BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『キングダム・オブ・ヘブン』-201108。

原題:Kingdom of Heaven
リドリー・スコット 監督
ウィリアム・モナハン 脚本 
2005年、米・英・独・スペイン合作

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良く良く考えると「ウーン?」となる所もあるにはあったが
観ている最中はそうはならなくて、十分楽しく観られた。

3時間くらいある長い映画だが、必要な長さだったと感じた。
政治情勢、宮廷内の勢力関係図、人物相関を過不足なく説明し、
理解させる、ということだけであれば、
90分とかでも事足りると思うのだが、
そこに付随する人の心のこまやかな動きや、
言葉にならない「空気の流れ」といったものまで描きたい場合は
時間をかけて説明して、ゆっくり見せていかないと、
どうしてもダメなことがあると思う。
特にこの物語は、クライマックスのエルサレム防衛戦が、
いかに無意味なものであるかを、強調しておくことが必要だった。
エルサレム防衛戦は誰がどう見ても無益ないくさです」と 
観る者にあらかじめイヤってほどわからせておかないと、
エルサレム防衛戦の場面は、ただ規模がでかいだけで
退屈きわまりない平凡な戦闘シーンになってしまうし、
この映画自体、なんの価値もなくなっちゃうと思う。
そうならないためには、やっぱり、時間が必要だった。
正直、3時間でもまだちょっと足りなかったという気がする。

リドリー・スコット監督、さすがですなあ・・・
わたし好きなんだよねリドリー・スコット監督の映画。
大人の余裕というか 手慣れているというか。
まったく、なんの心配もなく、安心しきって観ていられる。
スタンリー・キューブリックを思わせる監督さんだなあ。
ピリッと引き締まりつつもどこかなめらかで幻想的な映像といい
自分のビジュアルイメージややりたいことがちゃんとあって
絶対にそれを形にするんだ、形にできないわけがない、
という意志を感じる所といい・・・
良い時とそうじゃない時の差が激しすぎる所は
ブライアン・デ・パルマを連想しまくってしまうが。

サラディンエルサレムを征服されそうになった時、
エルサレムの俗物の聖職者が、びびったのか、
「今だけイスラム教に改宗して、助命を嘆願しましょう。
 きっと神もお許しくださるでしょう」
とか めちゃくちゃなことを言う。
バリアンは
「それが民衆にえらそうに聖句を説いてきた
 聖職者さまの言うこととはね」
と あきれていた。
また、バリアンが、戦死した兵を合同火葬しようとしたとき、
その聖職者は、宗教的に火葬はちょっと・・・、とゴネた。
バリアンもキリスト教徒だから、普通は土葬だということを
ちゃんと知っているのだが、
戦場のような不衛生な環境で、遺体を長時間ほうっておくと、
それが元で疫病とかが流行るおそれがあるので
ここは早く対応できる火葬が適切、と判断したわけだ。
バリアンは
「神も(この場合は火葬もやむをえないと)理解してくれるだろう。
 もし理解してくれないとしたら、そんなやつは神じゃない。
 だから、神がお怒りになるとか、そんなことは心配しなくて良い」
ということを言って、聖職者を黙らせた。
このへんを観ていた時に、
リドリー・スコット監督は多分、神の存在を信じていないか
不可知論寄りの無神論者、みたいな立場なのかもなと思った。
でも、そのスタンスも、監督はそんなにまじめに
つきつめてるわけじゃないかもしれない。

この映画で一番カッコ良かったキャラクターは、
エルサレム王ボードワン4世(エドワード・ノートン)と、
サラディン(ハッサン・マスード)だった。

ボードワン4世とサラディンは、
敵同士だけど、どちらも優秀なリーダーだった。
お互いに尊敬しあっているのが伝わった。
自分の行動が、いつでも非常に重い意味を持つ、ということを
わかっている、思慮深く慎重な人物として描かれる。
それがわかってないのは能なしの臣下どもばかり、
(おもにボードワン側の臣下。)
という風に、手厳しく描写されていた。
だけど、
自分がいなくなったあとも正しい政治が行われるように、
志を継いでくれる後継者を育てておくことも、
リーダーの重要な仕事、なのだとしたら、
サラディンはともかく、ボードワンの方は
それがやれていなかった。
ボードワンの部下は目先のことしか考えないボンクラばかりで。
切ない・・・

