BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『マティアス&マキシム』-200927。

原題:Matthias et Maxime
グザヴィエ・ドラン 監督・脚本
2019年、カナダ

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『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』よりは
こっちの方が個人的には好みだった。

マキシムのつらい境遇とか、
その心に慢性的にのしかかる負荷の内容が、
多少自分の身にも覚えがあるせいか、
彼の恋の苦しみの内容も、
直観として伝わってきたように思う。
心がもうどうしようもない所まで追い詰められていて
すがりつくようにマティアスを求めたんだろう。
でも、
「頼りになるのがマティアスだけだったからだ」とか
「あんなに苦労していなかったら、
 マティアスを好きになることもなかっただろう」
とか言いたいわけじゃないのだが。

深まっていく秋の情景が渇いて寒々しく、
ふたりの焦燥と孤独をうつしているように見えた。

この物語は、マキシムがじきに住み慣れた街を出て、
遠いオーストラリアに旅立ってしまうという設定だ。
なぜ、頼るあてもないそんな遠い所に、と聞かれれば、
マキシムはきっと、それらしく説明をするんだろう。
しかじかの具体的な事情から、行くと決めたのだと。
実際それはそうなんだろうが、
でももっと大きな視点でみればやはり、
これ以上マティアスと一緒はいられない、
一緒にいてはいけない、という気持ちが 
マキシムにそうさせた、ということになるのだろう。
本人が自覚してなかったとしても。
これ以上心が傷付くことに耐えられないと。

マティアスとマキシムがどんなにこれまでずっと
仲の良い友達だったか、を示す場面を
しつこく入れてこないのが良かった。
いかにもな仲良しエピソードを入れなくても
普通に観ていれば察せられるようになっていた。

・車の中で彼女に変な八つ当たりをする所
・ホームパーティーの会場での決定的なケンカの所
・母親との救いのない衝突の場面
・たった1回、お互いの気持ちを確かめあう所
・推薦状にまつわるマティアスの秘密が明らかになる所
などは とても良かった。

マティアスがマキシムに、
それだけは絶対に言うべきじゃない、という類の
ある言葉を発してしまう場面では
わたしまで頭を抱えてしまった。
あーあ、それ言っちゃダメだって・・・と。
正直な所言うと、マティアスの発言を聞くまで
わたしは「そのこと」を忘れていた。
最初の最初の時だけは、「あ、」と思ったんだけど、
本人も、マティアスも、他の友達も、彼らの親や彼女も、
誰も一度もそれに言及しないで話が進んでいったから、
わたしも何も思わなくなっていた矢先だった。
でも、マティアスは、言ってしまう。

もっと効果的に相手を傷付ける言葉はないものか、と
躍起になってしまう時ってあるものだと思う。
話がややこしいのは、
憎んでいるからじゃなくて
どうしようもなく愛しているから、
どうしようもなく欲しいから、
そういうことしちゃう場合もある、ということだ。
相手の心をこのレベルまで傷付けて良いのは俺だけ、
みたいな。

気心知れた友だち同士のイカレた軽口の応酬や
若い女の子の気取った態度などの
表現は、観ていて楽しい部分だった。
わたしはあの「自称・映画監督」の女の子が
なぜあんなに「みんなに嫌われてる」設定なのか
見ててもいまいちピンとこなかったのだが、
男同士の付き合いの輪の周辺で、
ああいう子にウロチョロされるとうっとうしい、
というのが どうもあるらしい。

「エネルギッシュなマダムたちとの退屈な食事」

「極度に影が薄い父親」
は グザヴィエ・ドラン監督の映画にいつも出て来るなあ。

物語の筋を追うという感じよりは
一枚の写真か絵をながめるように観た方が良さそうだった。
何回か繰り返し観ると、その度に感じ方が違うかもしれない。
特にマキシムだけが持つ例のあのことが意味する所については 
もうちょっと全体的な視点で見渡さないといけない気がする。
今も、わかるような感じはあるが言葉にはならない。