BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『籠の中の乙女』とか-210524。

女王陛下のお気に入り』がおもしろかったから、
同じヨルゴス・ランティモス監督の『籠の中の乙女』を観てみた。


原題:Κυνόδοντας
ヨルゴス・ランティモス 監督
ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ脚本
2009年、ギリシャ

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www.youtube.com

こっちのほうが、『女王陛下のお気に入り』よりも先だったらしい。
使用言語も英語ではなかった(多分監督の母語と思われるギリシャ語)。

籠の中の乙女』おもしろかった。
ちょっとだけ、どこか、ルイス・ブニュエルっぽいような。

この監督が構築する映画の世界、自分は好きみたいだ。
とにかく、むちゃくちゃ凝ってる。
監督なりの美学があることを、強く感じる。
たとえば、19世紀くらいのお金持ちのおうちのお嬢ちゃんの
子ども部屋にあったような、ゴージャスなドールハウス
たとえば、エジンバラのロスリン礼拝堂の、あの精緻極まる彫刻芸術。
なんかそういうのを連想する。
なんのためにそこまでやったのか、何がそこまでさせたのか、
と思うくらいの、執念というか。

監督は、一定の条件下での人間の性行為に、執着(注目?)してる。
それはさすがにわたしでもわかった。
一定の条件とは、
心のつながりや幸福感とできるだけ無縁な形での、動物的な性行為だ。
しかも監督は「最初から最後までずっと」動物としての性行為、
であることを追求してるように見える。
でも犬やらネコやらではなくて、あくまでも人間がそれをする、
という設定でなくてはならないようだ。
人間に動物のような性行為が可能かどうか。
それができる人間とはどういう感じの存在か、
また、それができる人間がする「動物のような性行為」とはどんなものか。
ということを。
心のつながりや、愛し合うことの幸福感を求めることと無縁な所で行われる
性行為。それが人間にありえるのかどうか、わたしはちょっと、わからない。
単に生殖目的、または性欲の解消目的の行為、ということだとおもうが。
可能性としては、
心が満たされる性行為を究極的なところまで知りつくし、
さらにそれをことごとく喪失する体験までしたその果てにしか、
心を伴わない性行為はありえないんじゃないかなと、わたしは想像する。
ある性行為に、2人の人間が参加するとして、
仮に一方は「動物」に徹することができても、
もう一方は愛を求めて心を焦がしている・・・としたら、
それは動物の性行為とは言えないことになるだろうし、
たとえいわゆる「プレイ」でも、
「ふたりは愛し合っている」とかいったような心の設定をしないと、
性行為自体が行えない、みたいなこともあると思う。
わからない。

でも監督は、映画のなかで、あくまでも、
ただの動物のような人間、ただの動物のような人間がする性行為、
を描くことにトライしている。
特に『籠の中の乙女』ではそうだ。
あきらかにこだわってる。
そこへきて『女王陛下のお気に入り』は、なんか、
「人間的にも性的にも非常に悲惨なことになってしまった女性」
が主人公だった。
つまり監督の考えは、『籠の中の乙女』から、
さらに先に進んだ、あるいは変化した、ということなのだろう。

ヨルゴス・ランティモス監督の映画では、
まだほかに2作品、配信サービスで観られるものがある。
それらも観てみたい。

 

あと、『哭声 コクソン』も観た。韓国の映画。
すごくおもしろかったから、
ナ・ホンジン監督のフィルモグラフィーも、押さえたい。
『チェイサー』と『哀しき獣』。
この監督はまだ、作品数が少ないので、今のうちなら網羅できる。