BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

メモ-210911。

考えていらっしゃる御自分と、思いきった行動をなさる御自分と、その二つが一緒になるのを恐れておいでなのですね? ひそかにこの世の宝とお思いになり、それがほしくてたまらぬ方が、われから御自分を臆病者と思いなし、魚は食いたい、脚は濡らしたくないの猫そっくり、「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱり、だめだ」の腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過しになるおつもり?

 

シェイクスピアマクベス
第一幕第七場 マクベス夫人
福田恆存 訳 新潮文庫

回想-210910。

思い出すこと。

かえすがえすも、やっかいな子どもだった。非常に病弱だったし、うまく言えないが耳や目がフルオープンの状態となっていて、聞きたいものだけ見たいものだけ上手に取り入れる、みたいな、あたりまえのことができなくて、何もかも全部入ってきてしまった。自分に向けられた言葉でなくても自分のなかに入ってきたし、見たくなかったものもいちいち見えていた。身の回りが絶えずやかましく、また、世界がきたならしいものに見えてしょうがなかった。他人からしたらなんだかよくわからないようなことで頻繁にパニックを起こした。例えば「この道を通るのは絶対にいやだ」「その人のそばにはいきたくない」「ここの○○をどかしてくれないならもうこの家には住まない」みたいなことを何時間も狂ったように主張し、それはもちろんたいていの場合ワガママと見なされ、通らないとひきつけを起こすくらいぎゃーぎゃー泣いて周りを困らせた。それでも絶対に主張をまげなかった。まげたくてもまげることができなかった。

5歳か、そうでなければ7歳のときに、そういった、神経の過敏さがどうやらいったんピークに達した。まず、先に述べたようなことが毎日のように続き、もうヘトヘトだった。気の休まる時がなかった。いつも肩や胸のあたりに力が入っており呼吸が浅かった。それに両親の夫婦仲が険悪だったことをはじめとして、うちの家族の関係はあまり良くなかったので、家の雰囲気が常時最悪でおちつかなかったこともあり(わたしが面倒くさい子どもだったので両親や兄弟たちにもストレスがたまり、結果・・・、というかんじが大きかったんだろう。つまり、家の雰囲気が悪かったとか他人事のように文句を言ってるけどそれはけっこうな分量でわたしのせいなのだ)とにかく子どもながら毎日、一瞬一瞬を消化するのに必死だった。

疲れてて、神経がまいってた。それが、ここから述べる体験をしたことの、背景として間違いなくあるとはおもう。

夜の21時ごろのことだった。弟とふたり、わたしたちの寝室として割り当てられていた自宅の2階の和室で寝ていた時に、ふと目が覚めた。きづくと、ふとんの上にのばした足のつまさきあたりに、えたいのしれないかなりおおきな黒いモヤモヤが浮いていた。それには目があった。モヤモヤは人間の形じゃないが目はまちがいなく人間のものだった。はじめ、つまさきのあたりに浮いていたものが、すべるように移動して、仰向けに寝たわたしの、お腹の上に迫ってきた。目は、怒っているようにみえた。わたしを睨んでいた。白目のところが血走って赤くなっていた。口があったという記憶はないが、その黒いモヤモヤが、わたしに「見えてるだろ」「つきまとってやる」「くっついてやる」ということを伝えてきた。言葉を発したというか伝えてきた。わたしはおびえた。黒いのがいる、黒いのがいるといって激しく泣きわめいた。隣室で寝ていた兄と父、下の階にいた母親が飛び込んできておおさわぎになった。わたしは父親にしがみついて離れなかった。母親と、わたしをだっこした父親は、階下のダイニングで向き合っていた。母親が、「ばあちゃんに電話する」と言った。そこまでは同じ夜のできごととしてまちがいなく覚えている。


あれが、そういうものを、はっきりと形として見た、最初のできごとだった。

あの翌日の月曜か、もしくは翌週の月曜から、1週間くらい学校(か、幼稚園?)を休まされた。母方の実家につれていかれ、滞在した。祖父と叔父が、近所の昔馴染みの奥さん方などの協力を得ながら、面倒を見てくれた。といってもあの夜以来むちゃくちゃな熱を出して(肺炎だったと聞いてる。病院に入院はせずお医者さんが一日おきに診に来てくれた)ほとんど寝てた。叔父が枕元でみまもって折り紙を折ってくれたり、本を読んでくれたりしたのを覚えている。

