BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

けがゼロキャンペーン

けがをしないように気をつけることをここ最近忘れてた。

気をつけることを心がけようと思っていたことを思い出した。

けがっていうのは、こういう、気を抜いているときに限って、してしまうものなんだよ。

気をつけよう。

きのうまでは、むこうから走ってくる自転車と、せまい歩道ですれ違うときとかに、車道と歩道をへだてる段差みたいなやつにみずから乗っかって、道を譲って、そのまま調子に乗ってしばらく段差のうえを平均台みたいに歩いたりしてしまっていたが、

明日からは、もし外出するとしても、そんなバカなことはしないようにしよう。

歩道を走ってくるような、不届きな自転車などに、歩行者が道を譲る必要なんかないし、

段差のうえに乗っかったりその上を歩いたりなんて高度な芸当が、わたしにできるわけがないのだから、

もうやらない。

もし踏み外しでもしたら、けがをする。

けがをしない、これが一番大事だ。

けがをしないように気をつけるぞ・・・ 

特に足とか手とか気をつける。

ほんのちょっとぶつけたとか、擦り傷や切り傷くらいはいいが、捻挫とかそういうのはやらないように気をつける。

 

年内けがゼロを目指すぞ・・・

親方とお別れ。-200510。

愛猫をなくした友だちが、火葬にする前にネコに会いにこないかと声をかけてくれた。行かなかったら、また後悔することになるとおもったので、行って、お別れをさせてもらった。哀しかったけど、怖くなかった。つめたくかたくなっていたけど、なでても少しもイヤじゃなかった。頑張ったんだね、と言うことができた。お別れさせてもらえて良かったとおもう。

親方。-200509。

友だちが、愛猫がゆうべ息を引き取ったということを連絡してくれた。

 

この友だちの家におじゃましたときにわたしもそのネコちゃんと会っていて、遊びもしたし、撫でたりもした。おだやかな、気の良い子だった。

 

貫禄を感じさせる、かなり大きなネコだったので「この子は『親方』っぽい」と友だちが言った。

本当の名前もあったのだが、親方、っていうのがおもしろかったし、ぴったりに思えた。以後、わたしはそのネコを親方と呼ぶようになった。

以来折に触れ「親方は元気?」「元気だよ、また会いにきてね」というやりとりを友だちとしてきた。

でもなかなか会う機会は訪れなかった。

 

急に病を得て9日間くらい患った末に、親方は、昨夜遅く逝ったということだった。

 

わたしは、以前、実家で飼っていたネコの最期の時、日に日にネコが弱って、死んでいくところを見るのが怖くて、その現実と向き合うことができなかった。

 

同様に、死んだこととも向き合えず、ちゃんとお別れができなかった。

 

 

親方の死の知らせを読んだのは今朝早くだったけど、返事ができたのは、ついさっきだった。 

 

どう返事をしたものか、皆目わからなかった。

 

親方の死なのだが、わたしの実家の飼いネコの死と重なってくるようだった。

 

受け止めきれないことのように思えた。

 

友だちのメールの文面を、無意味に何回も上下にスクロールしたりしてみたけど、そんなことで気持ちが変わったりすることはなく、

 

日が落ちてから外に出て、無駄に4時間くらい近所を歩き回った。

 

涙がどんどん出てくるのをどうすることもできなかった。

 

思えば朝から何かずっと気分が悪く、頭が重かった。

頭が痛くて目を開けるのがつらいので視野が極端に狭くなったような感じだった。

 

親方と、自分の実家のネコのことばかり考えていた。

 

散歩に出たは良いが、最後には調子がひどく悪くなっていて、

歩いてほんの15分程度の圏内にいたにもかかわらず、まっすぐ家に帰ることができず、

何度か団地の公園のベンチやら路上やらに座り込んで休みながら自宅をめざした。

ようやく、あと十数歩で自宅だ、という所までたどりつき、どうしてもがまんできず、近くの側溝にいきなり嘔吐して、そのあとはずいぶん長いこと、自宅アパートの集合玄関の段差のところに、膝を抱えて座り込んでいた。それからどうにか部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。

 

親方のことと自分の実家のネコのことが一日中、絶えず、まざまざと思い出された。

思い出すのは、おもに彼らの可愛かった鳴き声や、やわらかく、つやつやしていた毛並みや、しっぽの表情豊かな動きや、かまってもらおうとしてこっちに歩いてくる時の、静かな足音だった。

