BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

小休止-手記にからむ-20180404

ブログの中身を整理しないといけない、と考えている。
分類方法はいろいろとあるはずだ。
わたしが何かのブログの読者で
しかも1回かぎりでなく 何回か読み返してもよいとおもうような
項があるくらいの 読み手だとしたら、
その読み返したい項にすぐにいけるように
ジャンル分けされていればいいのにと 感じるだろう。

正直 めんどい。
イヤちょっとまて。
今週中には整理をこころみようかな。

今週はさいわいずっと元気。
睡眠障害は 依然としてあるものの
いまのところ涙がでてこない。
強い哀しみにおそわれない。
大型の、失神を伴うフラッシュバックがない。

手記を書き進める目的で
その資料・・・おもに録音データの聞き直しに挑み、
案の定 玉砕というお約束的な流れには
苦しめられているが
まあこれは 自分の意思でやって 自分で負けてる。
いつものフラッシュバックや、号泣発作のように、
不当感にのたうちまわらない。
自業自得というか、まあそりゃそうか、とおもえる面がある。
そんなことを毎日めげずに くりかえす元気がある、
といえば ある。

あたたかくて よく晴れる日が続いているから 
きもちが上向きやすいのかもしれない。

週末、早朝に都内にでかけて あちこち散歩したのも
なんだかよかったような気がする。
とても きもちがよかった。
根拠はないけど、都内だったのがよかったようにおもう。
都内なのに静かで人がすくなかったというのが。
今週末もまた行ってみようかな・・・。





手記-其の弐拾(仮題)-20171213-宣戦布告-1

2017年12月13日 水曜日。
出社をとりやめた翌日。

昼、ユニオンさんと打ち合わせ(都内事務所)。
いつもならとっくに出勤している時間帯だが、
労働組合の事務所を目指し、まったく別の路線の電車に乗る。

その車内で、
入社当初 教育係を務めてくれた
女性の先輩に、メール。

「きょうから出社するのをやめる方向です。
もう、くだくだとおわびの文句から
話を始めるのはやめます。
すでにお願いしたとおり、先輩にはしばらくのあいだ
わたしと職場との裏の連絡窓口を おねがいします。
当面は、病欠名目で休みますが、あとは適当にやります。
事情を知ってるのに知らないふりをするっていうのは
さぞかしご負担だとはおもいますが、
会社になにか聞かれても、知らぬ存ぜぬで
何もかも受け流してください。
近く、会社を相手取ってアクションを起こすので、
それまで、どうにかご辛抱ください。」
・・・
その他、仕事の申し送りを何件か付記し、
いっさいを託す。

先輩の返信。
「うまくやっておくから、心配しなくていい」。

事務所に行ってみると、
ユニオンのおふたりが、
・会社への団体交渉申し入れ書
・未払い賃金の支払いや、その手続きに必要な
 資料の提出などを 会社にもとめる要求書、
・提出ずみの給与明細や雇用契約書(不備があるが。)をもとに
 算出する、未払い賃金の試算書
を用意してくれていた。
書類を作っておく、という話ではあったが、
初回の面談から2日しか経っていない。
ここまでしっかりと いっさいをそろえてくれていたとは
おもわなかったので、驚いた。
「フォーマットがあるから、手間じゃないんです」。

前日12日の 専務とのやりとりの概要を説明し、

手記-其の拾玖(仮題)-20171212-フェイドアウト - BRILLIANT CORNERS-2

このときの録音データをそっくり おふたりに渡した。
さらに、これからの会社との係争の 
だいたいの流れを確認したあと、
すぐに
「じゃあ、この申し入れ書と要求書を会社にFAXして、
いよいよ、始めるとしましょうか。」

ユニオンのSさんが、
会社に力をかしてくれそうな人がいるなら、
その人に連絡をとって、FAXを読んだ直後の
上司たちのリアクションを
録音しておいてもらってください、とのこと。

労働組合の権利は法律によって強力に保障されています。
従業員が労働組合に加入したこと、
従業員が労働組合員であること、
従業員が組合活動をしていることなどについて、
使用者が悪く言ったり、そのことを理由に出社停止処分にしたり
いやがらせをしたりすることは、違法になります(※1)。
そういうことを 会社が言ったりやったりしたことの
証拠があれば、たとえ告訴をするわけではなくても、
団体交渉において、こちら側の武器としてとっておけます。
たとえば、これから送るFAXを 専務や上司がみたときに
Yさんの悪口を言ったりするような場合です。
ですから、会社の人に頼めるなら、録音してもらってください。」

