BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『病院坂の首縊りの家』-201020。

市川崑監督 監督
日高真也市川崑 共同脚本
横溝正史 原作
1979年、日本

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ポスターといい予告編といい
時代を感じますなあ~。
良いですなあ。

中学校の文化祭のポスターみたいだよね
美術部の生徒さんが描きましたみたいな。

2006年に市川崑監督自身の手でリメイクされた
犬神家の一族』を除けば
この『病院坂の首縊りの家』が
市川崑版「金田一耕助シリーズ」の
最終作だそうだ。

なんか、シリーズで一番、
脚本も演出もメチャクチャだったけど、
シリーズで一番、パワフルであり、
かつ一番、おぞましく、
また、一番、悲しい物語だった。

桜田淳子の演技は、
ちょっとオーバーだったかなとは思うが、
感情ゆたかにやっていて良かった。

また、草刈正雄が、粗野だけど心のまっすぐな
感じの良い男をとても自然に演じていて、
脇役だけど強く印象に残った。
若い頃の草刈正雄は、今の彼よりも、
米国軍人だったというお父さんの血を継いでいることが
顔つきからハッキリわかるなあ。
瞳の色とかちょっと明るい気もするし、
なんか・・・ハーフなんだなあって明らかにわかる。
たしか2008年のNHK大河ドラマ篤姫』で
阿部正弘を演じていたのは草刈正雄だったはずだ。
もし彼が若い頃同様に「ハーフっぽかった」ら、
ちょんまげ裃姿の阿部正弘に違和感をおぼえただろう。
でも『篤姫』観た時は、阿部正弘を見て、
「なんか外人さんみたいだな」とか一切思わなかった。
やっぱり年齢を重ねて 若い頃とは顔つきが
変わったんじゃないかなーと思う。

冬子を演じた萩尾みどりがとてもきれいだった。
前作の『女王蜂』にも出てたけど。
すごく素敵な人だなと思う。

それにしても
弥生と冬子と由香利と小雪ってのは
これはいったい・・・、
名前を付けるとすると、なんていう関係になるんだろう???
原作の人物相関も、家系図にすると
スペインハプスブルク家か! と思うくらい
とんでもないことになってたけど、
映画ではその血縁関係とかが改変されていて、
よりいっそうおぞましい感じになっていたぞ。

複雑すぎる・・・

なんにも悪くないのに
どうして彼女たちが、こんな目に
遭わなくちゃならなかったのか??? と
つくづく頭をかかえてしまった。
なんて残酷なんだろう。
この女性たちを苦しめた者どもは、
罪とか良識とか倫理観とか、
そういうものを持ち合わせてなかったのだろうか???

最終局面の、人力車に乗った弥生のシーンは
きれいだった。
あのシーンだけでも、この映画の存在価値は
じゅうぶんにあると思う。

映画の感想-『女王蜂』-201017。

市川崑 監督
日高真也桂千穂市川崑 共同脚本
横溝正史 原作
1978年、日本
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音楽がぐっとモダンで「ナウ」っぽい感じだった。

カネボウとのタイアップだったらしくて
等々力警部とかに「くちびるにミステリー!」などと
化粧品の宣伝文句みたいな言葉を唐突に言わせる所に
当時らしい遊びとセンスが感じられておもしろかった。
等々力警部にやらせる、って所が良いと思う(笑)

物語はやや通俗的にすぎるきらいがあった。
また、映画化に際して原作をかなり改変した部分が
あったにしても、
あまりにもズサンだな~と思う部分が散見された。
ヒロイン格である大道寺智子に、
3人もの(父親公認の)花婿候補がいるのはなぜなのか、
とか、いろいろと、あまりにも説明不足であり、
「それ、本筋と関係ないよね?」的な枝葉も多かった。
終盤の、銀造の出自とかも、
悪いエピソードとは全然思わないが
終盤でいきなり詰め込みすぎだった気がする。
もうちょっと早い段階から、もうすこし強めに
ほのめかしてくれていたら良かったと思うのだが。