わたしが母方の実家にやられたのとすれちがいに、母方の実家から祖母がうちにやってきた。そして、わたしと弟の寝室を、祓い清めてくれた。というのも祖母は、そういう方面の能力が高度に発達しまくっている人だった。身内もドン引きするレベルだった。本人はこだわらない性格で、社交的な人でもあり、不思議な力を隠すどころか、他人のために活かしていた。大工の妻で専業主婦だったが、今でいう心霊カウンセラー、心霊探偵みたいなことをやってた。近所で超有名だった。

祖母がそうやって動いてくれていたことはあとで知ったことだが、ともかく、1週間くらいしていちど帰宅すると、わたしが普段ふとんを敷くところをぐるっと囲むように、天井、床、側面のふすまと柱、足をのばした先の柱、後頭部をむける側の窓の下に、菩提寺のお札が1枚ずつ、はられていた。部屋の半分がお札だらけで最初みたときは驚いた。わたしは体が弱かったけど、祖母が健康祈願のお守りとかを持たせてくれたことなんかは覚えているかぎり一度もなかった。だから、このお札は、あの夜の黒いモヤモヤ事件に対応する品なんだと、しぜんに理解した。

また、祖母の娘であるわたしの母も、祖母ほどではないがかなりそっちの体質の人だ。わたしの兄と弟は、まったくそういうのがない。父も、わたしが知る限りなかった。女のほうに3代にわたって何かが遺伝している(笑) 祖母と母は、孫娘のわたしにもそのケがあることに気付いていたに違いない。成長の過程のどこかでもっと本格的に自覚的に覚醒してしまうかも、という懸念があったんだと思う。この黒いモヤモヤの一件は、「やっぱり、いよいよか」と確信するきっかけだったと想像する。

母から何か言われたり教わったりしたことがあるか、覚えてないが、祖母には、この事件以降、一緒にいるときはよく、「あそこにいる女の人は、お兄ちゃんや弟には見えてないんだよ。あの女の人がおまえに話しかけてきても、返事しちゃいけない」とか「これから、いいというまでばあちゃんと手をつないで目をつぶってなさい」とかいろいろ細かいことを言われるようになった。それを通して、「基本的には、お前は、妙なものが見えても、見なくて良い。相手をしなくて良い」と教えられた。ちらっとでも視線を送ったり、なにか反応をすると怒られた。

わたしは現在、実家を出ていて、また、あの2階の和室は、兄が使うようになって長いので、もうあの部屋のなかがどんなふうになってるか、くわしくわからないけど、すくなくとも天井のお札は、今も同じ場所にはられているはずだ。実家を出るときにたまたまそこは見て、あ、やっぱりお札まだある、と思ったから、確かだ。

あの黒いモヤモヤは、祖母が来てくれてから、二度と家では見なかった。黒いモヤモヤのなかにあった人間の血走った瞳は、家以外の場所で、都度いろんな形をとって、その後も何度となく見た。つきまとってやる、と言われた。でもこちらも確か、小学校5年生か、小学校を卒業するくらいのころには、めっきり見なくなった。

また、今思えば病気や怪我がほんとうに深刻で頻度が高かったのは小学校の高学年か、長くて中学に入ったころまでで、そのあとは、悪くなったり落ち着いたりの波をくりかえしながら、だんだんと低め安定で落ち着いていった。
なんでもかんでも受信しまくって神経がまいってしまうようなことも減った。

だが、まわりのみんなが見えないもの(人)を見ちゃうことは今もある。

でも祖母のような、心霊マスターみたいなスピリチュアルカウンセラーみたいなことはわたしは絶対できないし、やらない。そういうのをみずから進んでやってたのは祖母だけで、母なんかは「何を見ようが聞こうが徹底的に黙殺」派だった。祖母も母も、わたしに祖母みたいなことをやれとは言わなかった。相手にするな、しらんぷりしてろ、と言われてきた。

映画の感想-『白頭山大噴火』-210907。

原題:백두산
英題:Ashfall
イ・ヘジュン、キム・ビョンソ 監督
イ・ヘジュン、キム・ビョンソ、クァク・チョンドク、
キム・テユン、イム・ジョンヒョン 共同脚本
2019年、韓国
ツイン配給

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かなりおもしろかった。
ディズニーランドのアトラクションみたいに、
テンポよく次から次へと事件が発生しまくる。
そして、なんやかんやありつつも、最後にはすべての試練を乗り越え、
力強く生き抜く、タフな主人公たち!