(※1)労働組合法 第2章「労働組合」-第7条「不当労働行為」

e-Gov法令検索


・・・

お願いできて、しかもうまくやってくれそうな人といえば、
やっぱり、今朝メールした 女性の先輩かなとおもい、
Sさんに FAXを送信するのを数分待ってくれるよう頼んだ。
先輩に、FAXがこれから会社に届くことを知らせ、
社内のリアクションの録音をおねがいするためだ。

先輩に送るメールを作成しているあいだ、
ユニオンのおふたりに 二、三、たずねられた。

Sさん
「ちなみにYさんは、ご自身のことを、
仕事で、どういうキャラとして
見られているんだとおもいますか?」

わたし
「できない子キャラですよ。
任されたページを自力で書き上げられるようになるまでに
時間がかかり、それができるようになったあと任される
『進行』の段階に、なかなか進めませんでしたから。
半年以内に、そこまでできるとみなされて、
はじめて研修期間終了ですが、まにあいませんでした。
わたしは、本来半年で終わるはずの研修期間を 
さらに半年延ばされました。
途中で1回、体を壊したことも一因だったんだけれど、
研修期間中は契約社員なので、
半年でものにならなければ、契約を切ってさようならが通例だけど、
わたしは ギリギリそうならなくて、
もう半年様子をみるか、と なったようです。」

Sさん
「性格とか、人柄とかの面ではどうですか」

わたし
「ふつうにみんなとうまくやっていたけれど、
仕事できないから上司受けはとにかく悪かったので、
上司には
『何を言ってもへらへらしてて、響かないから腹立つ』
みたいに思われていたんじゃないかな。
基本的に道端のゴミみたいに無視されるか、
人間じゃないみたいにけなされて
完膚なきまでギッタギタにされるかのどちらかでした(^^)」

Mさん
「会社にケンカを売るなんて、まさか思っていない感じですかね」

わたし
「会社は、わたしのことを、
こんなことができるやつじゃないと思っているとおもいます。
ちょっと前までは、もっと、警戒されているのかもしれないと
ふんでいたんだけれど、
きのうの専務とのやりとりで、そうでもないのかな?と。
わかりませんが・・・。
でも、これから送るFAXを見たら、きっと会社は、
ものすごくびっくりするとおもいます。」

・・・
先輩に、社内の様子を録音してくれるよう頼むメールを送ったところ、
「可能な限りやってみる。」
「もうバトルスタートなんだね!早かったね!!」
と 返信あり。

Sさん
「じゃあ、FAX送りますね。」

・・・
Sさんは、すぐさま、流れるようなしぐさで
スマートフォンの受話をスピーカーに切り替えて
端末をテーブルに立て置きにし、
さらに端末のすぐ近くにICレコーダを設置して、
録音スイッチをオンにした。
そして、わが社に電話をかける。

会社
「はい、〇〇〇社です。」

あ、後輩くんの声だ。
倒れたわたしを介抱してくれて、
あとで、「こんなふうに倒れてました!」って
床にいきなりねっころがって再現してくれた・・・。
彼は社歴が短いから、積極的に電話番をしているからな。

Sさん
「どうも。労働者を食いつぶすブラック企業の是正のために闘う
労働組合ブラック企業ユニオン(※2)の、Sと申します。
このたび、御社のYさんが当組合に加入し、権利の回復のために
団体交渉を申し入れる意思を表明されています。
つきましては、代表の方とお話がしたいのですが。」

後輩くん
「(甲高い声でかみしめるように)ぶらっくきぎょうゆにおん。」

Sさん
「はい、代表の方はご在席ですか?
さきほど、団体交渉申し入れのFAXを御社に送りましたが
それは届いていますか?」

後輩くん
「少々お待ちください(保留・・・)
FAX届いていました。
あと、いま、専務は別の電話に出ているのですが、
15分もすれば終わります。」

Sさん
「では、そのFAXをお読みになった状態で
あとでお話ができるように、
専務の机にFAXを置いておいてください。
また、電話があったことを伝えてください。」