それから実家のネコの、弱っていったときの、痩せ衰えて怖いほど軽くなった体や、弱々しいしゃがれた鳴き声や、浅く短く繰り返される呼吸だった。

思い出すことそれ自体は別に、少しもイヤだとは思わなかった。

ただ止むことのない、暗く激しい気持ちだった。

強くさいなまれる気持ちだった。

 

親方は、週明けにペット葬儀で荼毘にふすということで、棺がわりの箱につめるお花をいっぱい用意した、と、メールに書いてあった。

 

わたしは、自分のネコに、自分の手では、そういうことを何もしなかった。お別れの儀式の手順に参加できなかった。

 

あのネコは、自分が弱っていって、死のうとしていることの、苦痛や恐怖や不安と、必死に闘っていた。あのちいさな体とちいさな頭で。

 

わたしは、実家のネコが死んでいくところや、死んだことと、向き合わなかったことを、心残りに感じていて、恥じている。

『12人の優しい日本人を読む会』を観る-200506。

今日、戯曲『12人の優しい日本人』(映画にもなった)を
オンラインミーティングソフト「Zoom」を用いて
役者さんたちが読み合わせしている所を、
YouTubeライブ配信してくれる、という企画があり、

それを観た。

12人の優しい日本人を読む会』

12nin-online.jimdofree.com


ライブ配信はもう終わっちゃったけど、
YouTubeで、5月いっぱいくらいまで、観ることができるそうだ。
もし興味があったらぜひ観てみていただきたい。
以下にチャンネルへのリンクを貼っておく。

www.youtube.com


いや~ 久しぶりにあの興奮をまた味わうことができたな~。
めちゃくそおもしろかったわ。

それに 役者さんや 関係者のみなさんの心意気が伝わった。
こんな時だけど少しでもなんかおもしろいことやって
みんなを楽しませよう、自分も楽しもう、という
心意気が。
その意味でも胸がいっぱいになった。

12人の優しい日本人』を観て、
もし、さらに興味があったら
12人の怒れる男
シドニー・ルメット監督、1957年、米国)

f:id:york8188:20200506222540j:plain

www.youtube.com



も観てみて欲しい。
12人の優しい日本人』は、
この『12人の怒れる男』をベースに、
もしも場所が日本で、陪審員制度があったら、という着想で
作られた喜劇作品なわけだ。

12人の怒れる男』は、わたしにとっては
生涯不変の、オールタイムベストムービーだ。
今までに観てきた映画のなかで文句なしの最高傑作だし、
これからどんなにたくさんの素晴らしい映画と出会っても、
多分わたしは死ぬまで『12人の怒れる男』が
自分にとって最高の映画だと言い続けると思う。

無題-200430。

パソコンの充電用ACアダプターがもうダメだ。

まえにもあったが このままいくと

たぶんまた 発火する流れだ。

オンラインショップで購入した。

早く届かないかな

いつくるかな〜

 

なくしものが最近多く、

カギとか大事なものもなくすので、

せめてカギだけは、二度と

なくすことがないようにしたくて

首から下げるとか、何か対策を考えようと

百円ショップに行った。

 

わたしのまえに会計をしていた

若い女性客がだいぶ感じ悪かった。

でも、学生風の、やはりお若い女性の店員さんが、

お客さんがいったことを

ちゃんと聞いていなかったのが

そもそもよくなかったのだ。

女性客は、商品をふたつ買って、

そのひとつずつに領収証を出して 

ください、といったのに、

見たら、まとめた領収証だった。

だから、別で出して欲しかったんですけど、

と指摘したら

「あ、別々なんですかあ〜」みたいな

反応を店員さんがした。

それがムカっときたのだろう。

なんですかあ、じゃなくて。

そう始めから言われていたのに

忘れていたのがいけないのだから、

そうでした、すみませんでした、

だろう。

しかも店員さんがどうもまだ経験が浅く

別々の領収証を出し直すのに

苦心したあげく結局できなかった。

それは、別々の領収証を出すには、

商品をいったん返品処理のようにして、

もう一回、ひとつひとつで会計しないと、いけないかららしいのだ。

それに気づいた店員さんが

女性客に事情をはなして

会計した商品をいったんこちらに

戻してくれないか、と頼んだ。

女性客は左手にさげた、商品の入った袋を、

アンダースローというか、振り子? 