大規模な自然災害が発生して、
市街地に甚大な被害があった場合に
想定される事態(と、人間の対応)のシミュレーションみたいなシーンが
この映画には、潔いまでに、なかった。それがすごく印象的だった。
そういう描写を入れることって、わりと、
ディザスターパニックものの常道、って気がするのだが。
具体的にどんなトラブルが起こると想定でき、
人はどういう風にそれに対応していくのか・・・、
この映画では、そんなこと、全然描かれない。
火山が噴火!
地震が発生!
ビルが倒壊!
街が壊滅!
迫りくる大波!
逃げ惑う人びと!
奇をてらうことのない大味でド派手なパニック描写が
ただひたすらに続く。
はい、CG使ってます!!! ってなザツなビジュアルには驚かされたし、
そもそも、地震災害の描写は、実際との乖離がかなり大きいように感じた。
たとえば北朝鮮の政府庁舎は、地震によってというよりも、
ダイナマイトで計画的に爆破した時みたいな倒れ方をしてた。

地震で建物が倒れる時ってこんなんじゃないよね・・・って素人でもわかる不自然な倒れ方だ。
でも、朝鮮半島は、日本よりは地震が少ないと聞いたことがある。
地震の経験値が低い地域で作られる地震のフィクション映像なんて、
案外こんなものなのかもしれない。

モブの描写で、
けっこう、見知らぬ人どうしで普通に助け合う姿が時々描かれ、切迫した状況でも人としての心を忘れない、みたいなことを感じて、それは決して悪くなかった。
けど本当に、「大災害と人間」ということを
多角的に描く群像描写みたいなものは、
ほぼ皆無と言って良かった。
人間の姿は、主役たちのドラマにぎゅぎゅっと集約されており、モブは、何万人出てこようともあくまでモブで、意味のある役割はほとんど与えられていなかった。
超ハイテンションなパニックアクションのあいま、あいまに、
メインキャラクターたちのかなり濃厚な人間ドラマがさしはさまれ、「人間」の姿がみたければ、そこでみてくださいという感じだった。

トータルでは、アクションとドラマの配分のバランスがとても良かったのか、
最後まで飽きることなく楽しめた。
シリアスな話だけど、皮肉のきいたユーモアも忘れてなかった。
韓国製の映画の良い所だなあ。


それにしても、
「あんたの国の人たちが全滅することになってもしょうがない、
なんたって『国際平和』のためだからさ」
に等しい言説がまかりとおるのをみて、
舌打ちが出そうなくらい「イラっ!!!」と来た。
お前が言うな。
そんなこと決める資格のある人間がこの世にいるとでも思うのか。

映画の感想-『モンタナの目撃者』-210906。

原題:Those Who Wish Me Dead
テイラー・シェリダン 監督
マイケル・コリータ、チャールズ・リービット、
テイラー・シェリダン 共同脚本
マイケル・コリータ 原作
ワーナー・ブラザース 配給
2021年、米

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当初は「観たい映画リスト」の外だった。
邦題がとてつもなくダサいし。
主演のアンジェリーナ・ジョリーもあんまり好きじゃない。
けど『ウインド・リバー』の監督だと知ったとき、
俄然、観る気になった。
ウインド・リバーとても好きな映画だから。

結果的には「観て良かった〜」と心から思える作品だった。
邦題がダサすぎて損しているとおもう。
邦題をつけるときに、もうちょっと頑張って欲しかった。
原題は、「私の死を願う者たち」みたいな意味っぽかったが。
でも確かにまあ、邦題考えるの難しそうな映画だなあとは思うよ。
タイトルに「目撃者」って付く映画、すでにたくさんあるしさ。

終盤なんか、とてもこらえきれなくて、
ちょっと嗚咽が漏れるほど泣いてしまった。
「立派だぞ・・・。がんばれ・・・涙」
とか心の中で声援を送りながら、ぐずぐずに泣いた。

失われた命へのリスペクトみたいなことが響く物語って良いよな。
「あなたのことをずっとずっと思っているよ」という、哀しく温かい気持ち。
あまりにも深い心の傷を抱えた人が、
その傷と向き合わざるをえない苛酷な試練をのりこえ、再び立ち上がる。
苦しいことばかりだけどそれでもふんばって生きていく。
そういうところを見守る物語って良いよな。
つまずきながらもがんばって生きてる人を、陰ながら支える人の物語も良い。
「健気さ」ということかなあ。

さっきアンジェリーナ・ジョリー好きじゃないって言ったけど、
(実際ほんとにあんまり好きじゃないのだが、)
主役のハンナの心細げな表情や、傷つき弱った心や、
おもってもみなかった相手に虚を突かれてたじろぐリアクションなんかは、
とてもうまく、自然なかんじに表現していて、良かった。

