BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『すばらしき世界』-210218。

原作:佐木隆三『身分帳』
西川美和 監督、脚本
2021年、日本

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殺人の罪で15年以上も刑務所にいた元ヤクザが晴れて出所し、
今度こそ足を洗って普通の暮らしを、娑婆での生活を、と意気込むが
現実はなかなか厳しくて・・・といったような物語だった。
佐木隆三のノンフィクションノベル『身分帳』が原作。
ずっと絶版だったようだがこの映画がきっかけで復刊したみたいで、
この前、書店に行ったら平積みになっていたので、購入しておいた。
あとで読んでみたい。

主演の役所広司さんがとても良かった。
あくまでも役で、あくまでもセリフなんだけど、
まるで役所広司さん本人の気持ちが、自然に口をついて出てきている
ように見えた。
彼の演技はもういろいろな映画で観慣れているはずだけど
いまだにどこか、はっとさせられたり、新鮮に感じたりする時がある。

西川美和監督は、一貫して、男性の主人公を描くイメージがある。

「一度は道を誤ったが第二の人生を歩もうと奮闘している立場の人に
 わたしたちの世間はかくも冷淡である。そんな世間を、はたして
 この世界はすばらしい、この世界は美しい・・・と言えるだろうか」
それが『すばらしき世界』というタイトルの意図だったんじゃないかと
わたしはとらえている。
でも、その意図でこの物語にこのタイトルをぶっつけるにしては、
これではまだ描写が生ぬるい、と感じないこともなかった。

たとえば、三上を取り巻く人びとが、良い人ばかりだった。
良い人ばかり過ぎた。
身元引受人の弁護士とその妻、三上の元妻、
役所の生活保護課の職員、街で知り合う人びと、
みんなまっとうで、話せばわかるし、三上に良くしてくれる。
三上はぶっきらぼうだけどチャーミングな人柄の持ち主なので、
出会う人たちが彼に魅了されていくのは当然と言えば当然なのだが。

それに、15年以上も刑務所暮らしだった割に、三上には、
時代に取り残されてしまった的な感じが意外なほどなかった。
少なくとも表面上は娑婆で暮らしていくのに何の問題もなかった。
刑務所で身の回りの整理整頓を叩き込まれてきたおかげで、
暮らしぶりはきちょうめんで、経済観念もしっかりしており、
ギャンブルなどにも関心がないようだったし、
初めて持ったスマートフォンもバッチリ使いこなしていた。
わかんないことだらけで、変な奴らに足元を見られて騙されるとか
想定されうる危険な展開はまったくと言って良いほどなかった。
世話になっていた組の親分の所にすこしの間、身を寄せる場面で、
一瞬、違法薬物の使用をそそのかされそうになっていたが、
それも結局、ことなきを得た。
全っ然、問題がない(笑)

三上を取り巻く世間はけっこうちゃんと「すばらし」かった。
三上の第二の人生の困難さを描こうとした物語、
としてのみ この作品をとらえるのはちょっと難しい気がした。

三上の暮らしを密着取材する記者たちが2人登場するんだけど、
彼らが三上にそれほどまでに執着する、心情的な背景が
見えにくいのも、ちょっとばかり問題に思えた。
特にツノダ(仲野太賀)の方は三上につよく肩入れし、
番組の企画がポシャっても三上と縁を切らず、
彼の力になろうとしていた。
だがその理由が良くわからないままだった。

三上を追う番組を企画した張本人のヨシザワ(長澤まさみ)の
キャラクターにも、あまり腑に落ちない所があった。
ツノダがあることをきっかけに、三上を撮り続けることに恐れをなし
その場から逃げ出してしまうのだが、それを見たヨシザワは
「あんたみたいなのが結局誰も救わないのよ!」と激しく非難する。
(「救えないのよ!」だったかもしれない)
だけど、ヨシザワがあんなふうに激昂するほど
三上を撮る企画に熱心なようには見えなかった。
(そもそもこの番組企画をものにしたいと思う真の動機が不明)
ヨシザワとツノダの関係も、良くわからなかった。

この映画は、
三上を通して、世間の厳しさを描こうとする物語としてだけ
とらえるには、
その「世間の厳しさ」の部分の、描き込みが弱めだった。
だから、そういう映画じゃなかったのだと思う。
この映画は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ監督)と
見た目似ていないこともないのだが、
やっぱり本質的にはかなり別物の物語だったのだろう。
わたしは、ダニエル・ブレイク』は、
ダニエルというあるごく普通の小市民の末路を描くことで
「彼をあのようにした社会構造」について問題を提起する
そういう狙いが、明確にあったことを感じた。
だけど、『すばらしき世界』は、
主役の三上が元ヤクザ、言わばアウトローで、しかも殺人の前科がある
という基本設定で始まるので、ダニエルと同じに扱うことはできない。
それに、三上は、性質上、アウトローの世界でなくては生きにくい、
そこにしか居場所を見出せない、そういう人物として描かれていた。
さっきも書いたことだけど、この映画のタイトル
『すばらしき世界』の意図について、わたしは
「一度は道を誤ったが第二の人生を歩もうと奮闘している立場の人に
 わたしたちの世間はかくも冷淡である。そんな世間をはたして
 この世界はすばらしい、この世界は美しいと言えるのか」
そのあたりにあったんじゃないかと思っている。
その意味では確かにテーマ的に
わたしは、ダニエル・ブレイク』と通底するものはあるように見える。
だけど、『すばらしき世界』は
三上を描くことで社会を描こうとしたのではなく、
やはりあくまでも、三上を描こうとしていたと思う。
観る者にそのように解釈されることが、
監督の本望かどうかはわからないのだが、
この物語はあくまでも、三上という男の心と人生の物語だった。

はたから見れば確かに三上は、やくざな生き方をしてきたけど、
彼は自分の心に恥じる所だけは少しもない、一本気な男だった。
その彼が、初めて、自分で自分の心をおとしめる行動をとってしまう。
「俺を支えてくれるたくさんの人たちをガッカリさせたくない」
「今度こそ俺は普通の人としてやっていくんだ、ヘマはしない」
そんな思いから出た行動だった。
あの場面の三上の表情は、まるで生まれて初めて、
お父さん以外の男の人を知った時の乙女、みたいに見えた。
あの場面は、本当に痛ましかった。
あんなことくらい、普通に生きていたら、ある。
あんなたぐいのことは、誰でも、やってしまうことはある。
だけど、三上は、今まで一度だって、したことがなかった。
だからあのようなちょっとしたことで打ちひしがれてしまう。
「普通に生きること」にとても耐えられないような、
純な心の持ち主に見えた。