BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

中里学 レコ発birthdayワンマンライブ『Another Step』-20180311

3月11日 日曜日
夜から
横浜のライブハウス「O-SITE」で
シンガーソングライター 中里学さんの
ワンマンライブを聴きました。

中里学
レコ発birthdayワンマンライブ
「Another Step(アナザー ステップ)」
2018年3月11日(日)
横浜O-SITE
17:30開場 18:00開演

www.nakazato-gaku.info


ミニアルバム「Another Step」の発売記念であり
誕生日記念であり
年に1回のワンマンライブでもあるという
ファンにしてみれば もりだくさんなかんじの日でした。

・・・

いつもおもうんですけれど、
彼の歌は・・・なんというか・・・
心のなかに ほんとに むりなく 
分け入ってくるんですよね。
そうしていつのまにかはいりこんだ 内側からそっと 
わたしの心を 押し開ける。
手をとって外にさそいだそうとする。

さあ こっちだよ、きてごらん 大丈夫だから。

彼がつくる歌は、まちがいなく、
心の痛みを知り 心の深淵をあくまでみつめ
そしてもどってきて、しかも乗り越えつつある人のそれ。
だからなのか その歌に手をひかれて外にでていくことは
ふしぎと怖くなかったりします。

怖くない、
でも、出て行って そしてまのあたりにすることとなる
中里学さん視点の 世界って、
けっしてそう単純に 美しいものじゃない。

美しいし、かぎりなくやさしいんだけれど、
どこかさびしくて、隠しようもなく 残酷。

つい手をひかれて 出てきてみたけれど
こういうかんじとは想像してなかった・・・
でも、やっぱり 見てみたい。耳を傾けてみたい。
そういうのが 中里学視点でみる世界じゃないかと。

わたし個人の連想でいうと
空気が澄んでいるために目にしみるほどまっさおな真冬の快晴ではなく、
こまかなチリやほこりをはらむために くもって見える春の蒼穹
晴れてるんだけど なにか、不穏。
根拠はないが、なにか、・・・起こりそう。
でも確実に、なにかがあたらしく始まる予感。

痛みを知った人っていうのは あたりまえだけど、
それだけのものを 見てきた人っていうことですね。
本人が できれば見たくなかったはずのものも
見てきたってことでしょう。
そういうことを経た人が 今見る世界、語る世界とは

どういうものだと想像されますか?

あのときがあったから いまの自分がある!
世界はこんなにうつくしい! バラ色!ハッピー!
世界のすべてに、感謝!

そんなものばかりだと お思いになりますか。
うすっぺらい。ぜんぜんちがう。
ほんとうはわかっているはずだ。

中里学さんの歌からは、
では どうであるのか、の
一面での答えが にじんで見えてきます。

心が傷ついたことがまったくない人なんて、
わりなき想いに苦しんだことがない人なんて、
いない。でも、
そんななかでも 
いまだ血のにじむ新しい傷をかかえた心や
とくべつに繊細な心は、
中里学さんの歌にふれると、共鳴しちゃって共鳴しちゃって
しょうがないんじゃないかなとおもいます。
だって にぶいわたしの心でさえも 
これほど動かされるのだから。



ここ半年ばかりのわたしにとっては 
だんぜんこの2曲。

www.youtube.com


中里学「no reply」

こまやかにふるえるようなヴィブラートと 
ことさら ゆったりと聴かせるテンポが魅力的。
詞が切々と 胸にしみわたって、
痛いですが、だいすきです。



そして、
「魚」。

あとで気づいたんですけれど この歌、
動画を見つけることができなかった・・・。
美しいのに。

2016年リリースのアルバム「君は僕の生きる理由だから」
に収録されていますので ご興味のあるかたは ぜひ
アルバムを入手して 聴いてみていただきたいです。
インターネット上の音楽配信サービスで
ダウンロードすることもできるのかな?