だけど、キャラクター配置がかなりゴージャスで、
女性のキャラクターも大勢出てくるので、
着物とか着るから見た目に華やかだし、
観ていて退屈はしなかった。

かえすがえすも、あの3人もの花婿候補は
謎だなと思った。説明不足なんだろうな・・・
銀造の心情としては(原作では「欣造」だったと記憶してるが)、
また、銀造の性格的なことを考えても、
智子の周りに、素性も知れない男どもなんかを
ウロチョロさせたくない、というのが本音では。
それとも、そう周囲に思われると都合が悪いために、
「娘の男女交際に理解のある父親」を演じていた、
的なことなのだろうか。
映画ではそのへんが描かれないのでわからなかった。
まあ、銀造が智子に抱く感情は
長い年月のなかで、さまざまに移り変わり、
非常に複雑なものになっているようだった。
それゆえに、はたからすると、
一貫性に欠ける、支離滅裂な行動を
とっているように見えたのかもしれない。
自分と結婚したがっている男が3人もいて
そこから選びなさい、ということになっている
大道寺智子本人の気持ちも、
描写が不十分であり、まったく読めなかった。
どの男性とも友人としてそれなりに接しており
時には笑顔を見せることもあり
でも誰が一番好きとも嫌いとも言わず、
このことについて何を考えているのか
まったく見えなかった。
人生をはかなんで一種の自暴自棄的な
状態にあったのだろうか。
彼女が関心を示すのは、
仁志の死の真相、ただそれだけだった。
「仁志の死の真相」というキーワードにだけ
脳と体が反応する、ロボットみたいだった。
ある意味では この陰惨な連続殺人を経て
彼女は初めて、ものを考え、心で思う、
本当の大人の女性に成長したのかもしれない。
でもはっきりと描写されていなかったから
全部、想像にすぎないのだが。

大道寺智子を演じた中井貴恵は、
当時、新人さんだったということで、
演技は達者じゃなかったかもしれないけど、
思い切ってやっていて、まじめさが伝わった。
表情の変化にもメリハリがきいており、
好感が持てた。
声がやや低くて、落ち着いた感じなのも良かった。

ところで、
こんなことは映画の本筋とは関係がないので
どうでも良いことかもしれないが、
今から観ると画期的に思える所が、いくつかあった。
例えば智子の家庭教師の秀子が、
「わたしが愛している人の写真をお見せしましょうか」
と見せてきた写真に写っていたのが、琴絵なのを見て
金田一は、「ちょっと意外でした」とは言ったが、
「えっ、つまりあなたはレズビアンなんですか!」
とかいったつまらないリアクションはしなかった。
これにはちょっと感心した。
当時は映画の中で、そういう反応が描かれても
まだおかしくなかったと思うのだが。
(ただし、秀子は実際には、琴絵に恋愛感情を
抱いていたのではなかった)
また、金田一が毛糸編みにトライしているのを見て、
あの等々力警部が、うまいもんだねと、ほめていた。
等々力警部は、私立探偵の金田一を毛嫌いしている。
「探偵なんて無責任なもんだ」とことあるごとにバカにする。
そんな等々力警部が、金田一の毛糸編みを見て
「なんだ、編み物なんて女の趣味に手を出してやがる」
みたいなことを言わない展開には、おっ、と思った。
わたしは等々力警部は女性蔑視野郎だ、とまでは思ってないが、
金田一をバカにするためなら何でも言うキャラだとは思っている。
毛糸編みをやっているところなんて見つけたら、彼ならば
なんだ毛糸編みなんて、女みたいなことをしやがって、
くらいのことは言ってもおかしくない気がしていた。
でも、そんなことをひとことも言わなかったものだから、
ちょっと等々力警部を見直してしまった(笑)
この通り、結構今観ても、この映画は、
ポリティカルコレクトネス的に最低限の所を押さえており、
その意味でもそんなにイヤな気持ちになることなく、
鑑賞することができた。
ただし、
多聞連太郎が智子に「あなたが美しい人で良かった」
と、のたまう場面はムカついた。
お前は引っ込め(笑)

銀造の所業を何もかも知ってしまった智子だが、
彼女はそのうえで、自分の意思で、
大道寺家の娘であることを引き受けた。
父の苦悩、母の哀しみ、家庭教師の秀子の思い、
全部を知ってそのうえで引き受けた。
東小路隆子によって、もっと楽に生きていける道が
目の前に提示されていたにも関わらず、
それを蹴ってまで引き受けた。
親の世代の涙を、広い心で一手に吸収することによって
苦しみの連鎖を断ち切った、ということになると思う。
でもそれができるだけのすこやかな心を持った女性に
智子を育て上げたのもまた、父と母と、秀子なのだ。
三つ指ついて「すみません」と、東小路隆子に頭を下げた、
智子の姿があまりにも強く、気高く見えて、
不覚にもちょっと涙が出そうになった。
東小路隆子が「私もそれが良いと思いますよ」と
智子の決意を受け止めて、涙するのを見て
余計にジーンときてしまった。