ボードワン4世の妹(史実では姉?)シビラ姫を演じた
エヴァ・グリーンは、役にハマり切らなかった気がした。
彼女は本当に美しいし、高貴な雰囲気もあるので、
身分の高い女性の役が得意なことは良くわかる。
だが、シビラ姫としては、どうも、
人間らしさが感じられなかった。
冷たい美貌の奥に秘めた、生々しく孤独な女性の心を
もっと表現することが必要だったのではないか。
どうにもこうにもハマらないので監督も思い余ったのか
最後には彼女の長い髪の毛をジョキジョキ切って、
ベリーショートとかにまでさせていたけど
そこまでやってもやっぱり最後までハマらなかった。
でも、息子がボードワン4世と同じ病におかされていることが判明して、
苦悩の末にある決断をする所は、哀しくて良かった。

ティベリウストリポリ伯レーモン3世、ジェレミー・アイアンズ
は、最後までエルサレムにとどまってくれると思ったのに、
なんであそこで撤退しちゃうの!!!
取り残されたバリアンと民衆が気の毒すぎた。
バリアンも、黙って出て行かせないで
「残ってくださいよ~!」って言えば良かったのに!
でもあそこで、ティベリウスも残って戦ったら、
犬死にする確率が非常に高いので、
そうなると、エルサレム王国騎士がひとりもいなくなる。
将来のことを考えるとしかたなかった・・・のか・・・?
でもそれならそうとちゃんと説明してくれれば良いのに
「俺はずらかるぜ!」って感じでそそくさと行ってしまった。
なんだよティベリウス~!!! って思った。

映画の感想-『パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち』-201106。

原題:Backstage
マレーネ・イヨネスコ 監督
2016年、仏

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振付師、コーチ、楽団の指揮者、ピアニストと一緒に
ダンサーが、少しずつ踊りを作り上げていく過程を
見るのはおもしろかった。

一見華やかなバレエだけど、
なんて過酷なのかと思った。
みんな汗びっしょり、
みんな誰よりも練習していた。
みんな足が痛そうだった。

コーチが、最初から最後まで、何回も踊りを見たのに、
ダンサーが「自信がないからあの部分をもう一度やります」
とか言って意欲を見せると、
「あらそう、じゃあ、もう一度やってみて。最初から」
と、しれっと「最初から」を上乗せオーダーしていた。
ダンサーや周りの人が「最初からですか!?」
と、びっくりしていた(笑)

2013年の10月までパリ・オペラ座バレエ団の
最高位ダンサー(エトワール)だった
アニエス・ルテステュの
練習風景も収められていた。
練習の時こそ彼女は美しかった。
インタビューの場面などでは違った。
お化粧とおしゃれバッチリで
ブローしたロングヘアの彼女は
こう言ってはなんだが、
フランスにいくらでもいそうな
俗っぽい普通のマダムだった。
練習中のアニエス・ルテステュは
ひっつめ髪で、すっぴんで、
汗だくのレオタード姿だし、
トウシューズを脱ぐと、つま先に詰めた綿に、血がにじんでた。
でも、途方もなく美しかった。
ダンサーは踊っている時が
一番美しいんだと思った。

映画の感想-『キーパー ある兵士の奇跡』-201106。

原題:The Keeper
マルクス・H・ローゼンミュラー 監督
マルクス・H・ローゼンミュラー、ニコラス・J・スコフィールド 共同脚本
2019年、英・独合作

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良作だった。

ナチスドイツ兵でありながら
戦後~50年代にかけて
マンチェスターシティFCのキーパーとして
活躍した実在の人物の物語。

こんな過酷な設定の人生、あるんだなあ。

最初から一番頭がやわらかいのが舅、
というのがおもしろかった。
地元の弱小サッカーチームの
監督なんかでなかったら、
サッカーが好きでなかったら、
彼もあのように寛容にはなれなかったと思う。
でも勝ちたかったから、優秀な選手が欲しかったのだ。
サッカーというスポーツの影響力を
垣間見たような気がした。

