カラヴァッジョのことを思う。
(オッタヴィオ・レオー二作の肖像画 パブリックドメイン)
心って、かきむしるように、血のにじむようにかなしい。
人並みはずれて敬虔な男だったようだから、
病んだ者、心貧しき者こそ救われる、
という教えを 知っていて、心の支えとしてたはずだ。
でも、
「法悦のマグダラのマリア」や
(Mary Magdalene in Ecstasy パブリックドメイン)
左の目もとにかすかに涙。
「ゴリアテの首を持つダビデ」
(Davide con la testa di Golia、パブリックドメイン)
ゴリアテの顔がカラヴァッジョ自身、
ダビデの顔は同性の元恋人か、あるいは
若かりし頃のカラヴァッジョと考えられているとか。
…のような、自らへの慰藉や自虐をこめた絵を描いたのは、
安寧がえられず
改悛を形にせずにいられなかった、
赦しがあるという確証がほしかった、
社会的に要らないと言われたくなかった
そんなきもちのあらわれでは。
若くしてローマ教皇の肖像画を描いたほどの
スターだが、名声と裏腹の、みじめな戦い。
芸術家は血を吐くように描くという。
天才とか、簡単に言ってはいけない。
俺もみんなのようにちゃんとした人だったら、って
思ったこと、一度や二度じゃなかったろう。
でもできなかった、
少しの辛抱ができず失敗ばかり、
ガッカリされどおし、自分も苦しみどおし、
生涯と作品から、そんな彼がみえる。
カラヴァッジョがいとおしい。