後輩くん
「わかりました。お電話があったこと知らせておきます」

びっくりさせてごめんね、後輩くん。

※2 NPO法人POSSE下に さまざまなジャンルに特化した
ユニオン(労働組合)が作られている。
エステ業界の労働問題をあつかう「エステユニオン」
保育士さんの労働条件向上のために闘う「保育士ユニオン」
などなど。
ブラック企業ユニオン」も、
そうしたPOSSE下の専門型ユニオンのひとつだ。
わたしが加入したのは「総合サポートユニオン」だが、
Sさんは総合サポートユニオンのほかに、
ブラック企業~」を含む複数の組合で活動している。
わが会社に心理的プレッシャーをかけるために、あえて
ブラック企業~」の肩書を選んだようだ。

・・・

Sさん
「(電話を終えて録音をいったん切り)
15分したらほんとに話せるんですかねえ(笑) 
ま、べつにいいですけど。」

わたし
「電話をとった後輩くんが、『ブラック企業ユニオン』という
ところから電話があったと伝えたのであれば、なんだその
おそろしげな団体名は、と警戒してネットなどで調べ、
さらに社長(専務の母)に電話で相談し、頭がまわれば
弁護士にでも連絡をとって、できるだけ心づもりしようと
思っているのかもしれません。」

Sさん
「そうですね。ま、弁護士にかんでもらえれば
話が早いので、こちらも助かるんです。
ただ、弁護士も人権派ばかりともかぎらない。
『負けたくなければよけいなことはしゃべるな』
などといって依頼人をだまらせて、団体交渉の前に
証拠資料の隠ぺいや改ざんを指図する悪い奴が
いるんですよ。そういうことをさせるヒマを与えずに
たたみかけたいのが、正直なところですね。」

15分後、
意外にも専務からSさんに電話がかかってきた。
話しながら、別室に移動する足音がきこえてくる。
・・・
専務はイヤなことや怖いことは早く終わらせたいタイプの
性格だ、たしかに。
待つのではなく、自分からつっこんでいく。
いつまでもうじうじせずに自分からかけてきたのは
その性格のせいもあるのかもしれない。

かつて 大学の編入試験の日
黒板にはりだされた、
最終試験に進む受験者のリストを見るために
試験会場の階段教室を、一歩一歩降りていった。

あのときとおなじくらい 緊張した、
専務の足音を スピーカーごしに聞いていたとき。
もうなんか、倒れそう(^^)。
(ま それほどの思い入れをもって入った大学を、
わたしは卒業しなかったんだけれど。そりゃ別の話。)

専務は、どのような反応をみせるのだろう。

・・・


小休止-手記にからむ-20180403

ここから先は「きかんしゃトーマス」の話と
どっちとが、とも 決めにくいほど、書くのがつらい。
というのも、録音を聞き直さなくちゃならない。
退職を決めてから出社とりやめまでの2週間ばかりも
職場でのできごとや 専務と話したときなど
録音をするよう努めたのだけれども、
とりわけ労働組合に加入し、
団体交渉(と、その準備)に入ってからは、
係争にまつわることはすべて、音で記録をとってきた。
団体交渉の顛末をより正確に思い起こし、書いていくには 
その録音をぜんぶちゃんと しかも何回も、聞き直す必要がある。

わたしがそうしたい。
誰かが待っているからやらなきゃ、じゃない。
書く必要がある、うっとうしいほど克明に。
でなくちゃ前に進めないと強く感じる。
だから書く。でもちゃんと書くためには録音を聞かないと。

聞き直しの作業は、
身の毛もよだつほど、嘔吐をもよおすほど、イヤだ。
当時のことを今しも体験しているかのようにぜんぶ
やり直し、感じ直し。殺す気か!!
すでに何回もこころみたけれども、いつも途中でやめちゃう。

こんなにイヤだとおもうとは。この数日、逃げている。
でも、大事なことから目をそらして
さして重要とも言えないことを
もっともらしく 言ったりやったり…それがなんになるというのか。
やるべきことやってない。わかってる。なさけないことだ。
もうさすがに自分をだまし続けるのにも限界があるとはおもう。
書くのは苦しい。でも逃げるのも地獄だ。


