BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

回想-210910。

思い出すこと。

かえすがえすも、やっかいな子どもだった。非常に病弱だったし、うまく言えないが耳や目がフルオープンの状態となっていて、聞きたいものだけ見たいものだけ上手に取り入れる、みたいな、あたりまえのことができなくて、何もかも全部入ってきてしまった。自分に向けられた言葉でなくても自分のなかに入ってきたし、見たくなかったものもいちいち見えていた。身の回りが絶えずやかましく、また、世界がきたならしいものに見えてしょうがなかった。他人からしたらなんだかよくわからないようなことで頻繁にパニックを起こした。例えば「この道を通るのは絶対にいやだ」「その人のそばにはいきたくない」「ここの○○をどかしてくれないならもうこの家には住まない」みたいなことを何時間も狂ったように主張し、それはもちろんたいていの場合ワガママと見なされ、通らないとひきつけを起こすくらいぎゃーぎゃー泣いて周りを困らせた。それでも絶対に主張をまげなかった。まげたくてもまげることができなかった。

5歳か、そうでなければ7歳のときに、そういった、神経の過敏さがどうやらいったんピークに達した。まず、先に述べたようなことが毎日のように続き、もうヘトヘトだった。気の休まる時がなかった。いつも肩や胸のあたりに力が入っており呼吸が浅かった。それに両親の夫婦仲が険悪だったことをはじめとして、うちの家族の関係はあまり良くなかったので、家の雰囲気が常時最悪でおちつかなかったこともあり(わたしが面倒くさい子どもだったので両親や兄弟たちにもストレスがたまり、結果・・・、というかんじが大きかったんだろう。つまり、家の雰囲気が悪かったとか他人事のように文句を言ってるけどそれはけっこうな分量でわたしのせいなのだ)とにかく子どもながら毎日、一瞬一瞬を消化するのに必死だった。

疲れてて、神経がまいってた。それが、ここから述べる体験をしたことの、背景として間違いなくあるとはおもう。

夜の21時ごろのことだった。弟とふたり、わたしたちの寝室として割り当てられていた自宅の2階の和室で寝ていた時に、ふと目が覚めた。きづくと、ふとんの上にのばした足のつまさきあたりに、えたいのしれないかなりおおきな黒いモヤモヤが浮いていた。それには目があった。モヤモヤは人間の形じゃないが目はまちがいなく人間のものだった。はじめ、つまさきのあたりに浮いていたものが、すべるように移動して、仰向けに寝たわたしの、お腹の上に迫ってきた。目は、怒っているようにみえた。わたしを睨んでいた。白目のところが血走って赤くなっていた。口があったという記憶はないが、その黒いモヤモヤが、わたしに「見えてるだろ」「つきまとってやる」「くっついてやる」ということを伝えてきた。言葉を発したというか伝えてきた。わたしはおびえた。黒いのがいる、黒いのがいるといって激しく泣きわめいた。隣室で寝ていた兄と父、下の階にいた母親が飛び込んできておおさわぎになった。わたしは父親にしがみついて離れなかった。母親と、わたしをだっこした父親は、階下のダイニングで向き合っていた。母親が、「ばあちゃんに電話する」と言った。そこまでは同じ夜のできごととしてまちがいなく覚えている。


あれが、そういうものを、はっきりと形として見た、最初のできごとだった。

あの翌日の月曜か、もしくは翌週の月曜から、1週間くらい学校(か、幼稚園?)を休まされた。母方の実家につれていかれ、滞在した。祖父と叔父が、近所の昔馴染みの奥さん方などの協力を得ながら、面倒を見てくれた。といってもあの夜以来むちゃくちゃな熱を出して(肺炎だったと聞いてる。病院に入院はせずお医者さんが一日おきに診に来てくれた)ほとんど寝てた。叔父が枕元でみまもって折り紙を折ってくれたり、本を読んでくれたりしたのを覚えている。