銀造が「いつも琴絵が智子を守っているんだ」と
言った所もシビれた。

人間は間違ったことをたくさんする。
自分が愛する者のためなら他人の命を奪って平気なこともある。
罪深い生き物だとは思う。
でもこうして、正しく生きようと、じたばたするのも人間だ。
悪いことをしたと思った時、心からそれを悔いて謝るのも人間だ。
何度絶望しようとも立ち上がり、強く生きて行こうとするのも人間だ。

智子が頭を下げるあのシーンが観られたことだけでも
この映画を観たかいが十分にあった気がしている。
こういう系のドラマチックなストーリーの邦画が、
好まれてめちゃくちゃ量産された時代が
かつてもしかしたらあったのかもしれなくて、
この映画はその1本にすぎないのかもしれないのだが。

今となってはあまりお目にかかれない類の、
なんか
「日本の映画を観た!」って感じになれる映画だった。

映画の感想-『八つ墓村』-201018。

市川崑 監督
大藪郁子、市川崑 共同脚本
横溝正史 原作
1996年、日本

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予告編の動画がうまく探せなかった。

金田一耕助シリーズの実写映画版を観るという
(自分だけの)キャンペーンを展開している。
金田一耕助シリーズと言えば市川崑監督、という
イメージがあり とりあえず市川崑監督のを
発表順に、観られるだけ観ている。

金田一耕助シリーズ 映画版」でネット検索すると
70年代製作の『八つ墓村』があることがわかった。
だけど、メガホンを取ったのが市川崑ではなく(野村芳太郎)、
金田一耕助役が渥美清だと知り、いったん観るのをやめた(笑)
ここまでずっと市川崑監督版の金田一耕助シリーズを
観てきていたので、まだ引き続き市川崑で観たかった。
あと、観ないでこんなことを言うのもなんなのだが、
渥美清金田一耕助ってのはどうなのか・・・
イヤ、でも、市川崑版が尽きたら、
他の監督×他の金田一耕助による映画も観たいとは
思っている。

今回観たのは
市川崑×豊川悦司版、96年製作の『八つ墓村』だった。
こうしてみると 
市川崑とは、なんて息長く活躍した監督さんなのだろう。
芸術性の高い作品も、商業作品も幅広く手掛けていて
キャリアのなかではそれなりにいろいろあったのだろうが、
ずーーーっと活躍し続けているのはスゴイよな。
映画監督として腕が良かったのはもちろんだが、
多分、人柄も優れていて、
周囲に慕われ信頼されていたのではないかと思う。

それにしても、豊川悦司金田一耕助をやったことが
あったとは知らなかった。
ここまでずっと石坂浩二版で観ていたので、
豊川悦司か・・・違和感あるかもしれない、と思ったけど、
意外と全然わたしは大丈夫だった。というかむしろ大好き。
声音、セカセカとした口調、
風貌は野暮ったくモッサリしているが年齢が若いために
機敏に行動されると「えっ?」てくらい意外に映る所、
急に「あっ! しまった!」と大声を出すなどの奇矯な行動、
自分の思考についてこられない人を悪気なく置いてきぼりにする所、
・・・かなりわたしの金田一耕助のイメージに近いように思った。
石坂浩二古谷一行がすでに金田一耕助役として定着している所へ、
新たな「金田一」を作り上げるのは大変だったんじゃないだろうか。
そのなかでとても良くやっていたと思う。

映画としても、物語の内容としても、個人的に好みだったのは
『獄門島』の方だったが、この『八つ墓村』も十分楽しめた。
「津山事件」がモデルになっているっぽかった。
(津山事件は、1938年、岡山県の集落の住民だった都井睦雄が、
2時間のうちに近隣の人びと28人を殺害、5人に負傷させたのち、
山中で自殺した事件。『津山三十人殺し』と呼ばれることもある)

96年と、結構最近の映画だけど、
70年代の市川崑監督のこのシリーズの「らしさ」が
ちゃんと保存されていたのが良かった。
田舎の旧家の、古いがすみずみまで磨き抜かれ、
しーんとしずまりかえった室内の描写、
人が殺されるシーンのチープかつセンセーショナルな描写。
金田一が宿泊する宿屋のキュートでおしゃべりな女中さん。
土地の駐在のお内儀や、聞き込み先の娘さん妹さんとかが
一見愚鈍そうで塩対応だが、実は機転の利く、頭の良い人。
ヨロリと机や床に手を突いてものものしく罪を認める犯人。
あと等々力警部(笑)

