BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『心霊ドクターと消された記憶』-190413。

原題:BACKTRACK
マイケル・ペトロー二監督
2015年、オーストラリア

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けっこうおもしろかった。
すくなくとも
蟹工船』(2009)や
『チャーリー・モルデカイ』(2015)
よりは まちがいなくまともな映画だった。

邦題がダサいな。
ダサいうえに
人をばかにしたようなタイトルだ。
と言うか、作品そのものをも
ばかにしているとおもう。
日本版ポスターの画像を見るのもイヤで
海外版のを探してきて貼っといた。

・主人公は、ブリューゲルの絵画の
 風景のなかにいる夢を頻繁に見る
・主人公はその夢のなかでいつもとまどっている
・「狩猟用のわなが設置されているのに
 それを見張る者がいない」という
 絵のモチーフは、精神分析学的に
「会いたくない人物がいる」
 という心理と紐づけて解釈される
・主人公は父親と疎遠である
・主人公の父が過去の事故の処理にどう関与したか
・主人公の父と女性巡査部長の関係
このへんがすごく、ポイントなのに
やや説明不足の感があったとはおもう。
(まったく説明不足、
とまではおもわない。
おもに想像によって自分で
情報を補完しながら観たし、
それを可能にしてくれるだけの情報は
すくなくとも提供されていた。だから
納得感はないわけではなかった)
なにしろ、わたしは
字幕でセリフを読んでいるのであり、
原語でなんといっているか
ニュアンスまでは理解しきれない。
言葉ができないと
そこがやっぱり残念だとおもう。
原語でわかる人ならば
この映画も、説明不足などとは感じずに、
じゅうぶん、いまのままでも
ああ、そうだよね、って思って
観ていられるのかも。

ちょっとザツさを感じたのと、
登場人物がとてもすくないので
展開の予想がすぐについてしまったことも
やや残念ではあった。

だが、共感ができたし、
静かに胸にせまる部分のある作品だった。
そこは否定できない事実だった。

愛娘を自分の不注意で喪ってしまった、と
おもいこんでいる主人公の心の傷は、深い。
相談相手である医師仲間に、
「きみは、いま、あの子の名前を
声にだして言うことができるのか」
と確認されて
「もちろん言えるさ」。
イヴィー、と どうにか絞り出すが
それだけのことで もう
涙がぽろぽろこぼれだす。
心の傷がぜんぜん癒えていないのだ。
これじゃいかん、とおもいつつ、
自力ではどうすることもできない。
エイドリアン・ブロディの演技。
とてもみごとだった。
胸をうたれた。

この物語に共感できたのは
わたし自身が
心的外傷といわれるものを
負っているからだ。
間違いなくそのことが関わっていた。
それがなかったらたぶん
できのわるいホラーミステリー映画、
くらいにしか受け取れなかっただろう。
わたしは、自分は心に傷を負っている、と
みとめざるをえない。
生まれてから2017年の11月末まで
心がまったくの無傷の状態だったと
おもっているわけじゃもちろんないが、
今回のこれは それまでのそれと
程度問題において ちがう。
放っておけばかさぶたができて、いずれ
あとかたもなく治る、膝小僧のスリキズ
とはわけがちがう。
複雑骨折みたいなものだ。
放っておいたらろくなことにならない。
自分の力だけでは もうここからは
先にすすめない。というところまで
きたのを自覚している。
生きるなら力をかりる必要がある。
プロの力を。
そういう自分であるから
この物語がなんなのか、
理解しやすかった。
すなわち この映画は、
ゆがめられたものがたりを、
もう一度正しく語り直すことによって、
一人の男が、自分の心を癒やしていく、
その過程の物語だったのだ。

過去のできごとを正しく認識する、
忘れてしまっていた昔のことを思い出す、
ただそれだけのことが
まったくの別件で負った心の傷を癒やし、
本人ばかりかその家族の心まで
連鎖的に癒えてしまう・・・
そんな都合のいい話あるもんか。
なぜ家族の心まで癒えたのだ。
昔のことと、今の家族問題と、
どこが関係あるんだ。
というか
現在の問題はなにも解決していないではないか、
現在の問題を解決するには
すぎさった過去ではなく、
現在のことと向き合わなくては
意味がないのではないか。
・・・
この映画があんまりよくわからなかった人は、
本作を観て さしずめ
こんなかんじの感想を抱いたことだろう。
確かに、
この作品において主人公がむかえる結末や、
彼の心の動き、彼をとりまくできごとの展開
それはあまりに唐突であり
また、それぞれがちゃんと「つながってる」
ようにみえない。
理屈で説明がつかないことばかり起こる。
だけど、
その人のものがたりは
その人にしか語れないのだ。
まずその人固有のものであり
他人が横やりをいれることは
できないものだということを
そして、固有のものであるにもかかわらず
たったひとりのその人の物語が
まわりの人たちにも作用していく可能性が
あるということを
わたしたちは知るべきだとおもう。
時間のイメージについても、再考が必要だ。
過去がまえにあって、そこからいまが
つづいている、というふうに
線のようにばかりイメージするのも
人のものがたりを 理解するのには
たぶんまだ足りない。
人のものがたりと
心と時間との関係は
もっと複雑で、
まえとかうしろとかそういうことではなく
円環のようにつながる場合もあり、
また、どのようなかたちであれ
「つながっている」という認識そのものが
錯覚と考えることもできる。

オフィスが線路の近くにあること
主人公が自分で
そこの物件に決めたのか
どうなのかは関係なく
過去の彼がそこに彼を呼んだと
わたしはおもう。
つまり自分で決めたとおもってなくても
自分で決めたのだし、
自分で決めたのだと思っていても、
実のところ導かれたのだ。

医師である主人公が担当する
前向性健忘の患者は
帰りなさい、
もう一度ここからやり直しなさい、
やり直す必要がある
主人公自身の、そんな無意識的思考が
形をとってあらわれたものだ。

そういうことってあるとおもう。

心のお医者さんとはたぶん、
人がものがたるのを
手伝ってくれる人、なんだろう。

ラストシーン
妻に
「なにを考えていたの?」と問われて
「子どもたち(Kids)のことを」
主人公がそう答えた。
「子どもたち」
それは、イヴィーとエリザベスとバーバラ
そして主人公自身のことでもあり、
ダンカンのことも、指していなくはないだろう。
ダンカンは、主人公よりももっと
直截的に、破滅的に過去をひきずって生きていて
ついに、それとうまく向き合うことができなかった。
彼は、子どものままだったのだとおもう。
そして、おそらく、「子ども」はもうひとり。
主人公夫妻がようやく、
イヴィーを喪ったことによる
激しい心の痛みをのりこえて
前にすすめるようになった。
妻のおなかに、イヴィーのきょうだいの
命がやどったことがほのめかされているのだと思う。


わたしも語りなおすことで
前にすすむことが可能になるんだろうか。
つらい作業になるだろう。
自分ひとりではとてもできない。
ダンカンのようになるかも。