それに、チームのレベルが高ければ高いほど
人間的にも優れたメンバーが多くなる、
という描かれ方だったのがおもしろかった。
主人公バートが最初に籍を置いた、
地域の小さなサッカーチームでは、
バートがドイツ人であることで、
彼の加入に拒否反応を示すメンバーが多かった。
(だが彼らも最終的にはバートを受け入れる)
つぎに、そこから引き抜かれる形で入団した
一流チーム・マンチェスターシティFCでは、
バートが出場する初めてのゲームで、
競技場に集結した十万からの観客の
すさまじいブーイングと怒号が、
選手控室まで聞こえる状況でも、
メンバーは最初からバートを受け入れていた。
心中ではいろいろ思うところもあったんだろうが。
あの仲間たちの態度は本当に立派だった。
わたしが当時の英国側の立場だったら
あんな風にできるかどうかわからない。

ユダヤ人コミュニティの指導者的な男性が
地味だけど重要な役割を果たしていて良かった。

話が戻るが、
バートが最初に所属したチームで、
負けがこみ、ここが正念場という時、監督が
「勇気を見せろ! 祖国のために戦え!」と
発破をかけた。
英国人であるメンバーたちは
みんなこれに大いに発奮してゲームにのぞむのだが
ドイツ人であるバートは、コーチがこう言ったのを
どんな気持ちで聞いていたのか、と思った。

マーガレットの部屋を訪ねることを一度はあきらめるも
自分の部屋に戻ってみると、・・・というあの展開は
とても美しく感動的だった。
そこからふたりの結婚までが
驚くほど ひとっとびなのが良かった(笑)

マーガレットの彼氏ビルの
かませ犬感がすさまじくて気の毒なほどだった。
だが、そんなビルを見直した場面がひとつあった。
彼は、一番最高に怒っていた、あの雨の夜でさえ、
絶対に言ってはならない最悪の言葉だけは、
バートに言わなかった。
あの時、ビルのことを立派だと思った。
喉元まで出かかったのだろうと思う。
バートを傷付ける最も効果的な言葉はないかと
本当は探していたはずだ。
バートも、言われたとしてもこの際、この一回だけは
こらえてやっても良いと思っていたかもしれない。
だが、ビルは、言ったら自分がみじめになるだけだと、
これだけは何があっても言ってはいけないのだと、
わかっていたから、すんでの所で耐えたのではないか。
結局ビルは自分が欲しかったものを全部
正攻法でバートに持っていかれてしまった形であり
こんなことをわたしが言っても慰めにもなりはしないが、
偉いと思った。

バートがドイツに送還される前夜、
チームのメンバーや近所の人びとが
彼のためにサプライズパーティを開いたのが泣けた。
一週間かけて練習したというドイツ語の歌にのせて
心づくしのお餞別を贈っていた。
当時あれだけの品物を用意するのは大変なはずだ。
それをよそ者に、かつての敵国の男に贈る。
バートの努力と誠意が、英国の人びとに
ちゃんと伝わっていたことが良くわかるシーンだった。

愛する者の墓に見守られて
遺された者が取っ組み合いのケンカをする場面は切なかった。
本当に憎むべき相手はそこにはいないのだ。
殴り合ったって、愛する者が生き返るわけじゃない。
だが、ああでもしないとやっていられない。
これほど切ないケンカがあるだろうか。

いわゆる天覧試合となったらしい、
マンチェスターシティFCの重要なゲームでは、
テレビ観戦している人たちまでもが


女王陛下が観戦席に着く所が映し出されると
起立・脱帽して胸に手を当てるのが良かった。


冷静に考えると、
やや穏当にすぎ、設定の割に葛藤が少ない物語だった。
バートは、もっと感じの悪い、もっと陰湿な、
もっと手の込んだ、もっとイヤーな目に、
終始見舞われ続けた方が、
話としては面白かったんじゃないかという気がする。
きっとバートがミスをするたび、サポーター間でさえ
過去をあげつらい彼を責める声が上がったのではないか。
バートを平和の使者としてまつりあげようとする力がはたらき
サッカーに集中したい本人を困惑させはしなかったか。
そういうのをまったく描いていなかった。
マーガレットの父親をはじめ家族たちもみんな
口ではいろいろ言いながら見るからに最初から
バートを受け入れる気満々だった。
それを「だって英国人はみんなサッカーが好きだから」
で、まとめるには、そのためのお膳立てが足りなかった。
もろもろ、葛藤が少なすぎた。
また、実際の、バート・トラウトマンこと
ベルンハルト・カール・トラウトマンが
決して聖人君子などではなかったことも
Wikiなどで調べればすぐにわかる所なので
きれいな所だけ見つくろったな(笑) って感じは否めない。
(なんでも全部正直に描けばそれで良いかというと
 もちろんそういうわけでもないのだ)
バートを演じたダフィット・クロスは良かったのだが、
やや笑顔がヘラヘラしているというか、人好きがしすぎた。
また、彼ら夫妻が、ある非常な苦境に立たされる所で
妻のマーガレットが傷付いてげっそり青ざめてる時に
バートはお肌が健康的で血色良くつやつやしてた。
役者のせいというより照明・撮影・演出のせいだろうが
なんか、どーなんだと思った(笑)