つらい過去を思い出しては、おさない女の子のように泣くハンナが、
ほんとに苦しそうで、
そばに駆け寄ってなぐさめることができれば良いのに、
という気持ちになった。
頭をヨシヨシしてあげるとか、したくなった。

コナー少年を演じた男の子も素晴らしかった。
子どもっぽい泣き顔が可愛いかったし、
でも僕は父さんから大事なことを託されてるんだ、
つらくてもがんばるんだ、といういじらしい強さを
しっかり表現していたとおもう。

モンタナの広大な山林地帯が舞台の物語なのだが、
そのわりには野生動物の姿が、子ネズミ1匹見当たらないのが、
妙といえば妙なのかなという気もした。
クマとかシカとかオオカミとか、なにか出てきても良いんじゃないかなと。
たとえば悪い奴が退治される方法のバリエーションとして
「クマに襲われる」があっても良かったのではないか、とか。
モンタナにクマがいるのかどうか詳しく知らないのだが。
けど、そもそも映画には、必要なものしか出てこないようになっている。
この物語にとって、リスやシカが必要だったか、
野生のクマに襲われるというシーンが必要だったかどうか、考えると、
「かならずしもそうとは言えない」とおもう。
それに考えてみれば映画のなかの季節も、ちょっと良くわからなかったし。
冒頭で、消防士の入隊式のシーンがあったということは、
欧米の新年度にあたる9月とかなのかな? 
わからない。
季節によっては、冬眠してる野生動物もいるだろうし、
人間が歩き回ってるところにノコノコ顔を出すクマなんて、
むしろ、野生動物としてはまれにみるどんくささだろう。
よっぽどお腹がすいてるか、気が立ってたらアレだろうが、
関わり合いにならないように、向こうから距離を取るのが、
反応としては自然なのかもしれない。
この映画では、物語のなかで、大規模な山林火災が起こるので、
動物たちはいち早く危機を察知して安全な所に移動していたのだろう
(そうであってほしい)。
のろまで愚かな人間どもが、火事場で殺し合いを演じている所に、
動物の姿が見えないなどということくらい、大した問題ではないだろう。

山火事の広がり方とか、山に落ちる雷がどんなものかとか、
全然知らなかったので、
この映画で実態が描写されているのをみて、震え上がった。
あんなふうになるんじゃ、そりゃ逃げられないわ。
ひとたまりもないわ。

 

 

アリソンが「急がないわ」と言ったのが泣けた。

映画の感想-『オールド』-210829。

『オールド』
M・ナイト・シャマラン監督、脚本
2021年、米

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1日で50歳ぶんも肉体の老化が進行してしまうビーチの謎。
そこに閉じ込められてしまった人びとの、必死の脱出劇。

あちこちに、わりと重大な穴があった気がするが、
それでもかなり集中して、最後まで楽しく観ることができた。

良いところが、たくさんあった。
家族どうしの、お互いへの思いやりに満ちたあたたかいやりとりや、
仲の良い姉弟の関係なんかは、みてて気持ちが良い。
みるみる若さが失われ容姿が衰えていくことにおびえる、女性の描写も良かった。

肉体だけでなく、心の変化も、一生懸命表現しようとしていたのが良かった。
子どもは思春期を迎え青年になるにつれ花開くようにめざめるように変化していく。
大人は、老いていくなかで枯れるようにしぼむように、変化していった。
とはいえ狭い浜辺で一日を過ごすだけの話なので、
そんな短くちいさな体験のなかで、心が「成長」するなんてありえない、と、
この映画を観る前までのわたしなら、思ったかもしれない。
でも、心の変化は、ある部分までは肉体の変化であると、
この映画は言っているのだなと思った。
そのように言われることに全然イヤな感じはなかった。

子どもの肉体が大人のそれへと成長していく様子を、
ひとりの子役が全部演じるのはさすがにムリなので、
推定年齢にあわせて次々とキャストが変えられていった。
見た目や雰囲気が似るように意識されていたけれども、結局は他人なので、
「違う人だな」という感じがあったとしてもしょうがなかったとおもう。
でも、撮り方が工夫されていたおかげか、キャストがどんどん変わっていくのに、
まったく違和感なく同一のキャラの何歳時の姿、として受け入れていくことができ、
やりかた次第でこんなにうまくいくものなんだなと思った。
違和感のなさが、予想以上だった。

大人は、ひとりの役者が特殊メイクの力と演技の力で、
最初から最後までみごとに表現しきっていた。
夜になって暗くなり、気温が下がるので上着をはおったりする流れがあるので、
自然な形で、あんまり何もかもハッキリ見せないようにできていた、というのも
うまかったとおもう。
それに、あのような状況に置かれたら、自分の姿をそんなにまじまじと
見たくなくなるのが人の当然の反応なのだろう。
自分の姿を見たがって鏡を探そうとしたのは、
あのメンバーのなかではひとりだけだった。

