BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

思考の断片-生きる

Bが部屋にきた。/近況。-180812。

深夜のお客。

デニス・テンさんに捧げる。-180721。

デニス・テンさんが亡くなったことはほんとうに残念だ。でも、彼が亡くなったというその事実や、報じられている むごい最期よりも、ずっとだいじなことがあるとも思える。それは彼が多くの人に愛されたことだ。多くの人を愛したことだ。人生で獲得したであろ…

まるがかえでやっていこう(病める人を閉じ込めたところで始まらない)-180710。

殺人や傷害などの凶悪な事件が発生し、その犯人の逮捕が報道されるとき、「〇〇容疑者には精神疾患の罹患歴があり」「〇〇は精神科クリニックに通院していたとの情報もあり」というのが、付くことがある。「死亡した〇〇さんは精神疾患をわずらっており警察…

いとこの3きょうだいと、わたし自身のきょうだいと、母-180708。

内田樹さんが ご自身のサイトで、 内田樹の研究室 「死刑の存否について、『どちらか』に与して、断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。死刑は人類の歴史が始まってからずっと人間に取り憑いている「難問」だからである。」「『答えを求め…

陣取り合戦。-180707。

・・・自分の人生は自分自身のものではないのかもしれない。棄てたも同然のやりかたをわたしはしようとしているのかもしれない。自分の人生の主人公になれ、とわたしに言った人がいたが、自分には 荷が重い。荷が重い・・・いや、どうだろう自分でそれを持ち…

大雨/死刑執行がなされたことについて。-180706。

ゆうべは地元でも、かなり雨がふった。夕方、2時間ばかり、雨が弱まった。これなら大丈夫だろうとおもった。涼しいし、運動不足の解消のために・・・と出先から自宅まで3駅分(約8キロ)を歩いて帰ることにした。しかし、2駅分くらい歩いたところで、雨が急に…

接骨院の先生とのやりとり。-180608。

2日まえ、近所の接骨院にいった。空いていて、患者はわたしだけ。先生といろいろな話をした。正直なところいうと死にたいと考えていると 話した。先生は、その死にたいは 死にたい ではない、と。何か、違う気持ちの可能性があるからほんとうの気持ちをもっ…

ぎっくり腰のシーズン/夢をみる/Nicc-180530-180531。

近所の接骨院の先生が 言っていたんだけど、ぎっくり腰のシーズン、があるそうだ。先生は、季節の変わり目ごろに・・・、とかそういうふうには言ってなかったが、年間で、ぎっくり腰の症状を訴える人が あきらかに多いと感じる時期があるという。「今年もそ…

そもさん-7-180529。

商社の営業事務だったときのこと。自分よりも10ちかく年下の同僚が、営業に「めんどうなことを頼んでしまってごめんね」とかなんとか あやまられたときに、こう返した。「いえいえー、お仕事ですから。」それを聞いて、この子は おとなだなあー と思ったこと…

親鸞/疵

しりあいにすすめられ五木寛之の「親鸞」を読んでみている。三部構成になっていて、各部上下巻の全6巻。そのうちの第一部上下巻を読み終えた。ものすごくおもしろくてページを繰る手がとまらない、とまではいかないが、主人公の親鸞の ゆくすえが気になり、…

アルスラーン戦記9巻/読みたい本1冊/見失うことへの不安感

2週間くらいまえに道でつまずいて足首の靭帯を何本かいっきに切る、すなわち重度の捻挫というそこそこのケガを負った。(いつも思うのだが、遭遇するトラブルとその結果のバランスがおかしい。)あんまりまじめに養生しなかったのでお医者さんに叱られたし叱…

そもさん-6-180430。

人は、みずから設定した、こうあるべき的枠組みにみずから入っていくくせに、その枠のなかで苦しがる。枠外だと感じることも、やっぱり苦しい。子どものときにはゲームの何を持ってる どんな家に住んでるお母さんお父さんが何してる 誰が好ききらい・・・余…

シュタイナー哲学の講読講座を受けだした-180428

ルドルフ・シュタイナーの、講読講座を受け始めた。会場が近くてありがたい。昨年暮れに倒れて仕事を辞め 体は壊れて動かず心もなんだか死にたいおもいにさいなまれなにもかも失ったみたいなかなしいきもち。それでも ぼんやりする頭のなか、勉強したい、と…

そもさん-5-180427。

働くことが、しんどいだけのことだというわけではありえないはずだ。働いてきて困らされたこと、体を壊したことは多々あった。それらは今このように考え込むきっかけともなったがいつでも、楽しく刺激的だった。働くことのつらさきつさをだれもが言う。でも…