この曲が 
どちらかというとアッパー系の曲調で
しかも 三拍子系であることに
初めてきいたときは すごく驚いたものでした。

いますぐ聴いていただくことが かなわないから
せめてここに詞の全文を引用させていただきます。
著作権者である中里学さんの許可を頂戴しております)


「魚」
深く傷ついた 心をひた隠した
あまりにも下手な 作り笑い浮かべた
生きる意味など 分からずに 歩いてた

神様はいつだって残酷で
誰の味方もしない
入れ替わったばかりの水槽みたい
空は綺麗な青

あなたが笑った 僕も笑えていたんだ
全てを失った あなたも一緒に連れ去った
あなたの居ないこの世界は
まるで輝かない

瓦礫の中 ただがむしゃらに
生きる 明日を探した
水槽の中 僕ら泳ぐ どこまでも綺麗な青

あなたと誓った 同じ未来描いていた
全てが消え去った 二人の夢を道連れに

あなたの居ないこの世界は
それでも回る

枯れる事無く 溢れ出る想いは
やがてひとすじの光となり 空へ登ってゆく
届け 君のもとへ

あなたが笑った 僕も笑えていたんだ
全てを失った あなたも一緒に連れ去った
あなたの居ないこの世界は まるで輝かない

悲しみも苦しみも憎しみも全部
鱗のようにこの身にまとって
どこまでも どこまでも どこまでも
続いてゆく青 僕らは泳いでく

・・・

語りすぎず、でも語りきってる。

中里学さんは、この歌を、
東日本大震災のために
深刻なかなしみを背負われることとなった
ご親類の姿を まのあたりにして、
書いたと 語っていました。
みんなは がんばれ、という。
がんばらなくちゃいけないとはおもう。
がんばってる。
生きてる。自分は幸運だった。
わかってる。
でも、もうこれ以上一歩も歩けそうにない。
だって こんな思いをして、なんで歩けるだろう?
失ってしまったのに、生きる理由だったはずのものを。
歩けない、そう 叫んではいけないのか。


「あなたの居ないこの世界は まるで輝かない」

おおきな喪失を味わったとき、
世界から色彩がうしなわれるかんじがすることを
わたしも(わたしのレベルで にすぎないけど、)
理解しています。

大気にまどう魂が いまもまだ
かぞえきれないくらいあることを感じるし
帰りたくても帰れない心、
もうどうやっても 以前のようには癒えない傷を
かかえながら生きるはめになってしまった心が
たくさんのこっていることも 感じています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かならずしも選びとったのではなく「おちいった」孤独、
ふってわいたあまりにも甚大なかなしみ、
激しい心のいたみ
そういったものと向き合う方法は、
ほんとに 人それぞれだ。
これをやればらくになれる、なんて確実な方法
すくなくともわたしは知らない。
途中までの手順?くらいだったら
まあ知ってるかなという気もするけど
これもけっきょく思い込み・・・
ジンクスみたいなものと
たいしてかわらないのであり 
いつもなんにでも通用するわけじゃない
もしも 確実な方法を 知っていたなら 
こんなにいちいち苦しまないだろうし
なにごとも、こうまで時間をかけずに
すんできたことだろう。

自分だけじゃなくって、たぶんすごく多くの人が
だいたい似たようなことを 感じて、なやみ苦しみながら
生きているんだろうなあ。

自分だけじゃないんだ、って事実が
心を救ってくれるかというと 
ぜんぜんそうでもないんだけど。
 
方法を知らないから、落ち着くまでは、
もがくよりほかに どうしようもなかったりする。
もがくというプロセスをふまなければ 
ひとつところに落ち着こうという考えに
たどりつくこともできない。

まちがった もがきかた かもしれない。
わたしが下手にじたばたすることで もしかしたら
周りの人まで傷つけてしまうのかなと 
おもうけど、でも。
訴えつくしてからでなければ 黙ることができそうにない。
それでもしほんとうに傷つけてしまったとしたら、
傷ついたと
わたしに そう言ってきてくれればいい。
詰め寄るなり 襟首つかむなりしてくれればいい。
何も言ってもらえないよりも そのほうがずっといい。
起こりえないことだと なかば わかるからこそ そう願う、
わたしはどこまでも 勝手だから。