BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

読書感想-先崎学『うつ病九段』-180811。

眼、心、頭の筋力みたいなものが
めっきり減退しているようで
満足に活字が読めない。
というか正直なところをいうと
読書に関心がない。
読みたいのに読む体力がない、のではなく
読むことに関心が向かない。
(ではなにかべつのことに関心が向いているかというと、
とくに何にも向いてない・・・)
一時的なことだとおもいたいが、
ほんとに読んでない。
マンガとかちらほら読んでるけど
それもだいたいとちゅうで読めなくなる。

ふつう わたしは 
そんなになんでもかんでもモノを欲しがるほうではないが
本だけは 例外だ。
あ、これ読みたいとか一瞬でもおもうと もう
「その場で即購入する」以外の選択肢が消える。
の はずなのだが、
この半年ばかりは 
「いやあー、きょうじゃなくてもいいな」
「いつかまた読みたいとおもったときでいいや」
「買わなくても図書館にいけばあるだろう
 (そして図書館に行かない)」
と すごく消極的だ。

ただ
そんななかでも
ここ1ヶ月くらいのなかで たった1冊だけ、
まともに さいごまで読んだ活字の本がある。

先崎学
うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』
文藝春秋

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books.bunshun.jp

もしも本書が、
たとえばちくま学芸文庫とかのように
小さいページにぎっしりと
文字がつまっているように見える本だったなら
たぶん買っても 読みとおせなかったろうな・・・。
でも、本書を書店で手に取って開いてみたとき、
読めるような気がした。
見開き1ページあたりの字数がすくなく
フォントも文藝春秋らしくとても見やすかったし・・・
おもえば前職で自分が作っていた本のおおくも
判型やフォントなんか こんなかんじだったよ。
じっさい、最後まで読めた。

ぶっきらぼうだけど 温かくて等身大で、
とってもかんじのいい文章だった。
著者の人柄がつたわった。
どこで文章を学ばれたのか存じ上げないが、 
飛びぬけて良くもない代わりに、
目立つような崩れもすくない、 
ふしぎに折り目正しい文章だった。

誤植もなかったし。
誤植ないの最高。

この部分に出会ったとき、
本書を読んだことはまちがいじゃなかったとおもった。
「やめよう、と思った。
生活はなんとかなるさ、
引退して将棋教室でもやるか、とも考えた。
あとは今までの自分がつちかってきた名前をいかして
のんびりと生きればよい。
『棋樂』という格好の場所もあるではないか。
そうすれば闘わずに済む。負けずに済むのである。
そんなこんなでうちひしがれている時に、
あっとなった瞬間を、
忘れることはないだろう。
将棋が弱くなるのだ・・・。
引退したら楽ではある。
しかし、このまま引退しようと、
あるいはこの世界を離れようと
『将棋が弱くなる』ことに変わりはないのだ。
私は六歳で将棋を覚え、九歳でこの世界に入った。
十七歳でプロになって三十年。
だらしなくて常識がない私は、
自分は将棋が強いんだという自信だけで
世の中を生きてきたのである。
勝ち負けとか金とか以前に、
将棋が強いという自信は自分の人生のすべてだった。
その将棋が弱くなる。
考えられなかった。
それだけは絶対に許せなかった。
芸を落としてたまるか、と思うと涙が出た。
将棋指しは年齢を重ねるにつれ弱くなる。
これはプロの世界だから
当たり前であるし、仕方がないことだ。
だが、病気一発で弱くなるなんて・・・。」
(118~119ページ)

「それだけは絶対に許せなかった」。
「芸を落としてたまるか、と思うと涙が出た」。

歳をとって勝てなくなるのはいいが
弱くなるのは耐えられない。
それを想像しただけで、大の男がくやしくて、
みじめで、泣く。

「許せない」「絶対に」という表現が
まさにこのために、このときのためにというところで
遣われているのを ひさしぶりに見た気がした。