カラヴァッジョ。

カラヴァッジョのことを思う。

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(オッタヴィオ・レオー二作の肖像画 パブリックドメイン

心って、かきむしるように、血のにじむようにかなしい。

人並みはずれて敬虔な男だったようだから、
病んだ者、心貧しき者こそ救われる、
という教えを 知っていて、心の支えとしてたはずだ。

でも、
法悦のマグダラのマリア」や

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(Mary Magdalene in Ecstasy パブリックドメイン
左の目もとにかすかに涙。


ゴリアテの首を持つダビデ

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(Davide con la testa di Golia、パブリックドメイン
ゴリアテの顔がカラヴァッジョ自身、
ダビデの顔は同性の元恋人か、あるいは
若かりし頃のカラヴァッジョと考えられているとか。

…のような、自らへの慰藉や自虐をこめた絵を描いたのは、
安寧がえられず
改悛を形にせずにいられなかった、
赦しがあるという確証がほしかった、
社会的に要らないと言われたくなかった
そんなきもちのあらわれでは。

若くしてローマ教皇肖像画を描いたほどの
スターだが、名声と裏腹の、みじめな戦い。
芸術家は血を吐くように描くという。
天才とか、簡単に言ってはいけない

俺もみんなのようにちゃんとした人だったら、って
思ったこと、一度や二度じゃなかったろう。
でもできなかった、
少しの辛抱ができず失敗ばかり、
ガッカリされどおし、自分も苦しみどおし、
生涯と作品から、そんな彼がみえる。

カラヴァッジョがいとおしい。


東京呆然散歩/ホームレスのおじさまとリーアム・ニーソン/再会の桜/中里学

さいわい終日元気だった。
早朝から午前中にかけ
落合南長崎、若松河田、曙橋、四谷、
新大久保、歌舞伎町の おもに裏道、住宅街的エリアを散歩。
人がすくなくゆったりとした雰囲気で、気がらくになった。

小泉八雲記念公園で3時間ほど、
ノラネコが2匹 お互いの毛づくろいをしているところを 
ながめるなどした。

区立図書館をいくつかまわった。
会社勤務時代から資料集めがてら 
これらの図書館に顔を出しており、
どこの守衛さんとも 顔なじみだ。
そのうちのある図書館で
「さいきんあまりこないね、どうしたの」と聞かれた。
これこれの事情で前ほどは来られない、と話したら、
たまにでもおいで、と いってくれた。
そしてアメをくれた。

新大久保から歩いて 新宿駅に行ったところ、
小田急新宿駅前で、「ビッグイシュー」の販売員さんを発見。

www.bigissue.jp


2か月ほどまえに購入したときはたしか
販売員さんが40代くらいの男性だった。
きょうは場所はおなじでも人がちがっていて、ご高齢の男性。

図書館の守衛さんにアメをもらったので、
だれかになにかしたいと。
そこで、駅の売店で飲料水を購入し、
1冊ビッグイシューを買ったあと、販売員さんにその水をさしあげた。

体に気をつけて、と声をかけたところ
ありがとうございます!と 笑ってくれたが、
どの歯も傷んでいるのが わかった。
歯科治療をうけることができないからだろう。
顔の日焼けもひどかった。
屋根のあるところで休めていないんだろう。

今号のビッグイシューのカバーとインタビューはリーアム・ニーソン
2012年の主演作「ザ・グレイ」は今も印象深い。

movie.walkerplus.com


リーアムの演技がすばらしかったし
物語もおもしろかった。
それに、映画とはどういうものであればよいのか、
についての考えの点で わたしは彼に共感する部分がおおい。
たとえば、
「(映画を観て)家に帰ってきて
冷蔵庫を開けたときなんかにふと、
『あのシーンってちょっとヘンなんじゃないかな』
と思ったとしても、それはさほど重要じゃない。
そのひととき、映画をおもいっきり楽しめたかどうか、
大事なことはそちらのほう。」
みたいなこと。

質素で謙虚な印象がくずれず、
スコセッシやマックイーン、
ウッディ・アレンなどの巨匠クラスから
コーエン兄弟サム・ライミといった若手まで
おもしろそうな作品とみれば その規模がどうあれ
意欲的にとりくんでいるようにみえるところもすきだ。
昨今はコレット=セラ監督作品への出演が多い。
おととい公開されたのも。できれば観たい。

