自分と本の関係の結び方って、いくつかのジャンルというか、
グループ分けできるよなっておもう。
「この本すごい好きだから、前に読んだけどこれからも読み返すし、
ずっと持ってたい」
っていう、いわばスタメン本と
→高橋和巳、桐山襲、貴志祐介、円地文子、オースター、
そのほか 中国文学と、古典文学全般
「この本読んでみたい。多分、わたしこの本好きだと思う。読もう」
っておもって買ってきて、非常に手近な所にスタンバイしている
ベンチ入り本
→なんかノンフィクションとか対談集が多い。
大宅壮一や立花隆も見つけるとすぐ買っちゃうね
「こんな本が読めるようになることが一生の夢だけど
今の自分にはとても読めない」
みたいな 憧れ本? 殿堂入り本?
→レヴィ・ストロースとか笑
それから
「こういう本を読んでいる人だとみんなに思われたい」
みたいな虚栄心本 笑
→哲学書の古典とか小林秀雄とか
自分の本棚は、
これらが、上から順に
スタメン本 5
ベンチ入り本 2
殿堂入り本 2
虚栄心本 1
くらいの比率で収まっている感じがする。
殿堂入りからベンチ入りに昇格(って変な話だけど)
ベンチ入りからスタメンへ昇格
は けっこうあるのだが
虚栄心本が殿堂入りを経てベンチ入りってことは
あまりない たぶん今まで一回もない気がする笑
単に虚栄心なのであって
その本が好きとか全然思ってないし思い入れがないんだよね
インテリだと思われたい感あるね笑
でもそういう気持ちもあって良いじゃんって思う笑
もうちょっと虚栄心本を増やしても良いっておもうくらい。
自分がどんな本が好きでどういう本は受け付けないか
もうわかっているのにそれでも
「読めないけど憧れる」とか「読んでるって思われたい」
が消えないのがおもしろいね。
最近読んできたなかでは
ゴンチャロフの『平凡物語』『断崖』『オヴローモフ』
レスコーフの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』『魅せられた旅人』
アルネ・ダール『靄の旋律』
イアン・マキューアン『贖罪』
貴志祐介『我々は、みな孤独である』
が衝撃的だった。
グイグイ読まされた。
すごい作家さんがいるもんだと思う。
卓越、革新。
なんか「物語」が読めなくなってきたな・・・ってずっと思ってたけど
いつのまにか、また読むようになってきた。
海外の昔の小説が一番楽に読める。
自分とは関係ない、って思えることが良いような気がする。