だが、良い場面がたくさんあった映画だった。
心に響く所も多かった。
隠れた良作と言えると思う。
観て良かった。

映画の感想-『ブレードランナー』-201105。

原題:Blade Runner
リドリー・スコット 監督
ハンプトン・ファンチャー、デヴィッド・ピープルズ 脚本
フィリップ・K・ディック 原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
1982年、米・英合作

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あー 何度観ても良いよねえ。

折り紙のユニコーンを拾う所が好きだ。
それ以外も全部好き。

2001年宇宙の旅』は さらにこの13年前なんだと思うと
もうなんか怖いな。いろいろと怖い。



映画の感想-『Vフォー・ヴェンデッタ』-201104。

原題:V for Vendetta
ジェームズ・マクティーグ 監督
ラナ・ウォシャウスキー、リリー・ウォシャウスキー 共同脚本
アラン・ムーアデヴィッド・ロイド 原作及びキャラクター考案
2006年、米・英・独合作

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適切な予告動画が見付けられなかった。

こういう、
グラフィックノベルベースで、ディストピア系の話
・・・というと、最近だとやっぱりわたしなんかは
『ジョーカー』(2019年)が記憶に新しすぎるのだが、
なんかあれに比べると、
この『Vフォー・ヴェンデッタ』は、
物語の世界で起こることをそんなに真剣に受け止める気に
なれない、そんな何かがあった(笑)
だが、これはこれで、とても楽しんで観た。

「V」が話す英国なまりの英語がカッコ良かった。

欲を言えば、もっとこの物語の世界を良く知りたかった。
アメリカ合衆国を植民地支配する
 ファシズム体制のイングランド
なんて、文字面だけ見てもワクワクする世界観だが、
仮にイングランドがこのような国家体制だと、
具体的にどういうことが起こるのかとか、
人びとのものの考え方が、どんな感じなのかとか、
いろいろと、もっともっと細かく映像で見てから、
本筋への導入を受けたかった、という気がする。
だが、実際には、
独裁者サトラーが終始ギャーギャーやかましい、というだけで、
あとはこれといって、眼につくような興味深い所がなく
なんかちょっと残念だった。

ヒューゴ・ウィーヴィングの前に
「V」を演じることになっていた役者さんがいたそうで、
撮影もすでに進んでいたそうなのだが、
「V」は、物語の最初から最後までずっと仮面を着けている役なので
役者さんが強いストレスを訴えるようになり、降板して、
最終的にウィーヴィングにお鉢が回ったという話を聞いた。
そりゃストレスもたまるだろうな。

ヒロインのイヴィーが、あるひどい仕打ちを受けて、
相手に怒りをぶつける場面があった。
ひどいことをされて怒るということは、
自分はもっと尊重されてしかるべきだと訴える、ということだ。
あんなにハッキリと怒りを表明して
「自分の大切さ」を主張するイヴィーを見て、
この人はなんて強い人なんだ、と思って、
うらやましかった。



映画の感想-『ミッドナイトスワン』-201102。

英題:Midnight Swan
内田英治 監督・脚本
2020年、日本

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15分の予告編ってすごいなあ(笑)

『TENET』や『鬼滅の刃劇場版』などなどの超ヒット作のかげで
着々と動員数をのばしているような話を小耳に挟んではいた。
でも、主演が元SMAPの草彅剛さんなので、
まあ「SMAPファンのお祭りみたいなもんだろう」とか思い、
直前まで、この映画を観る気は、実を言うとなかった。
けど、ふと思い出して、20時以降の一番最後の回に
飛び込んで、観てみたところ、非常に素晴らしい映画だった。
何の予備知識もなしに、なんの気構えもせずに観たせいか、
その感動たるや後頭部をおもいっきりぶんなぐられるような、
肉体的なショックに近い感じの・・・
そのくらい心にゆさぶりをかけられた。