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13時すぎごろ、駅前の大きな公園を通過し、
歩いて15~20分のところにある団地の公園で休憩。
ここは先にのべた 駅前の公園と比べると
たぶんその10分の1にもならない規模の、かわいい公園だ。
しかし、ネコのひたいのごとき敷地を囲んで桜の木々がひしめき
じつはこの時期 超穴場お花見スポットと化す。
ほぼ団地の住民のかたがたしか この公園の価値をわかってないとおもう。

以前、このかわいい公園からほどちかいところにある
会社で働いていた。
春には 休憩といってはひとりでここにきてお花見したものだ。

仮にも花をめでるならば 今年はここがよかった。

以前働いていた会社を退職して以来7年、
公園から足がとおのいていた。
そのあいだに ひとびとがこの公園の真価に
きづいてしまっていたらと気が気じゃなかった。
しかし、
行ってみるとやはり、団地のかたとおもわれる
親子づれ以外は、だれもいなかった。
この親子づれもすぐに出て行かれた。
かつてめでた桜との再会の時間を ひとりでもてたことは 
しあわせだった。

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1時間半くらいここにいた。
風下にいたため 花吹雪をもろにうけ
立ち上がると花びらが服からばらばらと落ちた。

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夕方にはまた電車に乗って とあるカフェへ。
中里学さんのミニライブを聴いた。

www.nakazato-gaku.info


1回 先着5席の超限定的ライブで、
来場客はその日わたされる楽曲リストから
1人1曲 どれでもすきなものをリクエストできる。

きょうのリストに
「魚」と「no reply」があった。
彼の歌のなかでも この2曲が・・・
なかんずく「魚」がすきなため
歌ってもらいたいと強くおもった。

york8188.hatenablog.com

 

york8188.hatenablog.com


・・・
しかし、そう思う人が ほかにもいるかも、
というようなことも感じ、考えたすえ 
まったく別の曲をお願いした。
すると やはり となりの席のお客さんが、
「魚」をリクエストされた。おかげで 聴くことができた。
かならずしも明るい内容の歌とは言えないが、
じつはかなり人気があるのだと 中里さんも話していた。


映画の感想-「マリー・アントワネットに別れをつげて(2012)」/村上龍のビジネスエッセイ-180401。

午前中は都内にでかけたが
調子が悪くなりそうだと感じ
午後の予定をとりやめて 帰宅した。
夜、オペラシティでモーツアルトを聴くつもりで
チケットをとってあったので それには悩んだ。
しかし、友人に連絡をとってみたところ 
代わりに行ってもいいとのこと。
待ち合わせてチケットをゆずり、解決。
モーツアルトはまた今度。

・・・

午後はずっとベッドにいたが 
夕方ごろ 映画を観てみた。

原題:Les adieux à la reine
ブノワ・ジャコー監督
2017年、仏・西

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movie.walkerplus.com


※センスの感じられない
ポスタービジュアルだ。
こんなイメージの映画じゃない。
「イメージどおり」が
すなわち「売れる」とはかぎらない、
そういう事情はわかるが、
もうすこしなんとかしようがあったろう。

革命にゆれるヴェルサイユ
主人公は、シドニーという王妃付きの朗読係。
亡命でも処刑でも自決でもなんでも、
かならずや妃殿下のお供を。
彼女はそのくらい、
マリー・アントワネットを敬愛している。
貴族たちがみんな、迫りくる革命の炎をおそれ
王室をみすてて逃げ出していくなか、
王妃からシドニーに呼び出しがかかる。
重要な たのみごとがあるという。
王妃さまが自分を頼ってくれた!
しかし アントワネットのたのみとは
同性の恋人・ポリニャック夫人を亡命させる際の
身代わりになれ、というものだった。
※Moviewalkerの作品紹介には
「(ポリニャックの)身代わりにギロチン刑を
受けるよう命ぜられた」とあるが
厳密にはそうではない。
偽の通行許可証をもって
ポリニャックの亡命に同行し、
貴婦人を演じて検問を切り抜けよ、
という命令だった。
ポリニャック夫人は 
革命派の目の敵にされており、
要処刑リストの上位にあげられていたから、
へたを打ってポリニャックと同定されれば
シドニーは、もちろん殺されるわけだが。

