話で盛り上がってることにきづいた。ラジオすきなんですか、と話しかけてみたら ふたりともラジオが大好きで 文化放送を特に聴いてるみたいだったけど TBSラジオの番組もよく知っていて 一緒におしゃべりをたのしむことができた。この2人の女性のことは 名前もしらないんだけど 銭湯でよくみかけるから顔は知っていて(たぶん相手もわたしの顔は覚えてくれてると思う)でも、この銭湯に通うようになって5年くらい経つのだが、今日まで一度も会話を交わしたことはなかった。なんか、脱衣所におかれているヘアドライヤーを、いつもその場にいる誰よりも先に使いたいのか、すごく行動がバタバタしてたり、さきにヘアドライヤーを使っている人がいるとそのすぐ後ろに立ってなんとなく「はやくつかわせろー」的なプレッシャーを加えるような行動をみたことがあったので わたしは その女性たちと話したこともなかったのに なんとなく今まで彼女たちのことが好きではなかった。良い印象ではなかった。でも、ラジオがきっかけでこうして初めておしゃべりをすることができて、笑顔をわたしに向けてくれて、それをみただけで、なんだか心が温かくなり、話したこともなかったのに変な悪印象をもったことはよくなかったなと思った。話せて良かったと思った。

あばらが折れたかもと思って-240308 。

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先月 横浜で走ったときに転倒して いろいろと、すりむいたり、ぶっつけたりしたなかで、ほとんどの傷はもう治ったんだけど 1箇所、日を追うごとに少しずつ少しずつ、痛みが増していく気がするところがあった。左の脇腹。

花粉症でくしゃみを何回もするんだけど、くしゃみのたびにかなり痛む。あと、深めに呼吸をしたり、左半身を下にして寝るときとか、ちょっと耐えられないかもとおもうくらい、痛い。あばら骨に異常がないか、一応たしかめとこうとおもい いつもの接骨院ではなく レントゲン写真を撮ってもらえる整形外科にいった。

骨は折れてないし、ヒビも入ってなかった。良かった。しかしながら、転倒した時の打ち身と、背中のねんざ(そんなのあるの!!?)と、筋肉の炎症があって、これらが、花粉症でくしゃみをくりかえすせいで体に強い衝撃が何度も加わって、治りが遅れてると思われる、とのことなので(じっさいほんとに日に日にすこしずつ痛みが強まってて、生きるのがしんどい)痛み止めの薬と湿布剤をしこたまもらった。あと、脇腹にまきつけて肋骨の動きを抑制するというバンドもだされた。バンドはすぐ看護師さんがまいてくれた。きつく巻かなくても良いそうで、Tシャツやトレーナーの上から巻いてもいいとのことで、それならかゆくなったりしにくそうなので、良かった。落ちてきそうなくらいゆったり巻いたのに、たしかに痛みがぐっとおさまり、呼吸がしやすくなった。

走ってもいいかどうか聞くのを忘れたな
走ってる時は痛くないんだけど・・・
やっぱり せめて今日もらったお薬を全部のみきるまでは 大人しくしておいた方がいいのかな?

あと 初診だけど さっそく 作ってもらった診察券をなくした。
薬局においてきちゃったかな・・・わからん・・・

痛み止めをのむことができるから 今夜からはよく眠れそうだね。

 

 

 

週末は このとおり脇腹も痛いし大人しくしてたほうがいいだろうから
家にいようかなー
でも映画くらいはみにいこうかな

 

家のお掃除をして、あと、台所で、ごはん作ろうとおもう。

わたしは料理が大の苦手なんだけど 最近、一念発起して、できるだけ毎日お弁当をつくり(冷凍食品が7〜8割だけど)、出来合いのものですませる場合も、サラダをつくったり、お肉と野菜を炒めたりして、1品くらいは何か追加することを頑張っている。サボることもあるけど。

 

今週末はルーロウハンと
ブロッコリー&豚肉の味噌炒めと
ガーリック&醤油チキン にトライする予定。

ブロッコリーと鶏肉があるからなー。
ネットで、わたしでもなんとかつくれそうな説明書? レシピっていうんだっけ。探しといた。

ルーロウハンにつかう豚肉は あした買ってこよう。
今日スーパーにいったけど、わすれたから。

スーパーでは、マヨネーズとだしの素とオイスターソースとにんにくチューブと「八角」(ルーロウハンのシナモンみたいな香りはこれなんだってね)と片栗粉と日本酒とみりんを買ってきた。