のような手つきで、レジに放り投げた。

店員さんの目を見もせず、一声だに発さなかった。

うわあ怒ってる怒ってる。

またはウンザリしてるとか、この状況にほとほと疲れてる、みたいな感じか。

さすがに店員さんも、

あ、怒ってる、って思ったらしく

申し訳ございません、と謝っていた。

けどなぜか、顔は笑ってた。

シリアスな時に笑ってしまうという、

謎の反応については、

わたしも身に覚えがあり、

決して理解できなくはないのだが、

「あ、別々なんですかあ〜」からの

へらへら笑って

「申し訳ございません」は、

ちょっと、あんまりだろう。

別個に領収証をというオーダーを

店員さんが完全に忘れていたのだとすれば

自分はふつうにレジしただけなのに

あとになって、客が

「こうしてほしかったのに」と

いちゃもんつけてきた・・・!

という感じしかないだろうから

笑っちゃうのも道理ではあるが、

それはそれで、今度は

「オーダーを完全に忘れる」

ってこと自体が、やばい。

 

まあ、でも、どうでもいいんだけど、

不快という気持ちをこんなに露骨に

表現できるなんて

この女性客はすごいなあと

思った。

怒ってる人を見ると

たいていそう思うんだけど。

わたしだったら

まったく同じことがあっても

絶対怒れない。

不快や怒りを感じたとしても

それを外に出すことはできない。

はやく自分のやりたいことをすませて

この場を収めて立ち去ることしか

頭に浮かばないとおもう。

なぜならやっぱ周りが気になるし、

自分も疲れるからだ。

 

まあこの女性客も

不快になりたくてなったわけじゃなく

たかが100円ショップでの買い物で

こんなつまんない事態になろうとは、

って感じだろうな

イライラ解消に 

ちょっとカフェにでも入って

コーヒーをのみたくても

今はカフェも、どこも臨時休業だもんな。

無題-200426。

このまま良くなっていくと

楽観していたけど 

そうそう甘くないらしい。

安定せず、揺れ動いて、

体の痛みが残り、

心が削られる日々だ。

とてもやるせない気持ちになる。

たまに、あまりにやるせなくて

つらくなり、

実のところちょっと泣くこともある

 

昨日、外出するには

まだ早かったかもしれない。

疲れが出た。

でも髪の毛切りたかったんだっ!

体力が落ちたんだろうな

ずっと寝ていたからなあ

 

今日は

ひどく疲れていて

黒糖ロールぱんを

コーヒー牛乳にひたして

朝から半日かけて一個食べて

あとは夕方までずっと

横になってた笑

だ、大丈夫か・・・。

 

Instagramのアカウントを立てた。

自分ではまだ何も投稿してない。

何人か実生活上の友達を発見して、 

フォローしたので、

その人たちのを見てる。

みんな写真が上手だ。

動画もある。

みていて楽しい。

無題-200426。

わたし顔がわりとクッキーモンスターじゃないかなと思う。 

人間でたとえるとレスリー・キャロンなんかが やや 系統的に 似てると 言いたい気持ちがぬぐえないのが現状なのだが

思い上がりも甚だしいのでそれはナシにして、

人間じゃないところでたとえると、これはクッキーモンスターがかなりカタイのだ。

だからプロフィール画像クッキーモンスターにした。

エルモも捨てがたいが、クッキーモンスターはなんと言ってもボディが青色なのがポイントが高い。

わたしは青色が大好きだからだ。

あと「クッキーモンスター」という言葉の、音がなんか良い。

だからエルモよりクッキーモンスターの方に似ていると思う方が、より、気分が良い。

メガネをかけてるクッキーモンスターの画像はないものかな。

これでメガネをかけようものなら、もうかなり、わたしに近いというか、

ほぼわたしと言っても過言ではない。

メガネのクッキーモンスターの画像を探そうかな。

だが無断で使うと法的にアレだからフリー素材じゃないといけないからな。

 

今日は朝から腰がむちゃくちゃ痛い。

昨日の疲れが出たらしく

体が重い。 

おうちにいよう。

 

ゆうべはYouTubeで「千鳥」が沖縄かどこかの港から海に落っこちる、それを港から見下ろしてる人がなぜか腕立て伏せをする、という 意味が皆目わからないけど奇妙に楽しい動画をみつけて ゲラゲラ笑ってから休んだ。

海が、エメラルドグリーンで、素晴らしく美しかった。