・・・

アントワネット役はダイアン・クルーガー
病的に移り気、激情家でドラマ体質という
アントワネットの人物像をたくみに
(観るほうが彼女をキライになれないように、)
演じていた。

ポリニャック夫人の身をおもんぱかり
ヴェルサイユ脱出を命じる場面はよかった。
夫人との恋にひたり、
みずからが監督・主演する
ドラマのヒロインという役柄を
堪能する自分から、
誇り高きフランス王妃としての
役割を演じ切る自分へと
うたがいもなく、また苦労もなく
瞬時にモードチェンジしてのける。

彼女のしたことは、
シドニーのためには残酷だ。
シドニーはこのことのせいで
心だけ、50歳分くらい
一気に老け込んだんじゃないかな。
しかし、
人が生きるかぎり、また愛するかぎり、
まわりの人すべてを
納得させる選択なんてできない。

マリー・アントワネットといえば、
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンとの
不倫関係が知られているが、
フェルゼンのことには 
本作はふれていなかった。

ダイアン・クルーガーとレア・セドゥの
質のことなる美しさのコントラスト。

・・・

本も1冊だけ、時間をかけて読んだ。

村上龍
「会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?」
(扶桑社)

goo.gl


今の自分じゃなかったら
決して読まないたぐいの本だ。
村上龍じゃなかったら、
今の自分でも読まなかったか。
だが 読んでよかった。
新しいことがたくさん、ちゃんと心に入ってきた。
それも今だからだろう。
もっと早く読んでればとか 
つい いかにもなことを考えたが、
やっぱりタイミングとか 
めぐりあわせってものがあるんだろうな。

図書館でかりたんだけど、
追って新品を1冊 購入したい。

「ほとんどのビジネスマンは
自分がその格差社会の中間層だと思っている。
非常に恵まれた少数の人が頂点にいて、
底辺にはこれも少数の貧困層がいて、
その中間に膨大な数の平均層がいる。
それで、自分はその中間層に属していると、
多くのビジネスマンはそう思っているのだ。
頂点をビル・ゲイツに設定して、
底辺をホームレスに設定すれば、
そういった勝手な思い込みも可能だが、
現実はそう単純ではない。」

カンナがけしてない ざらりとした言葉で
こういうことを 書いてしまえるところが
村上龍だと わたしはおもう。

「自分がどういう生き方をしたいのかがわかれば
そこでソリューションが自ずから明らかになる。
生き方というのは、哲学ではなく、
どういう風にして生活の糧を得るのかという具体的な問題だ。
どういう生き方をするか自分で決めるまでは、
他人にアドバイスを求めてはいけない。
どういう生き方を選ぶのか、それがはっきりすれば、
会社人間はいつでも再生が可能だ。」

どういう生き方をするか
(どう生計をたてるか)。
まだまだわたしは
それがぼんやりとしている。
はっきりするときが、くるのかなあ。いつか。
わかるのは 
本が1日10冊くらい読めて、
書きたくないことじゃないことを書いて、
それによって自殺だけは回避しつつ、
自分で税金を払って生きられればいい 
くらいのものか。
ぜんぜん 生計とかいう話になってない(^^)・・・
削り出しがひつようだ。 
わたしはそれがうまくない。
だれの力もかりずに 
黙々と彫刻するのではなく、
周囲と接し ぶつかっていくことで 
自然に削られていくかんじを のぞんでいる。

ふらつく

休養中の身だが、休養していない。
じっとしていることに耐えられないためだ。
月曜から金曜まで動き回っている。
土曜も日曜も動き回っている。
まわりに心配をかけている。そりゃそうだ。

ほんとうはだれもいない、なにもない部屋で、
日がな ねっころがっていたい。

でもそんなことを想像するだけでも もう
落ち着かない。

そもそも一日ねっころがっていたい、とは、よく考えると、
それが世にいう「休養」というもので
(誰がそんなことをわたしに教えたか知らないが、)
一種の「こういうものでしょ、ふつう。」・・・
そうしたものを 自分自身の考えかのように
思い込んで言っているだけ、という気が。