多治見家の後継者問題とかは、
部外者からすると完全に「どうでも良い」ことだ。
関係者たちがこうまでその問題に
躍起になる気持ちがまったく理解できない。
別に後継者がいなくて家が絶えたとしても
いざとなったらそれでも良いじゃないか、
しょうがないじゃないか、と思う。
でも関係者にとってみたら大問題で
そのせいで人死にまで出てしまう。

森美也子と里村慎太郎が抱き合うシーンに
説得力を持たせるには、ややお膳立て不足だった気がする。
一見キレイに言ってたけど
「自分の愛する人が夢を叶えられるように、
その人のジャマになる存在を、積極的に排除していく、
そうすれば、いつか愛する人が自分の方を見てくれる」
こんなの完全にサイコパスの発想だよな・・・
このような気持ちが育まれていく過程をもうちょっと
丁寧に描いてくれていたら、
わたしの感想も少し違ったかもしれないが。

映画の感想-『獄門島』-201017。

市川崑 監督
日高真也市川崑 共同脚本
横溝正史 原作
1977年、日本

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4日前に観た。
おもしろかった。
原作を読んだことがなかったけど、十分に理解できた。
狭すぎる世界に自分を閉じ込めてしまった者たちの
哀しい末路、と言ってしまえばそれまでかもしれなくて、
最初は正直なとこ、犯人の気持ちがまったくわからなかった。
生きる世界が違い過ぎて理解ができないと思った。
あれではやったことの言い訳にはなっているとは到底言えず
あんなことをもし法廷で話したとしても
誰にも「そうですか、大変でしたね」
なんて言ってもらえないだろう。

だけど、
まあ「自分の世界のなかで生きていく」という点では
この世のすべての人間が同じ条件下にあることになり
みんな自分の狭い世界の中でじたばたしていて
はたから見ると他人のじたばたっていうのは、
程度の差こそあれ
「うわー、あの人、何あんなくだらないことで
 いつまでもグズグズしているんだろう」
っていう風に見えるのかもしれない。

大原麗子佐分利信がとても良かった。

映画の感想-『悪魔の手毬唄』-201012。

市川崑 監督
横溝正史 原作
1977年、日本

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邦画をこのところ全然観ていなかった。
たまには観ようと思ってこれを鑑賞してみた。

先に原作小説に触れていたので、
原作の方が好きかな、っていう感じがどうしてもしたけど、
この映画はこの映画で楽しめた。

小説においては、
歌名雄は、確か母譲りの音楽的な才能に恵まれ、
歌がうまかったりするので、女の子にモテる、的な
設定だったと記憶しているのだが、
映画ではその設定がほぼカットされており、したがって
「歌名雄」というめずらしい名前に説得力がなかった。
別に説得力がなくても良いっちゃ良いんだけど(笑)
歌名雄を演じていた人は北公次さんという人で、
人気アイドルグループ・フォーリーブスのメンバーだそうで、
だったら当然、音楽もできるんだろうから、
弾き語りでもするシーンを入れれば良かったのにと思った。
ちなみにこの映画での北公次さんは演技がヘタだった(笑)
これはわたしの想像にすぎないのだが、もしかしたらはじめは、
歌名雄の演奏シーンとかを入れる予定があったのかもしれない。
でも、北さんがあまりにも演技がヘタだったので、
なんとか見られる程度まで演技を付けることが急務となり、
その結果、演奏のシーンとかを入れる余裕がなくなって、
歌名雄から音楽的な才能というキャラクターそのものを
剥ぎ取らざるをえなくなったのではないだろうか(笑)

・・・

20年前の殺人事件の真相を個人的に追いかけ続ける
磯川警部を演じた、若山富三郎がとても良かった。
ああいうどっしりしたおじさんって良いよね~。
見た目はもっさりしたクマみたいなんだけど
この物語に登場する誰よりも心根が優しく純で、
5月の風みたいにスッとして気持ちが良くて、
ほっとできる、そんな感じを作品に吹き込んでくれていた。

村のアイドル・千恵を演じた仁科明子
きりりとした目元がステキで良かったと思う。

活動弁士時代の青池の、友人の奥さんが、
塩対応で笑えた。
愚鈍そうに見えて実はちゃんと状況を理解していて
金田一がはるばる探し求めてきた青池の顔写真を
素早く探し出し、投げつけるようにして去っていく笑
あの ふすまの閉め方、良いよな~。