わたしが母方の実家にやられたのとすれちがいに、母方の実家から祖母がうちにやってきた。そして、わたしと弟の寝室を、祓い清めてくれた。というのも祖母は、そういう方面の能力が高度に発達しまくっている人だった。身内もドン引きするレベルだった。本人はこだわらない性格で、社交的な人でもあり、不思議な力を隠すどころか、他人のために活かしていた。大工の妻で専業主婦だったが、今でいう心霊カウンセラー、心霊探偵みたいなことをやってた。近所で超有名だった。

祖母がそうやって動いてくれていたことはあとで知ったことだが、ともかく、1週間くらいしていちど帰宅すると、わたしが普段ふとんを敷くところをぐるっと囲むように、天井、床、側面のふすまと柱、足をのばした先の柱、後頭部をむける側の窓の下に、菩提寺のお札が1枚ずつ、はられていた。部屋の半分がお札だらけで最初みたときは驚いた。わたしは体が弱かったけど、祖母が健康祈願のお守りとかを持たせてくれたことなんかは覚えているかぎり一度もなかった。だから、このお札は、あの夜の黒いモヤモヤ事件に対応する品なんだと、しぜんに理解した。

また、祖母の娘であるわたしの母も、祖母ほどではないがかなりそっちの体質の人だ。わたしの兄と弟は、まったくそういうのがない。父も、わたしが知る限りなかった。女のほうに3代にわたって何かが遺伝している(笑) 祖母と母は、孫娘のわたしにもそのケがあることに気付いていたに違いない。成長の過程のどこかでもっと本格的に自覚的に覚醒してしまうかも、という懸念があったんだと思う。この黒いモヤモヤの一件は、「やっぱり、いよいよか」と確信するきっかけだったと想像する。

母から何か言われたり教わったりしたことがあるか、覚えてないが、祖母には、この事件以降、一緒にいるときはよく、「あそこにいる女の人は、お兄ちゃんや弟には見えてないんだよ。あの女の人がおまえに話しかけてきても、返事しちゃいけない」とか「これから、いいというまでばあちゃんと手をつないで目をつぶってなさい」とかいろいろ細かいことを言われるようになった。それを通して、「基本的には、お前は、妙なものが見えても、見なくて良い。相手をしなくて良い」と教えられた。ちらっとでも視線を送ったり、なにか反応をすると怒られた。

わたしは現在、実家を出ていて、また、あの2階の和室は、兄が使うようになって長いので、もうあの部屋のなかがどんなふうになってるか、くわしくわからないけど、すくなくとも天井のお札は、今も同じ場所にはられているはずだ。実家を出るときにたまたまそこは見て、あ、やっぱりお札まだある、と思ったから、確かだ。

あの黒いモヤモヤは、祖母が来てくれてから、二度と家では見なかった。黒いモヤモヤのなかにあった人間の血走った瞳は、家以外の場所で、都度いろんな形をとって、その後も何度となく見た。つきまとってやる、と言われた。でもこちらも確か、小学校5年生か、小学校を卒業するくらいのころには、めっきり見なくなった。

また、今思えば病気や怪我がほんとうに深刻で頻度が高かったのは小学校の高学年か、長くて中学に入ったころまでで、そのあとは、悪くなったり落ち着いたりの波をくりかえしながら、だんだんと低め安定で落ち着いていった。
なんでもかんでも受信しまくって神経がまいってしまうようなことも減った。

だが、まわりのみんなが見えないもの(人)を見ちゃうことは今もある。

でも祖母のような、心霊マスターみたいなスピリチュアルカウンセラーみたいなことはわたしは絶対できないし、やらない。そういうのをみずから進んでやってたのは祖母だけで、母なんかは「何を見ようが聞こうが徹底的に黙殺」派だった。祖母も母も、わたしに祖母みたいなことをやれとは言わなかった。相手にするな、しらんぷりしてろ、と言われてきた。