見た目の変化にいちいち大騒ぎする時間はとうにすぎて、
今も刻一刻変わっていくが、それでも変わらないものもある、とか、
変わっていくことがはたしてそんなに怖いことなのか、ということを、
じっくりと見せていたのが良かった。

妙ーなかんじの、冷めたユーモアも良い。

無自覚ゆえに、大人がヒヤっとするようなことを平気でやっちゃう
子どもの怖さ、魔性みたいなものも、なにげに、すくいあげていた。


微妙になんだかよくわからない、意味がありそうでなさそうなセリフもクセになる。
観てるうちにすこしずつ、わかるところが増えていく。

顔が売れた役者があんまり出ていないために、
登場人物たちがみんなどこかちょっと人形っぽいというか、
うまくいえないが、のっぺりとした匿名っぽさ?
というか一般の人っぽさ? があるのが、妙に不気味。

結末も、自分としては気に入った。

結末いかんや、「話がどこまで展開していくか」
「どんな奇抜な発想がうまれるか」ということよりも、
人が生きるということのなかの、非常に重要なことを、
ふと伝えてくれる、セリフなんかがあったのが、
自分としては、この映画の魅力に感じた。
そういうのはどれも、この映画の本筋とは関係なかったし、
たいして重要な場面じゃなかったかもしれないのだが。

しかしながら、女としては、どうしてもすこし、言いたいことがある。
月経を描いてなかった。
5歳かそこらの幼女と、11歳の少女が、ひとりずつ登場してた。
まあふつうに考えればふたりとも、
1日のなかで、初潮をむかえただろうし、生理があったはずだ。
ビーチの法則性にのっとれば、サイクルも早まるはずなのだ。
するとどう見えるか。どうなるか。
・・・そういうのが、もののみごとに抜け落ちてた。
女の体の変化を言うなら、月経は、欠かすことができないことに思えるが。
ビーチに取り残された人びとは、必死に小難しい計算をしたり、
議論したりして、自分たちの身に起きていることの解釈を試みていた。
でも、少女たちの生理のサイクルに着目すれば、
もっと簡単にある程度、答えが出せたんじゃないのかなとおもう。
あのメンバーのなかには、医者とか、頭の良さそうな人がいっぱいいたし。

血をおもわせる系のなまなましさが、かなり徹底的に、排除されていたんだよな。
そこは気になった。
それを「品が良い」と取るか、突き詰めかたがしょせんその程度、と取るか、
といったところは、観る人それぞれの、好みの問題かもしれない。

また、これを言っちゃおしまいかもしれないが、
彼らが海に入ることが容易に予測できるであろうなかで、・・・
あと、浜辺に残されていた物で、・・・
・・・いや、盛大なネタバレになりかねないからさすがにやめとこう・・・。

 

でもまあ、それはそれとして置いといて、と思うことができる映画だった。
ほんとうに最後までけっこう集中して楽しめた。
良いところがいっぱいあって、その良いところが、
いつまでも心をあたためてくれそうだった。

おもしろかったとおもう。 

健康第一-210825。

友だちが体調を崩していて心配だったけど、今日、また連絡をしてようすを尋ねたら、良くなって来たと聞いて、ほんとうにほっとした。

 

 

 

スクワットにも、いろんなやりかたがあるみたいだ。

元ボクシング世界チャンピオンの八重樫東さんのYouTubeチャンネルで、いま、女性の芸人さんのダイエット企画をやっていて、新しい動画でスクワットのやりかたを指導してたが、わたしが知ってるのとは、やりかたがかなり違ってた。試しにやってみたら、八重樫さんバージョンのほうがずっとキツく感じた。やりかたはちがっても、下半身の筋肉を鍛えることで脂肪の燃焼効率を上げるという狙いは同じみたいなのだが、一回にかかる負荷が、すごく重いとおもう。

 

 

夜中、涼しければ外に出て、数キロ、ジョギングをするのだが、夜になっても蒸し暑かったり雨がひどかったりすると出られないので、そういう時は、なわとびでもやろうかなあとおもう。明日、跳び縄買ってこよう。

 

 

腱鞘炎で、両の手首からヒジにかけて、内側で発火してるんじゃないかとおもうほど熱くて、痛む。冷湿布とサポーターをつけてじっとしてればかなり楽だけど、ちょっと動かしただけで鋭い痛みが走る。