BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

職場の近くでおこなわれている建設工事と自分/後醍醐天皇/天才空海/中里学

まいにちけっこういそがしくやっています。
たのしいです。
体は疲れます。
こう毎日暑かったり寒かったり
気候が乱高下しますと
カゼのひとつもひきたおしそうです。
きをつけます。
かんがえてみれば道行く人にも
マスクをしている人や
かるくセキをしている人を 
みかけるようになったきがします。

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職場のちかくで かれこれ1年半も、
大規模な建設工事がおこなわれています。
建設計画がかかれた看板をみるかぎり 
完成予定期日はいまから1年半後です。
けど ずいぶんできあがってきて、
なんの建物をつくっているのか、もうはっきりわかります。
きれいで豪華な建物です。
おもいかえせば

1年半前に工事が開始されたとき 
あの場所にはいまのような美しい建物が
できることを想像させるなにものもありませんでした。
地下にごっそりくり抜いたような大穴があいてました。
基盤工事からするので。

それで建設計画の看板をはじめてみたとき、
「3年もかけて工事するのか!」
「3年後も自分はいまの職場で働けているのかなあ」
といったようなことを 思ったことを、鮮明に覚えています。

と 申しますのも 当時、
自分は職場において 戦力外通告一歩手前の
状態にあり、
みんなができる仕事が自分だけこなせないうえに
疲労とムリとがたたって病気にかかっていて、
あながちおおげさでもなんでもなく 
死ぬ寸前みたいなところで
ふみとどまって働いてました。
あした力尽きて 朝もう目が覚めなくても
すこしも不思議じゃないくらいなのに
3年とか・・・ ほんとに現実感のない数字に感じられ、
いるのかなあ、3年後もここに、と おもったものです。
でもべつに
「この建物が完成したところを見届けられるように
なんとかがんばろう!」とか
そんなふうに
励みにしたおぼえは まったくないですが(笑)。

そしていま、
わたしは職場において 戦力にギリ数えられるようになり、
ちゃんと定刻内、納期内で仕事ができる日もふえてきて、
病気はそこそこ治り、
休日はそこそこちゃんと休むことができ、
友だちに会おうとおもえば会えますし、
観たい映画を観る時間も 作ろうとおもえばつくれます。
当時はこんなことになるとはとてもおもえなかったにも関わらず。
「このままがんばっていれば いつか
人並みにできるようになるときは くるであろうが、
しかしその前に自分の肉体が滅びるな」と
ほんとに確信してましたから。

でも、
半分きましたか。
そーですか。

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いやー 
縁あっていま
後醍醐天皇のことをちょっと勉強しているんですけど、
彼はスゴイ男です。
なぜ学校の歴史の授業では
ちゃんと教えなかったものか、後醍醐天皇
きわめて先進的な考えかたの持ち主で
火の玉みたいに熱い男だったということを。
そりゃ足利尊氏も惚れ込むわ。
いま後醍醐天皇のことで頭がいっぱいです。
口をひらけば後醍醐天皇です。
わたしと 直接つきあいのあるかたは
あまり いまは わたしとかかわらないほうがいいかもしんない。
ゆるしてくれるってんなら めっちゃくちゃ語りますが。
いかがです、わたしによる後醍醐天皇オンステージ。

わたしも それなりに空気は読む人間ですから。


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あと、
わたしの母方の実家が真言宗なんです。
(父方はわからない。昔はお仏壇が家にあったんですが
片付けられてしまいました。)

成田山で 空海先生です。
歌舞伎の成田屋さんとおなじ宗門ということになります。
もうしわけないけど 
べつに信仰はまったくしてないんですけど
真言宗だからというのではなく何教も信仰してないんですけど)
でもなにかしら仏教について知りたくて
まー 仏教がすきでね。なんか。
その足がかりとしてなにか適当なものがほしく、
家が真言宗だから
それで空海先生のことをいろいろ
去年あたりから勉強したりしているんですけど、
彼はあきれるほど 天才すぎて
著書を読んでも なにいってんだか
まっっったくわかんないです!!
なんか 去年もそんなようなことを思ったおぼえが
あるんですけど
いまもってまったくわかんない!!
なにも進歩してない!!