恩田という男は、一言でいえばサイコパスだと思うけど、
彼の所業の悪魔的な感じは、
映画からはいまひとつ伝わらなかった。
そこがぐいぐい伝わってきたら
もっとこの映画をおもしろく感じることができた気がする。

「心底憎めたらあんなことにはならなんだ
 むごい男と分かっても好きやった」
というセリフに、人の心の複雑さや業のようなものが
良く良く込められている気がした。

だが、文子や泰子を果たして殺す必要があったのかと思った。
殺すことはなかったんじゃないかなと思う。

放庵が、とある秘密をダシに女を手籠めにしようとした件は、
秘密を握られた方が、その秘密をどう扱いたがっているか、
ちゃんと当人に確かめてみないとわからないと思うのだが、
(そんなのバレても構いませんけど? という人もいるかも。
 この秘密を知っているのは俺だけだ、というつもりでも、
 意外と村じゅうの公然の秘密ということもありえたと思う)
放庵がその秘密の「情報価値」を頭から信じているわけが、
この映画ではちょっとわかりにくい部分があった。

早く言えば、
多分、「誰が何をどこまで知っているのか」や
「なぜその情報がそれほどまでに重要か」といった
価値基準のマップ説明がきわめて困難だった、
ということが この映画からはうかがえた気がする。
村の二大勢力の力関係とかキャラクター相関を
頭に叩き込んでいかないとついていけない物語だが
そこの説明もちょっと映画だと限界を感じた。
でもそれはしかたない部分もあるというか。
映画だと、本みたいに、
わからなかったら前のページに戻って読み直す、
みたいなことができない前提なので。
こういう複雑な話を映画でやるのは、
どうやったって当然難しい気がする。

事件の真犯人の末路を描く終盤のシーンには
涙ぐんだ。
水に濡れた髪の毛が、白い顔にはりつき、
力なく横たわる、やせた体は
どこかしら可憐な感じさえして哀しい気持ちを誘った。

映画の感想-『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』-201011。

原題:House of Cardin
P・デビッド・エバーソール、トッド・ヒューズ 共同監督・製作
2019年、米・仏合作

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ピエール・カルダンの半生や彼の業績がとてもわかりやすく
まとめられていた。最初から最後まで楽しく観ることができた。
前にマノロ・ブラニクの伝記ドキュメンタリーを観て、
あれも結構楽しく観られたのだが、

york8188.hatenablog.com

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この映画は、マノロ・ブラニク氏という
チャーミングな人物そのものにフォーカスしすぎて、
マノロ・ブラニクブランドの人気の秘密とか、
デザインの先進性などに関しては、あまり伝えていなかった。
この道の専門家の方々に聞いたら、もしかしたら
「そういうことを詳しく語るのは、難しいことなんだよ」
というコメントが返ってくるのかもしれないが、
でも、素朴に、知りたい部分ではあった。
洋服とか、アクセサリーとか、バッグとか、いろいろあるのに
なぜよりにもよって「靴」だったのか、とか。

それと比較して、この『ライフ・イズ・カラフル』は、
ピエール・カルダン氏の人柄について、
肌感覚に近いものとして生々しく伝えてくれたのと同時に、
ピエール・カルダンというブランドの、何が新しかったか、
どうして人気を獲得したか、どこが受けたか、
世界中で注目されるブランドになるまでの成長戦略の内容を
しっかり解説してくれていた。
そこがとても好きだった。

ピエール・カルダン氏はいまも健在で、
まだまだ新しい夢に向かって歩みを続けているとのことだった。
みずからプロデュースした劇場の舞台劇のゲネプロを観て、
「あの俳優の歌が素晴らしかったよ。感動的だった」
と言って、顔を真っ赤にして涙していた。
なんて感情ゆたかで、可愛らしい人なんだろう。

「ファッションデザイナーという仕事を、軽薄なものに
 思うかもしれないけど、それはとんでもない偏見だ。
 ファッションデザイナーの本当の仕事は、
 パーティーのドレスを作ることではなく、
 世界を変えることなんだよ」
という言葉が心に残った。
マノロ・ブラニクも、ドキュメンタリー映画の中で
そういう意味のことを語っていた。

 