 

なんでもっと 料理初心者らしくメジャーなメニュー、たとえば「カレーライス」とかにしておかないんだと 我ながら多少はおもうんだけど
でも自分が食べたいものを作った方がいいはず カレーが嫌いなわけではないが、食べたいかどうかでいえば別に今はそうは思わないし。
それに、カレーは、誰が作っても完璧においしくできるように仕上げられた固形ルーが何種類も売ってて、誰もがそれを使って、はじめてのお料理としてかならず作る、スタンダード中のスタンダード。それだけに、もしうまくできなかったとき「わたしはカレーすらまともに作れないのか」とヘコみそうだけど ルーロウハンとか少しマニアックなやつなら うまくできなくても 「だってルーロウハンだもんな・・・しかたないよ」っておもえる。

だから、作り方がむずかしそうでも、自分が食べたいとおもうものに限定してがんばって作るんだ

 

それにしても、思ったんだけど、お料理って、初期費用がけっこうかかる。


なにせわたしの家には今日までマヨネーズもみりんも片栗粉もなかったんだよ。

 

それが 作りたいものによっていろいろ調味料などを買い揃えていくうちに装備が強化されていって やがて「冷蔵庫にあるもので、なにかをテキトーにつくる」ということが可能になるんだね。

 

がんばってルーロウハンを作ることができたら、また写真を上げるから、ほめてください。

 

 

240305。

ネット上の、とあるマンガを読んで、なんかかなり、うわー、って気持ちになった。

主人公の女性は、まだ40にもならないうちに、愛する夫を病気で亡くし、幼い子どもをかかえて哀しみにくれていたが、そこへ生前の夫の不倫が発覚し、さらにショックを受ける。そんな主人公を支えたのは義父母。主人公は実母を早くになくし、実父とは長年疎遠という孤独な境遇にあり、それだけに、心優しい義父母を信頼し、育児面でのサポートも十分に受けながら仕事に復帰、心と暮らしを徐々に立て直していく。しかし、そんなある日、自分の哀しみややるせなさを誰よりも理解してくれているはずの義父母が、亡夫の不倫相手、そしてその子どもと、交流をもっていたことを知ってしまう。子どもの父親はまぎれもなく主人公の亡夫であり、彼の死の直後、妊娠が発覚していた。夫の生前の不貞が判明した段階で、主人公・義父母・不倫相手は話し合いの機会を持ち、互いに二度と関わらないと約束していた。にもかかわらず、不倫相手はその後、産んだ子をつれて義父母のもとを訪れ、義父母も死んだ息子の忘れ形見を追い返すことができず、息子の妻に後ろめたくおもいながらも、こっそり付き合いを続けていたという。主人公は、義父母に裏切られていたという思いに深く傷つき、彼らとの関わりを避けるようになる・・・。

 

つれぇよな。

 

主人公のことを第一に思いやって愛してくれる大人が、ひとりもいない。主人公には実兄がいて、疎遠な父の代わりのように、主人公を支えてくれてはいるのだが、その兄にも守るべき妻子があり、主人公のことだけを考えていられるわけではもちろんない。

自分を思いやってくれる人がいると信じていたのに、その人に裏切られていた。あると信じていたものが実はなかった、ってのは、最初からゼロだとわかってたっていうのよりも、なんだかつらいよな。人に嫌われるようなことを主人公がしてたってわけでもないのに。なんでこんなことになっちゃうんだろうな。主人公は、すごくみじめだとおもうよ。ときには人に顧みられたい、ときには一番に愛してもらいたい、大切にされたい、そうされないとみじめだ、と感じる気持ちは、大人になったからといって消えるものじゃないし。

 

こういうとき、どうすれば、また立ち上がって、前を向くことができるのだろう。主人公には子どもがいる。この子を育てなければ、守らなければという気持ちが、苦難のときに主人公を支えてくれる可能性は、あるかもしれない。

でも、主人公はそうだとしても、では、そういうのがまったくない人は? 主人公にとっての子どもとおなじような存在が、この世にまったく一人もいない人は?

 

それを考えると、すごくつらいよね。