BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

大津いじめ事件によせる。-190220。

www.kyoto-np.co.jp

 

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中学校2年生だった男の子が
いじめにあい みずから命を絶った件で
親御さんが加害者側に
賠償をもとめた裁判の
判決がおりた
男の子が自殺をした原因が
いじめにあったことを認め、
被告側、元同級生たちに
賠償を命じる判決だ。

「息子は、きょうの判決を勝ち取るために
生まれてきたのかな」。

なんてことをおっしゃるのだろう。
なんという深く鋭い傷だろう。
なんて強いかただろう。
どれほど烈しいものを
胸のうちにのみこみ、のみこみしながら
こんにちまで 歩いていらしたことだろう。
こんなに傷ついてしまった心を抱いて
なお生きていくというのだろうか。

烈しく痛む傷でも
息子さんの思い出と一体だから
それがために、なのだろうか。

わたしだったら
たとえどうだろうと
こんなことには耐えられない。
仮にお父さまとお母さまが
戦いなかばで力尽きて
息子さんのあとを追う選択をしても
ちっともわたしはおどろかなかっただろう。
こんなつらいもの背負って
自分だったら生きられない。
想像するだけでも耐えられない。

大切、って 
なんてかなしいんだろう。

それに、
こんなことを言わなくちゃいけないような
体験を 人の親に強いた
その世界の一員であることが
わたしははずかしい。

あなたの息子さんは
この判決を勝ち取るために
生まれたのでも死んだのでもなかった。

ゆうべの失敗-190219。

きのう駅で友だちとさよならするとき
じゃーね、って軽く
ふりあげた手が
とおりすがりの男の人のお顔に
あたってしまった
夜の市ヶ谷駅で混んでいた
地元のいなか駅なら
こんなことはやらかさないのだが

わたしの爪はみじかいけれど
指先のところが当たって
こつん、というかんじがしたから
たぶんけっこう 彼は痛かった
のではないかな、とおもう。
すかさずごめんなさいと
もちろんおわびをいったが
舌打ち、ねめつけ、返事なしの
トリプルコンボで
あ 殺される とおもったね

お顔が爪で
切れてないといいけどな
とんがりネイルとか
してなくてほんとよかった

自分のヘマにおちこんだが

日曜に
神社におそい初詣にいって
うまれてはじめて
おみくじで大吉だったので
そんなにおちこんだきもちを
ひきずってはいない

いなかもんが東京にいったら
ちいさくなっておとなしく
していなくてはならないね笑

いわれてうれしかったこと。-190219。

ブログをのぞいてくれたかたが
感想をつたえてくださった。

「(何へのかはわからないけど、)
愛を感じた」。

うれしかった。

読む人にそんなことを
感じてもらえるような
ものを書けていると 
おもっていなかったし、
また、書こうというあたまも
なかったことに
言われてはじめて 気がついた。

やさしさを、
可能性や希望や光の
ぬくもりを感じる、
愛という言葉のちかくには。

わたしはそうしたものとは
縁が遠い人間であり
自分で うみだすことは
さらにないとおもってた。

高橋和巳「邪宗門」考-小休止-190218。

老人の蓬髪のように、
すけた細い枝をからませあっている
対岸の灌木の茂みから、
ふいに数羽の鴉が飛びたち、
不吉に鳴き交わしながら空を舞った。
「どうしたんや、おっちゃん」
城址のあたりを凝視していた
千葉潔にむかって少年が言った。
そのとき千葉潔は、
遥かからの呼びかけの声を
きいたような気がしたのだ。
誰の声とも知れず、
彼の存在そのものを譴責するような、
同時に暗い死の世界に
吸いこむような呼びかけの声を……。

罪人よ、滅びの使徒よ。
何事もなしえざる善き人々を
行きて換わ(よばわ)り責めよ。
この穢土に
わずかの善を守って生くるは
禍いなるかな。
母の肉を食い、人のものを盗み、
戦いに人を殺して生きのびし、
血ぬられし手の罪人よ、
汝、救わるることなき故に、
この世を壊すより
生きる方なし。
高橋和巳邪宗門』下 第3部>

千葉潔のパラダイムチェンジが、
この瞬間に、このように
起こったのはなぜなのかとおもう。
「換ばわり責めよ」

「喚ばわり責めよ」
じゃないのかなあ
なぜ手偏の換にしたんだろう。
力ずくでこっちにひっぱってきて
責め立ててやるんだというような
ニュアンスをだすためだろうか。