いろいろと、今まで知らなかったことが知れた。
ピエール・カルダンコレクションの洋服が
次から次へとカラーで登場し、眼にも楽しかったし
この前亡くなったKENZO高田賢三さんも登場して
カルダン氏との若かりし頃の思い出を語っていた。

スタンリー・キューブリックのドキュメンタリー
キューブリックに魅せられた男』(2017年)
キューブリックに愛された男』(2015年)
ほど、ワクワクしたわけではなかったけど、
とても質の良いドキュメンタリー映画だったと思う。
ぜひどなたも観てみて欲しい。

映画の感想-『タイタンの逆襲』-201011。

原題:Wrath of the Titans
ジョナサン・リーベスマン 監督
2012年、米・英合作

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www.youtube.comい

一応観てみた。
驚くほどつまらなかった。

前作の時はどうだったか覚えていないのだが、
今回は音楽のダサさがかなり気になった。

どこにもまったく感情を寄せることができない物語で弱った。
キャラクターの心の動きとか関係とかをもう少しくっきりと
連続的に描いていってくれると、感情を乗せやすいのだが。
ハデスがどうしてゼウスを許したのか理解できなかった。
そうなってもおかしくないだけの理由があったかもしれないが
わかるように描写されていなかったので全然わからなかった。

ペルセウスの息子ヘレイオスが作った木剣が、
重要な伏線になってくるのかと思っていた。
確かに最初だけでなくだいぶ後になって、
もう一度あの木剣が出てきた。だが、・・・
そもそもわたしが予測していたのは、
「木剣が、父子のきずなの力で
 三種の神器の最後のひとつに姿を変える!」
・・・とかそういう、ドラマチックな「伏線」回収だった。
実際の伝承がどうなっているかは別にして、
神器のひとつが、戦いのさなか失われてしまい、
人類滅亡の危機! となった時に、
あの木剣が奇跡の力で神器に変身したり・・・
そんな、明解で劇的な展開を想像していた。
この映画の雰囲気にピッタリの展開だと思う。
でも、実際には、そんな扱いではなかった。
木剣は、軍神アレスがヘレイオスを探し出すための
「手がかり」に過ぎなかった。
伏線と言ってもその程度の、弱い回収しかしないなら、
あの木剣なんかは登場させなくても良かった気がする。
「決して息子に剣を持たせない」(危険な目にあわせない)
という、「亡き妻との約束」にからめたかったのならば、
なにもヘレイオスに木剣なんか作らせなくても、
彼が「兵隊に興味を持ち始めている」ことを
表現する方法は、他にいくらでもあったと思う。

とは言え、この映画の全部が悪かったと思うわけじゃない。
例えば、
スーパー・パワーでのバトルがあまりなく、
神も人間もだいたい肉弾戦でやりあう点はそれなりに良い。
なにしろCGがショボいので、
あんまり派手なマジック・パワー的なものを使われると
ショボさが余計に目立って、きっとしらけていたと思う。
でも、ハデスとゼウスは老いてなお、
手をかざすだけで恐ろしいファイヤービームとかを出せるのに
軍神アレスはプロレスみたいな技でペルセウスと戦っていた。
い、いくさがみなのに・・・
力のバランスがおかしい気がしてそこは少し違和感を覚えた。

前作のクラーケン退治から、多分10年以上が経過した設定で、
その間ペルセウスは戦いから遠ざかっていたわけなので
力が少し衰えていて、パンチなんかに勢いがないのが
時の流れを感じさせる演出となっていて、良かった。

アンドロメダ女王を演じた役者さんが前作と違う人だった。
髪の毛の色からまったく違うというのは思い切ったな笑
前作の方は、おしとやかそうで、いかにもお姫様という感じ。
今回のアンドロメダロザムンド・パイク)の方は、
勇ましく、キビキビしていて、カッコ良かった。

ペルセウスが、息子ヘレイオスに見送られて、
戦いに出立する所は良かった。
前作同様、有翼の黒馬ペガサスが迎えに来てくれる。
ペルセウスは、息子に少しでも良い所を見せたかったのか、
「もっとまっすぐ、カッコ良く飛べ」
と、飛ぶペガサスにリクエストしていて、笑った。
でも、前作の時から、ペガサスはペルセウスを、
じゃっかんナメている。
目的地に降りたってから、
「前よりも飛び方がヘタだったぞ」と文句を言われ
片翼をバサっ! と、はためかせて
ペルセウスの背中をどついたのが、
「フン、やかましいわ」とでも言いたげで、
コミカルでかわいらしかった。