BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『女王蜂』-201017。

市川崑 監督
日高真也桂千穂市川崑 共同脚本
横溝正史 原作
1978年、日本
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音楽がぐっとモダンで「ナウ」っぽい感じだった。

カネボウとのタイアップだったらしくて
等々力警部とかに「くちびるにミステリー!」などと
化粧品の宣伝文句みたいな言葉を唐突に言わせる所に
当時らしい遊びとセンスが感じられておもしろかった。
等々力警部にやらせる、って所が良いと思う(笑)

物語はやや通俗的にすぎるきらいがあった。
また、映画化に際して原作をかなり改変した部分が
あったにしても、
あまりにもズサンだな~と思う部分が散見された。
ヒロイン格である大道寺智子に、
3人もの(父親公認の)花婿候補がいるのはなぜなのか、
とか、いろいろと、あまりにも説明不足であり、
「それ、本筋と関係ないよね?」的な枝葉も多かった。
終盤の、銀造の出自とかも、
悪いエピソードとは全然思わないが
終盤でいきなり詰め込みすぎだった気がする。
もうちょっと早い段階から、もうすこし強めに
ほのめかしてくれていたら良かったと思うのだが。

だけど、キャラクター配置がかなりゴージャスで、
女性のキャラクターも大勢出てくるので、
着物とか着るから見た目に華やかだし、
観ていて退屈はしなかった。

かえすがえすも、あの3人もの花婿候補は
謎だなと思った。説明不足なんだろうな・・・
銀造の心情としては(原作では「欣造」だったと記憶してるが)、
また、銀造の性格的なことを考えても、
智子の周りに、素性も知れない男どもなんかを
ウロチョロさせたくない、というのが本音では。
それとも、そう周囲に思われると都合が悪いために、
「娘の男女交際に理解のある父親」を演じていた、
的なことなのだろうか。
映画ではそのへんが描かれないのでわからなかった。
まあ、銀造が智子に抱く感情は
長い年月のなかで、さまざまに移り変わり、
非常に複雑なものになっているようだった。
それゆえに、はたからすると、
一貫性に欠ける、支離滅裂な行動を
とっているように見えたのかもしれない。
自分と結婚したがっている男が3人もいて
そこから選びなさい、ということになっている
大道寺智子本人の気持ちも、
描写が不十分であり、まったく読めなかった。
どの男性とも友人としてそれなりに接しており
時には笑顔を見せることもあり
でも誰が一番好きとも嫌いとも言わず、
このことについて何を考えているのか
まったく見えなかった。
人生をはかなんで一種の自暴自棄的な
状態にあったのだろうか。
彼女が関心を示すのは、
仁志の死の真相、ただそれだけだった。
「仁志の死の真相」というキーワードにだけ
脳と体が反応する、ロボットみたいだった。
ある意味では この陰惨な連続殺人を経て
彼女は初めて、ものを考え、心で思う、
本当の大人の女性に成長したのかもしれない。
でもはっきりと描写されていなかったから
全部、想像にすぎないのだが。

大道寺智子を演じた中井貴恵は、
当時、新人さんだったということで、
演技は達者じゃなかったかもしれないけど、
思い切ってやっていて、まじめさが伝わった。
表情の変化にもメリハリがきいており、
好感が持てた。
声がやや低くて、落ち着いた感じなのも良かった。

ところで、
こんなことは映画の本筋とは関係がないので
どうでも良いことかもしれないが、
今から観ると画期的に思える所が、いくつかあった。
例えば智子の家庭教師の秀子が、
「わたしが愛している人の写真をお見せしましょうか」
と見せてきた写真に写っていたのが、琴絵なのを見て
金田一は、「ちょっと意外でした」とは言ったが、
「えっ、つまりあなたはレズビアンなんですか!」
とかいったつまらないリアクションはしなかった。
これにはちょっと感心した。
当時は映画の中で、そういう反応が描かれても
まだおかしくなかったと思うのだが。
(ただし、秀子は実際には、琴絵に恋愛感情を
抱いていたのではなかった)
また、金田一が毛糸編みにトライしているのを見て、
あの等々力警部が、うまいもんだねと、ほめていた。
等々力警部は、私立探偵の金田一を毛嫌いしている。
「探偵なんて無責任なもんだ」とことあるごとにバカにする。
そんな等々力警部が、金田一の毛糸編みを見て
「なんだ、編み物なんて女の趣味に手を出してやがる」
みたいなことを言わない展開には、おっ、と思った。
わたしは等々力警部は女性蔑視野郎だ、とまでは思ってないが、
金田一をバカにするためなら何でも言うキャラだとは思っている。
毛糸編みをやっているところなんて見つけたら、彼ならば
なんだ毛糸編みなんて、女みたいなことをしやがって、
くらいのことは言ってもおかしくない気がしていた。
でも、そんなことをひとことも言わなかったものだから、
ちょっと等々力警部を見直してしまった(笑)
この通り、結構今観ても、この映画は、
ポリティカルコレクトネス的に最低限の所を押さえており、
その意味でもそんなにイヤな気持ちになることなく、
鑑賞することができた。
ただし、
多聞連太郎が智子に「あなたが美しい人で良かった」
と、のたまう場面はムカついた。
お前は引っ込め(笑)

銀造の所業を何もかも知ってしまった智子だが、
彼女はそのうえで、自分の意思で、
大道寺家の娘であることを引き受けた。
父の苦悩、母の哀しみ、家庭教師の秀子の思い、
全部を知ってそのうえで引き受けた。
東小路隆子によって、もっと楽に生きていける道が
目の前に提示されていたにも関わらず、
それを蹴ってまで引き受けた。
親の世代の涙を、広い心で一手に吸収することによって
苦しみの連鎖を断ち切った、ということになると思う。
でもそれができるだけのすこやかな心を持った女性に
智子を育て上げたのもまた、父と母と、秀子なのだ。
三つ指ついて「すみません」と、東小路隆子に頭を下げた、
智子の姿があまりにも強く、気高く見えて、
不覚にもちょっと涙が出そうになった。
東小路隆子が「私もそれが良いと思いますよ」と
智子の決意を受け止めて、涙するのを見て
余計にジーンときてしまった。

銀造が「いつも琴絵が智子を守っているんだ」と
言った所もシビれた。

人間は間違ったことをたくさんする。
自分が愛する者のためなら他人の命を奪って平気なこともある。
罪深い生き物だとは思う。
でもこうして、正しく生きようと、じたばたするのも人間だ。
悪いことをしたと思った時、心からそれを悔いて謝るのも人間だ。
何度絶望しようとも立ち上がり、強く生きて行こうとするのも人間だ。

智子が頭を下げるあのシーンが観られたことだけでも
この映画を観たかいが十分にあった気がしている。
こういう系のドラマチックなストーリーの邦画が、
好まれてめちゃくちゃ量産された時代が
かつてもしかしたらあったのかもしれなくて、
この映画はその1本にすぎないのかもしれないのだが。

今となってはあまりお目にかかれない類の、
なんか
「日本の映画を観た!」って感じになれる映画だった。