まあ、完璧とか、そういう感じの映画ではなかった。
多少、編集がザツというか、説明を端折りすぎたために
わからなくなってしまっている所が、散見されはした。
だが、それは全部、映画を観終わって、原作小説を読んで、
そのうえで冷静に分析を試みた結果、気付いたことであって、
映画を観ている間は、正直、そんな所は気にならなかった。
映画を観ている間に、ちょっとでも気になってしまったら
この作品は駄作、と判断していたかもしれないが・・・。
全然気にならなかった。
めちゃくちゃ集中して観た。

草彅剛さん・・・あなた名優だよ。
完全に「凪沙」だと思って観てたよ。

りんちゃんが「ああなる」場面などは
あまりにもショッキングで
(まさか「ああいう」ことにまでなるとは思ってなかったので)
映画館で鑑賞中に、普通に「あっ!!!!」と声を出してしまった。

この映画は、
キャスティングが難航し、
新型コロナウィルスの感染拡大の影響で撮影も遅れ、
そもそも企画もなかなか通らず、結構大変だったらしい。

企画が通りにくかったのは、ちょっとわかる気がする。
なぜなら、この映画は、
「他者の愛情や顧慮を養分にして人は大きく花開く」
ということの美しさと残酷性を、
描こうとしていた作品だと思うからだ。

一果は、周囲の人びとの愛情や期待を一身に吸収して
あんなにも大きく開花していった。だが、
彼女が輝くように美しい存在になっても、
それで周りに何か返ってくるわけではない。
一果にすべてを懸けたために、お金も時間も健康も
いちじるしく損なうキャラクターが何人もいた。
だが一果の道のためにたとえ周囲で何が起ころうとも、
誰がどれほど一果のために犠牲を払ってくれたとしても、
その人たちに何かを返すために生きる義務は一果にはない。
一果は今後、バレエを辞めたってまったくかまわないし、
もし、ケガなどの事情でバレエが続けられなくなったら、
投資は完全に水泡に帰すわけだが、それでも一果に責任はない。
何も返ってこないとわかっていても注ぐのだ。愛するのだ。
そのためにどんなに傷付いてもすべてを失っても。
そういう思いを養分として咲く美しい花、
それがバレエという芸術なのであり、
人間、という存在だ。
人間といってわかりにくければ「子ども」ということだ。

この映画が描き出そうとしていたのはひとつには
確実にそういうことだ。
これは、すごく重要だが、非常に扱いにくいテーマだと思う。
「誰のためにこんなにしてやっていると思っているんだ」
なんて一果に言おうものなら、一果がかわいそう、
シンプルにそういう意味で、非常に難しいテーマだ。
描き方と、そのバランス感覚によっては
ちょっと間違えたらものすごく下品な話になっただろう。
また、ある種、時代に完全に逆行するメッセージと
とらえられかねないものだとも思う。
企画を通すのがとても難しかったのは、だからではないか。

この、腹の底の、底の部分で、どうしようもなく
伝わる感じみたいなのはいったい何なのかと思う。
残酷ですさまじい。だけど途方もなく美しかった。

日本映画は、こういうのが好きだ。
完璧であって欲しいわけじゃない。
全力で作ったんだとわかる映画が好きだ。
挑戦してて、勇気があって、果敢な映画が好きだ。
こういう映画を応援したい。
こういう映画が、なんか忘れた頃にぽっと出てくるから、
日本映画を観ることをやめようと思いきることができない。
自分の国の映画を、観る方が先にあきらめちゃダメだなと思う。

この映画については、他の所で、もう少しちゃんと考えて
書いてみたいと思っている。

ゼンソクは起こらず毎晩平和

ゼンソクの発作は

治療を経て薬が決まって

その薬をのみはじめた日から

まったく出なくなり、

以来、安心して夜を迎えることができている。

朝と夜、薬をわすれずに入れている。

病院にもちゃんと行っている。

元気でいられるのは薬のおかげであることをしっかり自覚している。

もうあのつらかった発作の日々に戻りたくない。

ずっと薬飲むのかなーとおもうと気が重いが

それでもやっぱり発作で眠れないよりはずっといいよね。