・・・

高橋和巳はそんなに美しい文を
書く人じゃなかったと
わたしもたしかにおもうのだが
でも この人の言葉がわたしはすきだ。

美しくはないかもしれないにせよ
生々しく 烈しい文だ。
書き写してみて、
全体をながめると、
みえてくることもかなりある。

<再掲>露出狂のきもち。-190216。

過去のエントリ 加筆・編集のうえで再掲。

どんなにわかりやすく書いたつもりで
これでちゃんと書き切ったとおもって
なっとくのうえで掲載しても
数時間後にはもうきもちが変わってる

あれじゃぜんぜんダメだったとか
なんでもっとこう書けなかったのか
なぜこのような無意味なことを書いたのか
なぜこんなことが思いつかなかったのか
とか。

なぜなのだろう・・・

york8188.hatenablog.com

とほほ/しがみつく-190214。

仕事をしていたときに、
あまり頭をつかわなくても
進められる作業だったからか
よけいなことをいろいろ
おもいうかべてしまい、
まいった。
とりかえしようもない 過去のあやまち
人の心をふみにじってしまったこと
そういうのをおもいだして。

後悔ほど つらいきもちってない。
いまさらどうしようもないという事実には
なんどでもうちのめされる。

自分が すなおでありさえすればよかった。

すっごくばかみたいだ。

・・・

毎日 くりかえしくりかえし
高橋和巳邪宗門」を読んでいる。
わたしはこの作品のことを
自分なりにとらえなおして
ここに それを 書いてみたかった。
いままでも好きで何度も読んでたから
キーボードたたいてれば 苦もなく
ぽんぽん何かでてくるだろうとおもってたが
なんか 作品にひきずられて
ふつうに ただただ読んでしまう。
読まないでいることはできるが、
頭から作品のことが離れない。
書くよりも 今は読みたい。
なんて自分の読みかたはあさかったのか
いかになにもわかってなかったか
そういうのをもうすこし思っていたい。
わたしは高橋和巳がきっとなにかを
読む者に、わたしに、
言いたかったとおもうのに
それをちゃんとキャッチできた気がしたことは
一度もない。
わかりはするのだが。
とてつもなくたくさんの
言いたいことがある、ということは。
高橋和巳がすきだから 
うっすい読みかたしかできなかったことで
彼に悪いことをしたなとおもうし、
なにか、つうじあえなかったと感じることが
彼の話をちゃんと聞いてあげられなかったことが
とても残念なのだ。

そんなことは、わたしは
紫式部にも 島尾敏雄にも
オースターにも ほかのだれにも
おもったことはない。

こだわって ずぶずぶはまりこんでいく。

だけど、読みながらも、
どうこれを のみこんで
こんどはアウトプットするかについて
(だれもそんなの待ってないのに。)
あたまのかたすみで
いつも考えてる。

・・・

ねむれないことと
ひとりだと 食べる気にならないこと
体調の波の乱高下には 
毎度のことながら こまらされている。

つかれた-190212。

土曜に調子を崩したことは
たいへんしんどかった。

頭では
3連休ずっと寝ているなんて
やだなあとおもうし、
もちろん外に出たかった。
いろいろやりたいこともあった。
だが
じっさいにはもう
まるで動けなかった。
疲れちゃって 疲れちゃって。
足に力がはいらないし。
なにもしないこと、
どこにもいかないことを
自分に許可したかった
横になっていたかった
とにかく休みたかった。

心がうちひしがれて つらかった。
とてもさびしいきもちだった。
ひとりぼっちのさびしさだった。
誰にもわかってもらえないと
おもうときの。

もうこの戦いを続けたくない。
会社との争いは去年終わっている
わたしが勝ったことによって。
そして安全なところに今は、いる。
二度と同じめにあうことはない。
わたし以外のみんなが
もう忘れてる。
忘れてないのはわたしだけ。
誰にもわかってもらえなくて
あたりまえだ。
苦しい。
屈辱的だ。
すごくみっともない。
命の時間を
むだづかいしてる気がする。

たのしいことをやって
いきる道をさがして
前向きにやってゆきたい気持ちは
たしかにある
それはほんとだ

だけどつらくて
フラッシュバックに
うちのめされるたびに
その強くあかるい気持ちを
いつも保つことはむずかしいと
つくづくおもう。
いったりきたりする。

こうやって
何度となく力ずくで
ひきもどされる
屈服してしまう

けっきょくのところ
ないからだ
上からねじふせてくる力に
首の骨がイカれようともさからって
頭を起こしてやるんだと
そうすればなにかがまっていると
おもえるそのなにかが
わたしにはない。
わたしには いきる道も
頼れるなにものもない。
いうなりに押さえつけられて
しまったほうが
らくだと感じる、
すごく疲れてしまったときには。

それに、
もうどんなことでも
かなしいおもいはしたくない。
心が痛むことは
何であろうといやだ。
とてもこれ以上は
たちむかえない。
しずかにしていたい。
心が痛むかもしれないことを
したくない。

誰であろうと会いたくない。
わたしが傷つけてしまった人にも
傷つけてしまうかもしれない人にも
わたしを傷つけた人にも。

だけどそっちにいっても
待っているのは最終的には
暗いこと、寒いこと
動かないこと、
死のことだけだとおもう

心がへなへなにされるたびに
ほんとに 生きていくことが
こわいと感じる
生きていくことがこわい。
そっちが自分の本音におもえる

力がたりない。
じゅうぶんにわいてこない。