BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

そもさん-4-180426。

前回まででの思考は性急にすぎたかも。
慎重に考えていくつもりだけれど、
前回までとつじつまがあわないことを
考えるかもしれない。

ここまで考えてきたように、いまの自分には
仕事と遊び、働くことと休むこと といったような
対比的なもののみかたがうっとうしくなりつつある。

ここ数年、年末年始にお世話になる山梨県のお寺で、
年越しイベントのときに、子どもたちがやる
「くじ屋さん」のほうが(やるのは小学生で、もちろん無償)
わたしが知る、会社組織における労働よりもよっぽど
原始的な意味で「仕事」っぽい。
困ったことを解決するため、または他人のために
自分の体とか頭とかを動かして一生懸命なにかやる、
それを彼らは、あんなにたのしそうに、やるからだ。
まあ、ただの、遊びの延長みたいなつもりなんだろうけど。
お金のこととかなにも考えに入れず、ただたのしくやってる。

ここにきて豁然と、彼らがまぶしい。

社会って何、ってことを多少なりとまともに考えるには
わたしはまったく、なにひとつ、わきまえていない。
だからなんとなくのイメージで言葉を遣って恐縮だが、
わたしも、この社会に、この時代に生きてる。
そしてこの社会、この時代は、
過去からのときのつらなりのうちにあるはずだ。
わたしが
「あー 自分のしてきた『仕事』なんかよりも
あの子どもらの、無償ボランティアのほうが
よっぽど『仕事』ってかんじがするな~」
とおもうのには、たぶん背景がふたつある。
ひとつはどう考えても、「わたし個人の事情」だ。
これについては別の項で詳細に書きくさっているから
ここではふれない。・・・
そして、もうひとつは
「わたしが生きるこの社会」じゃないかなとおもう。
社会にも、そしてこの社会ができるまでの
ときのながれ(過去、歴史)のなかに、
おそらくはこういう考えが
わたしのうちにわいてもおかしくない
事情とか理由が、みいだせるんじゃないかな。

わたしには
仕事と遊び、働くことと休むことっていうような
シンプルでそれっぽい、概念的対比が
もうぜんぜん、現実感をもって心におちついてこない。
いっかい なんか変だ、と思いだしたら、
ヘンとしかおもえないし、そうしたらつっこんで考えないと
気になっておちつかなくてどうしようもない。
というか、このような考えかたをこれからもしていったら、
今度こそわたしは決定的に壊れる、と危惧されて、
だから考えかたを変えなくちゃ、と。
せっぱつまったかんじがある。

働くことと遊ぶこと、労働することとなにもしないこと
この二項対立に かわる、なにか
生きることを支えてくれる概念みたいなものってあるんだろうか。
あるならそれはどういうものなんだろうか。
それをどう心に据えていけばいいのか。
それ以前に、
こうした概念的対比って、いったいどこからきたのか
(いったいだれからわたしはこんなことを
さも当然のことのように教わったのか)ってことも、
できれば知りたい。原因がわかれば対処法もわかると
そんな単純な問題なら悩みもしないってことは、よくわかるが。
うっとうしいと感じるから、きゅうくつだからというだけで
わたしはこの あたりまえみたいなものの考えかたを
手放していいんだろうか。
手放していい理由はあるんだろうか。
わたしはまちがったことを考えているんだろうか。
でもまちがっているかどうかは
考えていけばわかるんだから、
それまでは考えていけばいいだろう。