なんなんですかこの人は。
知能が高すぎやしませんかね。

具体的には こんなの読んでみています。

三教指帰(さんごうしき)」
・・・空海先生の出家宣言書みたいなもので、
仏教儒教道教の学生、学僧?が登場する
小説みたいなかんじなんです。
この3人が討論し、結果的にこのみっつのなかで
仏教が一番優れているんだということを
論理的に証明しようとする、というような内容ですかね。
空海先生はええとこのお坊ちゃんで 大学にもいかせてもらい
高級官僚としての将来を期待されていたんですけど 
それが山で修行するとかいって いなくなり、
ひさしぶりに帰ってきたとおもったら
出家したいなどといいだしたので
親族から大反対されて、それを説き伏せるために
このようなプレゼン資料を書いた、ということみたいです。
空海先生はこのころ25歳やそこらだったみたいです。
数えだから24とか23とかですかね。
わたし その年頃のとき なにしてたろう(笑)??
当時 メジャーな学問だった儒教道教が 
説いていることは、この世の真実ではないと。
自分は仏教を究めたいんだと。
書いた当時は ちがうタイトルの もう少し内容的に
異なる本だったみたいなんですが
それをブラッシュアップしたのが本作のようです。
まー 構造と概要を理解できているだけ
まだマシなほうなのかも。
いうなれば宗教小説っぽい作りだから
多少とっつきやすいような気分でいられるのです。
が・・・ これだってなにいってんだかさっぱりですよ!


「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」
・・・空海先生は修行と海外留学と思索のはてに
真言密教にたどりつくんですけど、
密教はけっきょく中国からもってかえってきたものですし
密教ですし(秘密の奥義的なものを伝える教え)
日本の人たちはしらないもんですから、
日本に真言密教をひろめていくうえで
仏教の既存の各宗とくわしく比較検討して、
真言密教はこんなところがほかとちがってて
スゴイんだよ、ということを解説しようとしている本です。
真言密教はスゴイんだよということがいいたいんだ、
ということだけ 理解できればいいんですかねえ・・・
いいわけないだろ。


「弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)」
・・・顕教真言宗の、秘密にされている密教の方じゃなくて 
だれにもあきらかにされている方の教えのこと)と、密教との
違いを解説している本。タイトルが
「弁ずる。顕と密の二教について」ですから。
脚注から判断するに 「五秘密教」などに代表される
真言宗のおもなお経を論拠としているとおもわれます。
いやー これもヤバイですね
ヤバイくらい なにいってんだかわかんないです!
でも1年がかりで読まされちゃうところが
空海先生の本の えらいところなのかもしれません。
なにかとても価値あることが書いてあるはずという
気にさせられてしまい、
やめられないのです。


