BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

230318。

たくさんのことを、とめどなく、思い出して、つらいけど、なんとか立ち止まらないで生きていけている。

 

きょうはカウンセリング2回目だった。話聞いてもらえて、楽になったとおもうけど同時にやっぱりしんどい。でももう、1人でぜんぶ背負ってこのまま生きていくことは、ちょっと考えられない。無理そうだ。

 

嘘をつく子どもだったことや、いろんな人に迷惑をかけ、親にはお金もかけさせてしまったことを、恥ずかしいとおもっている、「恥ずかしかった」「いろいろなことをごまかすために、演じてて、それが誰にもバレないように必死だった」という感触の記憶がたくさんある、ということを話した。

先生はこのようなことを言ってくれた。「あなたの生まれ育った家庭は、あなたの心のよりどころとしては正常に機能していなかった。そんななか、嘘をついて外で体面を取り繕っていたことは、子どもだったあなたが自分の心を守るためにとった、せいいっぱいの自衛策であり、いわば生存戦略だった。人を陥れて楽しむための嘘をついたわけではなかったのだから、そんなに罪のようにおもわなくてもいいのでは。よく心を守りきって、非行など道を踏みはずすこともなく、ここまで生きてきた、けなげだったと、自分に言ってあげて良いとおもう」。

 

けなげ。

そんなことは誰も今まで言ってくれなかった。わたしも自分に言ってやったことはない。

 

本来は、学校や友だちづきあいなどで楽しかったことつらかったことを持ち帰り、ご飯をたべて、お父さんお母さんに甘えて、今日はこんなことがあったよとか話をきいてもらい、きょうだいとかと遊び、そうやって心の「チャージ」をして、また学校や友だち(社会)のところにでていく、家庭とは、そういうものらしい。

家とは、「帰る場所」。

理屈としてはわかるが、実感としては、いまもって、まったく、信じられない・・・笑

わたしの生まれ育った家では、一切、まったく、そんなこと、できなかった。そんなことが可能だと、考えたこともない。

わたしの知ってるわたしの家とは、ひたすらいろんなことをがまんし、どんな感情も極力おもてにださないよう心に蓋をして、傷ついても哀しくても、なにもしないで、誰にも知らせないで、しずかにしておく。なやみを吐露したりすれば、その百倍くらいのグチや怒りが返ってきて、そもそもお前のせいだと言われて、消耗するだけだから、しない。何かが欲しいとか何かがしたいとかこちらから願い出たりしたら、とうてい達成不可能な課題を押し付けられ、これを達成しないと○○してやらないと言われる(たとえば家を出て一人暮らしをしたいと言ったら、今までにわたしを育てるのに要した養育費、学費、医療費などのお金を全額耳を揃えて返すうえ、家を出てからも毎月15万円いれないと、家をでることは許さないといわれる)し、それを真にうけてしまうから、言えない。愛情とか対話とかそういうものは、存在しない。家で誰かにすこし優しくしてもらえることがあったとしても、それは永続はしないから、決して心を許すべきではない。家で休むことはいかなる意味においても許されない。居間でねっころがってテレビをみる、とかは絶対にできない。体調を崩してもできるだけ隠しておく(体調が悪いところを見せると、親の機嫌が悪くなるから。)そんなかんじの場所だった。

でも、なんか、そんなもんだとおもってたし、正直、いまでもそうおもってる。だから、そんな家だったことを恨んでるかと言われたら、よくわからないと答える。でも、いつも、寂しいとは感じてた。激しくイライラしていた。もっと家族に対してなんか言いたかったし伝えたかったんだけど、言ってもどうせわかってくれないし、言ったら言っただけ損みたいな気持ちになるのが、もうわかりきってたから・・・。

父親が弟や兄を殴ったとき、何も言えなかったけど「お父さん、やめて」って言えば良かった。そのくらいはわたしにもできたはず。言ったらもしかしたら父は殴るのをやめてくれたかもしれない。でも、いうことができなかった。

だから、兄も弟もわたしを恨んでいるかもしれない。父にわたしだけ可愛がられ、ふたりが殴られてるのをみていたくせに何もしなかったから。

兄とも、弟とも、心のつながりみたいなものは希薄だった。わたしは弟のことは可愛かったが・・・。でも心のつながりとかいうことでは・・・。お互いにお互いのことを、ほとんど何もしらないといっていいとおもう。

両親の仲が悪いことについても、両親の離婚についても、母親のことも父親のことも、学校のことも彼氏彼女のことも、進路のことも、将来のことも、なにひとつ、一言たりとも、本当のきもちについて、語り合ったことはない。

わたしは今や、兄や弟が死んだとしても、何も感じないかもしれない。だって思い出がないから。思い出がなくて死を悲しむことすらできないということを悲しむかもしれない。

家の外でだって、楽しいことばっかりだったわけじゃない。いつだって、誰一人として、わたしの心のよりどころになってはくれなかったし、わたしも誰かの心のよりどころにはなれなかった。常に、わたしだけみんなと違うっていうことを、恥ずかしいとおもいながら、それを隠してて、なんだかずっと、一人だった。そんなんでは、どこにいようが誰と何をしていようが、ほんとうには楽になれない。

でも、それでも家よりは、家の外にいた方が、いつも気が楽だった。

なんか、家の外には、家に比べるとかなり明確でかつ平易な、ルールがあって、そのルールさえ守っていれば、わたしも「そこに存在してて良い人間」としてちゃんと優しくしてもらえたから。

わたしのいた社会のルールがどんなものだったのか、言葉でいうのは困難だが(たぶん、良きにつけ悪しきにつけ『家族以外の人というのは、わたしにあんまり興味がない』ってことが、関係してる気はする)、運良く、わたしにとってそんなに難しいルールじゃなかった、ということだけはわかる。「社会」は、わたしの家よりは、わたしにとってイージーで、優しい場所だった。