無題

活字にふれるようになってからこのかた、自分の生活に反映させるなにかをえるためという頭で、本を読んだことは、ほとんどなかったようにおもう。本を読んで、それでなにか考えたことがあったとすれば「読んだ本のこと」であり、こういうことを読んだ、だか…

そもさん-4-180426。

前回まででの思考は性急にすぎたかも。慎重に考えていくつもりだけれど、前回までとつじつまがあわないことを考えるかもしれない。ここまで考えてきたように、いまの自分には仕事と遊び、働くことと休むこと といったような対比的なもののみかたがうっとうし…

そもさん-3-180423。

「仕事と遊び」「働くことと余暇」だれに教わったわけでもないのに、そんなふうにセットでとらえる思考のありかたはおそらく、仕事、働くことがまずあって、それから生まれたものではないか。働くことがうまくいくように、より生産できるように、より利益が…

そもさん-2-180422。

自分にとって前職は「生きがい」であった。多分だが、いままでもずっと、仕事をすることそれじたいを、「生きがい」として心のなかに位置づけてきたとおもう。遊ぶことがきらいなわけじゃない。が、遊びって、これはこれでけっこう大変だ。せっかく遊ぶのだ…

呆然散歩/KAJALLA#3-東京千穐楽/「双亡亭壊すべし」7-8巻

日曜日。散歩。小林賢太郎さんの舞台2回め。藤田和日郎「双亡亭壊すべし」8巻もおもしろかった。

そもさん-1-180417。

自分は生きていてよい存在なのか、生きる意味があるのか、そんなことをどうしても、思わずにいられない。それはみじめだし、とてもかなしい。わたしの生命のどこか、人生のどこか、つまりたぶんこの心のどこか奥のほうに、こんなことを思わずにいられなくな…

かえりみる

おわったことをいつまでも嘆いてもしょうがない、それはそれとして背負って前に進もうと、そんなあたりまえのことを考えられるときも、一時期よりは増えた。いまや関知できないところにいってしまった人がどうやら元気にしていると風のたよりにきけばそれだ…

かかわりあい

きもちをうまく表現できない。だれにでもあることだ。おおげさな話じゃなくても、たとえば思いを行動にできないとか。心にもないこと言っちゃうとか。だれにでもあることだから、できれば、まあそんなこともあるもんだと、受け入れあい、ゆるしあうのがいい…

『イワン・イリイチの死』考。

レフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』の感想。なにかすごくひさしぶりに「ちゃんと本を読んだ」かんじがした。

イワン・イリイチの死におもう。

強烈すぎる哀しみやさびしさ、あせりやいらだちをひとり 心に抱えきることが、できそうにない。とてもつらくて、すぐにでもこの荷物を降ろしてしまいたい。それで わたしはろくろく考えもなしに、こうして書いてしまう。いてもたってもいられないから書く、…

父のこと覚え書き

叔父と会った。また父についての話を聞いた。(母のこと、両親の夫婦関係のことも含む。)できごとを言葉に変換すると、できごととは異なるものになる。でも、書いたものを総合的に観察すればイメージがくっきりしてくるかも。長い年月離れすぎて、父がもう…

映画の感想-「マリー・アントワネットに別れをつげて(2012)」/村上龍のビジネスエッセイ-180401。

マリー・アントワネットの映画を観た。村上龍の本を読んだ。

ふらつく

休養中の身だが、休養していない。じっとしていることに耐えられないためだ。月曜から金曜まで動き回っている。土曜も日曜も動き回っている。まわりに心配をかけている。そりゃそうだ。ほんとうはだれもいない、なにもない部屋で、日がな ねっころがっていた…

おきざりにしてきたこと。

死んでしまいたいというよりは、漠然とただ消えたい、いなくなりたいというきもちだ。そのきもちは とてもつらいもので、つらいきもちにあえて自分をおとすことで生きていることを実感したい、つまり 消えたいとおもうことは 生きたいというきもちの裏返し、…

伊藤整「文学入門」/味噌でにぎったおにぎり/時間やお金のつかいみち

先日 神保町で伊藤整の有名な 「文学入門」の54年版がずいぶんお買い得におもわれるお値段で 出ていたため購入しておいた。つい数日前 講談社文芸文庫のを図書館でかりてよみなおしたばかりだった。それに、古書は 立ち読みするものでそう気軽に 購入するも…

気づいたこと。

気づいたこと。なんらかの「対立」に直面したときの自分の対処方法として特徴的なこと、または行動のクセ→なにはともあれ 一対一で、真正面から向き合って、本音で話し合おうとする。 相手の事情やきもち、タイミングなどを考えることなく。 そうすることが…