「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」
・・・真言宗の、というか密教の真骨頂として
「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」があるんですけど、
本作は「えー そんなのありなの、ほんとに可能なの」
と疑う人たちを対象とする 即身成仏ガイドブックです。
かんちがいしがちな点のようなのですが
(わたしも数年前までまぜこぜに考えていたのですが)
「即身成仏」とは 真言宗のえらいお坊さんが、
長期的自殺にひとしい苛烈な修行のはてに死んでミイラ化して
何百年もそれが残ってありがたいものとしてお寺にまつられる
・・・という
あれのことを言っているのではないのです。
あれは「即身仏」といって、選ばれた一部の貴いお坊さんが
修行をした結果、獲得した姿であり、
後世の人びとにお釈迦さまの教えをつたえ救いつづけるために、
体と魂とをこの世にのこした ということのようなのです。
(選ばれた一部の、としましたが、選抜試験とかがあったのか
どうかはいざしらず、そういうことではなくて、
トライした人が100%即身仏になれたわけではないはずなのです。
ミイラになれるとかなんとか以前に、修行の重さのあまり、
別の死因で死ぬ人もいたでしょうし、
トライして断念した人もいたのではないかなと思うわけです。
体を腐らせないために ヒ素や漆をすこしずつ摂取していったり
木の皮や木の実を食べたりして段階的に断食していくことを
やっていたそうです。ヒ素や漆なんて、劇薬ですしアレルゲンですし
へたしたらそばにおいただけで 体に異状がでますから。
したがって、トライした全員が即身仏になれたわけではないはずだから、
そうした意味で 選ばれた一部の、としました。)
ありがたいミイラになりたい!とおもうことが
「即身成仏」ではありません。
みんな修行してミイラになりなさい! と 
空海先生がいっているわけでももちろんないみたいです。
では「即身成仏」とは どういうことかと申しますと、
人が悟りを開ける可能性は死後だけにあるわけではない。
そもそも人はみんな悟りを開くだけのポテンシャルを秘めていて、
この身このまま仏となる、悟りの境地にいたることができるんだよ、
生きて悟ろう、ということです。・・みたいです。
悟りを開くなんてほんとに難しいことで、生きているうちには
とてもむりなんじゃないか?という考えが当時 高僧のあいだでさえ
ひろまってきていて、それだからこそ、死んだあとどうなるかとか
極楽とは地獄とはという話にもなってきたので。
この身このまま、仏となれる、なろう。というのが
空海先生の「即身成仏」の ほんとの考えかたのようです。
その空海先生は「即身成仏」の達成者だったそうです。
ブッダってことですよね・・ マジか・・ 



「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」
・・・これと、「即身成仏義」と「吽字義(うんじぎ)」の
3つで1巻みたいです。わたしが買った本は3つが離れてますが。
あと「吽字義」は わたしはまだ読んでないです。
もうこのへんになると わたしごときには
なにがなんだか感が とどまるところをしりません。
しかし、感覚としては、
感覚としてはですよ、
空海先生がいいたいことはおそらくですね
音と文字は、イコール真理 ってことみたいです。
つまり言語哲学ですな この本は。
なんて進んでいるんでしょうか、書いた人の頭のなかは。
真言宗にはあれがあるじゃありませんか、真言
「オン・アビラウンケン・バサラ・ダドバン」とか。
大日如来さまの、真言宗での、真言ですけど、これ。
真言宗大日如来さまが一番うえなんですけど
そういうのを唱えれば、宇宙全体の真理そのものであるところの
大日如来さまを本質的に体現したことになる、
なんだよ 本質的に体現って・・・
自分で言っといて 正しいかどうか微妙 笑!!
・・・
ということを 言っている本だとおもいます。
いや、いちおうそう口ではいえますけど
ほんとに理解しているわけではないですよ・・・。


「性霊集(しょうりょうしゅう)」
・・・空海先生の書いた漢詩とかの文章をお弟子さんが記録してて
あとでまとめたものです。空海先生はモノスゴイ文才があったみたい
なんですけど 下書きとかを まったくしないで思いついたことを
バーっとなんにでも書いちゃう人だったみたいで 
だれかがちゃんとまとめとかないと 貴重な文章も
散逸してしまうもんですから、
仕事のできるマメなお弟子さんが
こうして逐一まとめて 空海先生の死後に編纂したようです。
(でも それだけしっかり管理しても だいぶ紛失したようです。)
能筆家ですし、すっごく書く人です、空海先生は。
文才があったかどうかまでわかるほど わたしは漢籍にくわしく
ないですが 無体なパワーはたしかに伝わってきますね。


「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)」
・・・有名なお経の般若心経を真言密教の観点から解説している
論文、というかんじです。
なにいってんだかぜんぜんわかりません。
でもなんか、
般若心経はようするに「大般若経ダイジェスト」だと
わたしは一般教養として理解しているんですけれど、
空海先生はどうも そのようには理解していないかんじがします。
なにかもっとこむずかしいことを言ってます。
さっき 「声字実相義」の説明で 音と文字はイコール真理
と書きましたけど、そのへんのことをもっとよく理解できれば、
その理屈でこの本も理解できるのではないかと おもわれますが。

