BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

記憶についての覚え書き-190829。

記憶にまつわる問題を抱えている。
具体的には、過去の事実の、重大な誤認である。

正確な(客観的な)データは、把握している。
それを繰り返し覚え込む努力をすることで、
記憶の上書きを試みてはいる。
でも、うまくいかない。
にせものの記憶を本物だと思い込んでいて
「昔こうだった」と、間違った内容を口走ってしまう。
話しているときには、それが間違った内容だということを
すっかり忘れてしまっている。
あとで、ふとしたときに正確な記憶の情報を思い出して
またやってしまった!と思ったり
前に聞いた話と違うよ、と周囲から指摘を受けて
またやってしまった!と思ったり・・・

またやってしまった!の繰り返しである。

以下に、その重大な誤認と 客観的事実について
覚え書きとして記しておきたい。
すぐ忘れてしまい 何が事実かわからなくなってしまうので。

ふたつある。

1:就学前のできごと
自分の記憶↓
就学前のこと、家族で茅ケ崎の海水浴場に遊びに行った。
そこで波にさらわれ、溺れかけた。
この体験から、水が怖くなり、
今にいたるまで1mたりとも泳ぐことができない。
家族で海に行ったのは後にも先にもその一度きり。

客観的事実↓
就学前のこと、家族で茅ケ崎の海水浴場に遊びに行った。
2歳下の弟が、一時、行方不明となり大騒ぎになった。
弟は、夕方遅くなって、無事に帰ってきた。
自分自身も、弟も、溺れた事実はない。
家族で海に行ったのは後にも先にもその一度きり。
水が怖く、1mも泳げないのは事実。
弟は水泳を含めスポーツ万能である。

叔父の見解↓
溺れたと言い張るたびに「誰も溺れていない」と教えてきた。
どこかおかしいのではということになり児童精神科も受診させた。
弟の捜索中、周囲の大人たちが「溺れたのかもしれないね」と
言っていた。それを聞くうちに、自分自身のこととして
記憶に取り込んでしまったのかもしれないというのが医師の話。
弟の行方不明という、異常事態にさらされたストレスか、
海水浴場で泡をふいて失神し、しばらく意識が戻らなかった。



2:父親の消息
自分の記憶↓
自分が13歳のときに両親が離婚した。
以来、父親とは、生きている間には一度も会っていない。
父親は自分が17歳のときに53歳で亡くなった。
叔父に「お父さんが亡くなった。お前だけでも
葬式にいってこい」と言われ、葬儀に出かけた。
父親の再婚相手となった女性と、あいさつをした。

客観的事実↓
自分が13歳のときに両親が離婚した。
以来、父親とは一度も会っていない。
父親は肝臓がんの罹患歴があるが、健在である。
両親が離婚の際に頼った弁護士などの力をかりて
自力で所在をつきとめた。
(最終的には協議離婚だったらしいが)
母親と離婚したとき父親は43歳だった。
現在父親は67歳か68歳。
わたしのアパートからそう遠くない所に住んでいる。
再婚し、子どもが2人いる。
わたしは父親の消息をつきとめたことをブログに書いている。
父親存命の事実を把握している自分のスタンスも、過去の記事からわかる。
読むと、これは自分が書いたものだともちろん確信するし
書いたこと自体も覚えているんだけど、
父は死んだ、と言うときの自分は、
そういうことが全部、わからなくなっているような気がする。

york8188.hatenablog.com

york8188.hatenablog.com



叔父の見解↓
葬儀に行ってこいと言ったことはない。


カウンセラーの見解↓
10代以降でも、大人でも、記憶の混乱は起こる。
その背景に重大な心の傷や心の病が隠れている場合も多いが
そういったものがなくても、記憶の混乱が起こることは
決してめずらしくない。
父との離別で受けたショックや恨みの感情が残っており
父がこの世にいないことにしたいという潜在的な思いから
亡くなった、という記憶を作り上げたのかもしれない。
似たような事情から、「元もと親など存在しない」という形に
記憶をすっかり作り変えてしまう子どもの例もある。

