BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『砂の器』-201030。

英題:The Castle of Sand
野村芳太郎 監督
橋本忍山田洋次 共同脚本
1974年、日本

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良い予告動画が見つけられなかった。

学生の時に、学校の図書館の視聴覚サービスで
1回観たおぼえがある。その時以来の鑑賞だった。

とてもまじめに、真剣に、丁寧に作られた映画だと感じた。
まさに渾身、という感じだった。
たとえ原作とは設定の違いとかがいろいろあろうとも、
このくらいやってくれれば、松本清張も、原作ファンも、
納得なんじゃないだろうか。
もう古い映画なので、テンポがゆったりで、
今の映画のテンポ感に慣れているとやや冗長に感じるし、
ピアノ演奏の吹き替えの手が、役者のそれと違いすぎたり
他にも、いろいろ、細かい所では弱い部分もあるかもしれないけど、
観ちゃうんだよなあ。

今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)の
旅先や居酒屋での掛け合いがとても自然で良い。
なんか心がほっと和む所もある。

高木理恵子(島田陽子)は気の毒すぎる。

砂の器』は何度も映画やドラマになっているが
ハンセン病」をちゃんと扱っている作品は
この74年版だけだったと記憶している。
いろいろ難しい事情があるのだと思う。

村の人びとが三木兼一を、
口をそろえて聖人君子のようにたたえたのは
自分たちが彼のようにはできなかったことの
罪滅ぼしの意味もあったのかなと思う。

現在の時間軸の『宿命』の演奏シーンに載せて、
父子の放浪の回想シーンを描く、といったような、
活字では絶対にできない表現手法が活かされており、
「映画にした意味がちゃんとある」という感じを受けた。
今は映像技術も進んでいるし、いろんな映画が出てきているので、
こんな映像表現のしかたはめずらしくもないかもしれないけど、
めずらしいとか、めずらしくないとかそういうことではなくて、
映像でしか実現できないことをやることによって、
文字では表現しきれない部分を補完し、描き出し、
なんなら原作のさらにもう一歩上を行こうとする、
その姿勢が素晴らしいのではないだろうか。

いずれにしても犯行に至るまでの動機に
あいまいな所があることは否定のしようがないと思う。
でも、それはこの映画を観た人、小説を読んだ人、
みんながそれぞれに考えれば良いのではないか。
今西刑事は、
「犯人はもう、ある特定の条件下でしか、
 会いたい人に会えないのだ」
という意味のことを言った。
(実際には全然違うセリフなのだが、
 一応ネタバレを防ぐためにこのように言い換えた)
だが、犯人は、その「ある特定の条件」が消滅しても、
清々しく満ち足りた笑顔を顔いっぱいに浮かべていた。
こりゃいったいどういうことなんだ、と思った。
条件のととのった環境が失われたので
会いたい人に会えなくなったことになった、と思うのだが
それでも笑っているってのはどういうことなのかなと思って。
原作の小説も読んだのだが、
もうずっと前のことで、けっこう忘れてしまっているので、
読み返してみようかなと思っている。

ある人物が、
人とも思えないような苦悶の声を上げ、
烈しい心の葛藤をあらわにしながら、
それでもなお「私はこんな人は知りません」と言って
ゆずらないのを見た時は、
その人の悲惨な人生、言葉では言い尽くせないような
つらい体験の数々がしのばれた。
このシーンは、どうしてもがまんできなくて
わたしもつい泣いてしまった。