しずかな部屋で一日中でもねっころがる、
誰かにとって それは休養になるかもしれない。
でも、このわたしにとっては どうか。

ずっと動き回ってきた。
口では 休みたい眠りたいと いいつつ
そうしていいよ、と言われることを
心のどこかで恐れてきた。
休むといってもどうすればいいのかわからない。
休む、眠ることさえも 心置きなくはできない。
それで、絶えず何かをしてきた。動き回ってきた。
「そっちのほうが性に合っている」かどうかは知らない。
そんなに勤勉とも我ながらおもえないしなあ。
性に合っている、と発言したことはあったかもしれないが。
ただ、ずっと動き回ってきた。
そのほうが心があまりざわつかない
(心のなかをのぞき込みすぎずにすむ、とも。)
ことを知っている。だからこそできれば 今も、
動き回っていたい、のかも。
「本気でやりたいわけじゃないし 
それが最適ともおもわないけど、
まえからそうしてきたから 今もそうしてる」
そういうことって あるものだ。

問題は
さいきん たくさんの人がいるところや
狭い空間に多くの人がすしづめになっている場所に
身を置くと不安感におそわれる、 
そんなことに、自分がなっているということ。
音に敏感になっており
いつどこから どんな音が耳に飛び込んでくるかと
それが頭からはなれず びくびくしている。
不特定多数の人がいる、慣れない場所では
皆目「聞こえかもしれない音」の見当がつかず、怖い。
いまいましいフラッシュバックにおそわれ、倒れたら たまらない。

人があつまるところにはできるだけ
いかないほうがいいとわかる。
ただ、動き回っていたい。忙しくしていたときと
できるだけ近い頭の状態でいたがる自分を、無視することも困難だ。
わからない。それでも いいかげん
「一日ねっころがる」日を作らないと、また 倒れるのかも。
起き上がることさえも禁止、くらいのかんじに
一度、なってみないことには、 
自分の性根、性向はもはや見えない。

わからない。
代わりにまわりの人がちゃんと見ていてくれて
こいつダメそうだとおもったときには
力ずくでも止めると言ってくれている。
そのときがきたら すなおに従いたい。
いまの自分には、自分のことがわからない。
自分をただ 今迫りくる(と感じる)危険から守るので必死だ。

あしたは 午前は都内の図書館に行き、大学に寄って用をすませ
曙橋付近で行われるらしい 映像上映会にいくか
おなじく曙橋で開催される、版画家の個展にいき
オペラシティでモーツアルト聴こうかなーと。
図書館とモーツアルトは確定。
でも午前はほんとはどうするかわからない。
わたしがかよった大学は 千代田区に校舎をもつ。
皇居外堀にほど近く、お濠ぞいの桜がうつくしい。
お花をながめることができれば いいかなーと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主体性にかける、
何を考えているかいまひとつわからない、
怒られる・失敗することに臆病、
・・・そんなことは たいした問題ではない。

心根がすなお 人の話をまじめにきける
ほんとはがんばってるのにそう見えない、という点に
問題意識を感じていないようだが、しかし
ほんとは70%にもならないところでセーブしているくせに
100%だよ~!みたいな「フリ」もしない。
でも 今は一生懸命やるべき、とかいうことは
ちゃんとわかってる
そして
人に優しい。

人間、そういうのが一番だ。

今、関わっている人たちの多くは そういうかんじ。
本人たちがどうおもっているかはわからないが
彼らはある意味で等身大。すごく まぶしい。

ひきかえわたしは優しくない。
自分のことしか、考えてない。
わたしにもそれなりに、
気にかけずにはいられない人があるけれど、
わたしに気にかけられても困るだろうなあ。
とか 思ってしまうところが もう。
うっとうしい。
自分のことばかりに、思いわずらわないでいたい。

しかし・・・
今は、ほんとになにもかもが、絵に描いたなんとやら。
豆つぶみたいにちっちゃくなったようだ、自分てものが。

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「心」がひらがなで書かれることが あるが
わたし自身は 漢字以外には考えられない。
なぜ ひらがななのか。見るのもいやだ。

でも 数年前までは 
漢字、漢語がすきだったけど
いまは 書くときには積極的にひらがなや和語を用いる。
そう変わったように、
わたしもいつかは「心」をひらがなで書くことを
嫌悪しないばかりか みずから選ぶようになるのかも。