※前職の職場で受けたパワーハラスメントによる心の問題を
 解決するために、カウンセリングを受け始めた初期の頃、
 家族に関する思い出を話すことを求められた。
 わたしはそのとき「父は離婚後に亡くなった」と話したらしい。
 のちに「父親をずっと探していて、ついに見つけた」と
 報告したので、カウンセラーに「亡くなったのではなかったか」
 と指摘され、自分が変なことを言っていることに気づいた。
 このように、単純に情報という意味での矛盾が生じたことが、
 これまでにも何度もあったのかもしれないが、
 その記憶も、場合によってはごっそり抜け落ちている。
 混乱するから都合が悪いので、頭が記憶を抹消してしまうのか。
 ともかく、父親が健在であることと、自力で所在をつきとめたことを、
 すぐに忘れてしまい、父親は死んだとしきりに言い張る、
 これが父にまつわる記憶の取り扱いのデフォルトとなっている。
 でも、父親の所在を探し当てたことも、たまに思い出す。
 そのときは、父親を見つけた、と主張するし、
 その際には今度は、普段自分が「父親は死んだ」と言っていることを
 忘れてしまっている(のだと思う)。


葬儀に出て、父の再婚相手と会った記憶が
ビジュアルイメージとしてかなり鮮明に残っているのだが
父が死んだという記憶がにせものということになると
この葬儀の思い出がいったいどこから出てきたのか、謎だ。
変なことを言っていると自分でもよくわかるのではあるが、
でも、本当に何がなんだかわからないのだ。



これがわたしの、記憶にまつわる 
だいぶヤバイ問題の覚え書きである。

溺れたと思い込んでいるが実は溺れたことなんてなかった
・・・これは そんなに大したことでないような気がする。
でも、父親が死んだと言い張っているけれど実は生きていて
しかもそれを自分でもちゃんと知っているはずなのに忘れてしまう
・・・こちらは かなりヤバイ感じのことだと思う。
普通に、ヘンだし、あと、怖い(笑)。

わたしは、正確な情報の収集につとめている。
間違ったことを口走るけれどもウソを言っているつもりはない。
本当に溺れたことがあると思っているし、
本当に父親は死んだと思っている。
少なくともそう主張するそのときは、
それが本当だと、本当に思っているのだ。
だけど、事実は違うのだということも知っていて
あとでそっちの方を思い出すことがあり、
そのたびに
「またやってしまった!」。

頑張っているつもりなんだけど、やってしまう。
今後も
「海で溺れて、水が怖くなってしまった」
「父親は、母親と離婚したのちに死んだ」
そう話してしまうことがあると思う。
「離婚してから一回も会っていないけど、
 父親は生きている」
とも言うことがあるだろう。

特定の記憶がこのようにワヤワヤだからといって
それで他人に迷惑をかける、ということは
ないんじゃないかなとおもう。
他の、生活上のいろんなことの記憶については
幸いまだ認知症などの兆候もなく、
まったく問題はないのであるし。
だが、わたしの話すことを聞く人が、
「あれ、お父さん死んだって言ってなかったっけ」
「お父さんが見つかったってこの前ブログに書いてたのに」
と不思議に思う・・・そういうことは考えられる。
容易に起こりうる。

人との関わりという意味で
どうすればいいかなと、あれこれ思案してるんだけど
でも・・・なんか、
どうしようもない・・・って感じがする(笑)

できれば、ウソついてるなこいつ、って
思わないでほしいな・・・と願わずにはいられない。
でも、ウソついてるなって、思われてもしかたがない。
思われたら、あきらめるしかないと思う。
イヤ、ウソを言ったつもりはなくて、
実はこうこうで・・・などと説明を試みても
話が長くなるだけだし、それに、気味悪がられるだろう。

どうしようもない、って感じがする(笑)

記憶を正しいものに上書きする努力を
くりかえすしかないだろうと思う。

父のことについては、わたしのなかに
わだかまりがあるのだとすれば、
専門家の協力をえて、その解消を目指していく。

父とはうまくやっていたし 正直あんまり父のことで
わだかまりたくないんだがなあ・・・