・・・
っていうのを読んでいて
(けっして わたしがおかしいわけじゃなくて
これぜんぶ「角川文庫」でよめます。)

どれも、1ページめからもうわかんないです。
それで わかりやすく解き明かそうとしてくれる
現代の学者さんの解説部分に
どうしても戻ることになるんですけれど、
(角川版にかぎっていえば どの本も原文の下に注釈があり、
解説もちゃんとついています。
わかりやすく解き明かしてくれる・・・ということは
学者さんたちは空海先生のいっていることを
理解している、ということですよね。
どいつもこいつも天才か!!)
それで 多少わかっても、
原文に戻ればまたわかんなくなるわけなので、
意味ないってかんじがします。
音楽で、速いところとかが 指が動かなくてできないときは
メトロノームを使って ゆっくりのテンポから練習しますけど、
ゆっくりだとそりゃできても もとのテンポにもどせば
できないから!みたいなのとおんなじです。(←ちがう。)


わたしは正直 空海先生よりも最澄先生と
気があうかんじがします。
おもうのですが、空海先生って人は、
その書いたものから察するに・・、
これは梅原猛さんもなにかの本で言っていたとおもうのですが、
なにか人を食ったようなところがあるなと。
論法がだいぶぶっとんでて めちゃくちゃなところも多々あり、
たとえば 儒教をさんざんっぱらこきおろしておいて、
自分の論理の補強に儒教をひっぱってきたり、
自分で自分の考えをつぶすようなことを言って
論理を破綻させておきながら
最後にはちゃんとなんとなくまとまってたり
「なんちゃってー。」みたいなところまであったり(!)
なんかこわいんですよ。
こわくないですか。こういう人。
はかりしれないんです。
考えるんじゃなく感じ取れ、というやつでしょうか。
そこへくると最澄先生のほうは、
最澄先生の書いた本って 空海みたいに文庫で
でているわけではないので 簡単には読めないんですが)
「山家学生式」や
空海先生や自分のお弟子さんにあてた手紙などを
よむかぎり、
もっと緻密で、もっと丁寧で、もっと理知的で、
そしてもっと、ふつうの人間。
頭でわかろうとしていいよ、というかんじが
とてもしますので、ラクなんですけれど。

最澄先生といえば、
「山家学生式」の最初も最初のところに、
「一隅を照らす」という言葉があるんです
えーと たしか

国宝とは何ものぞ
宝とは道心なり
道心ある人を 名付けて国宝となす
故に古人のいわく
径寸十枚、これ国宝にあらず
一隅を照らす、これすなわち国宝なり

国の宝とはどういうもののことを言うのだとおもいますか?
国の宝とは、道を修めようとする心のことを言うのです。
この道心を胸に抱いている人こそ国の宝、
社会にとってたいせつな、国の財産なのです。
中国の、昔の人も言ってますよ。
「直径3センチちょっとの宝石が10個あるからってなんだ、
そんなものは国の宝なんて言わない。
社会の片隅にちょこんといて
社会をあかるく照らし 
おたがいによい影響をあたえあって
りっぱな生活をする・・・、
そういうのこそが国の宝だ」とね。

みたいな。
わたしのブログのタイトルの
「BRILLIANT CORNERS」は
この「一隅を照らす」から ひっぱってきている
とか 言いたいところなんですけど
ぜんぜんちがうんですけども!
セロニアス・モンクは山家学生式をまさか知っていたのかしら。
まさかね。


家が天台宗だったらよかった。
わたしだけ改宗しようかなあ(言ってみただけ。)


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あー
これいい。
みなさんも ご興味があったらぜひきいてみて。

中里学
「no reply」

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