BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

オリヴァー・サックス「道程 On the Move」/ヨハネ8:3

仕事が進まず、たまる一方で 
しんどいです。
これほどまでに 進まないと感じて、
気が重くなる仕事はひさしぶりです。
こまったもんだ まったく。
自分としても 肉体的疲労がいちじるしいことも 
仕事が停滞してしまってることの原因なのかもしれない 
とはおもいます。
しかしですね! 
どう休めっていうんですかこれで(^^)!
みんな会社にとまりこんで連日徹夜してるよ(^^)!

休んでいる場合じゃないことは ほんとに毎日感じているんですが
きょうは日曜日というのもあり もう 休んじゃいました。
というか家にいて、家で仕事してました。
仕事のことがねー 
心配で 頭からはなれません。

ただですね!!
哀しいかな、
わたしはねー この仕事を愛しているんです!!!
仕事への愛を人質にとられちゃってませんか、
わたしってやつはバカだから!!

なんだかなあああーーー!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本は毎日ちゃんと読んでます。
いつどうやって読んでんだ、
そんなことしてるから仕事が遅れるんだ
いろいろ言われそうですが
読む時間はつくるのです
それには命をちょっとだけね、けずるのですよ(^^)
つまり睡眠時間をちょっとアレするのです。
あとは電車にのっている時間にね。
好きなことをするのにまとまった時間をとろうとすると
失敗しますね。
まとまった時間、なんてものが作れるとおもったら大間違いです。
そんなものは作れません。
すきまを つかうのです。
わたしはそれを理解し実践するのにずいぶん時間がかかりました。

意地でも最低5冊、最低1200ページくらいは
読むことにしてて、また、読めているとおもいます。
しらんけど(^^)

なかんずく
神経科医のオリヴァー・サックス氏の自伝
「道程」がすばらしかった。


f:id:york8188:20171119220021j:plain



www.hayakawa-online.co.jp



レナードの朝」っていう映画、あります
ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムズのやつ。


f:id:york8188:20171119222611j:plain

 

movie.walkerplus.com


サックス氏はレナードの朝の原作となった本を書いた人です。

www.hayakawa-online.co.jp


わたし 映画観たことありますしだいすきですけど
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

氏は2年前になくなりました。
新聞で訃報をみましたけど、
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

「道程」を読み、
「いままでこの人の本を読んだことがなかったとか
わたしはいったいどういう神経をしてんだ!!バカか!!」
という わりと週に何回かくるあのろくでもないショックの
特大版を体験しました。

自由で闊達な感性
その正直さと臆病さ
心のやわらかさ
病み傷ついても走り続けた強さが
あまりにもいとおしく、また、うつくしいとおもいました。
とってもじゃないけど理解できない、
ってところも多々あったけど。
自分が力をつけていくことによって、
これからわかるようになっていく
・・・だろう、と 自分に期待します。

本書の、本筋とはややズレているのかなとおもいますが、
ふたつ、とりわけ心をうたれた部分がありました。
もう図書館に返してしまったので、引用は正確ではありませんが・・

ひとつは、
サックス氏が、老境にあった友人に、
「人びとに、自分のことをどのように記憶していてほしい?」
と尋ねたときのエピソードです。
その友人は、在野の人ながらきわめて多才で、たしか生物学方面の
研究、著述、教育、さらに実業家、法律家、政治家などなどとして
精力的に働いた人でした。
じつは本人は教育者の道にしぼって活動したかったみたいなんですけれど、
晩年はそれができなかったようです。
教師としてだけ活動したくても いろんな業界から引く手あまたなもので、
むずかしかったんですね。
※読んだかんじ、幅広い分野にずばぬけた才能を発揮した彼だけど
そのなかで教育者としての側面はあまり高く評価されてなかったような・・・
そんなニュアンスもあったかな。
(でも本人は やりたかったんですな。)
晩年の彼はサックス氏に「みんなにどのように自分のことを
覚えていてほしいとおもうか」と聞かれて、
「教師として。」
と答えたそうです。
うめくように、じゃなかったか とわたしは想像します。

自分がどういうふうに人におもわれて死んでいきたいかを
思うことは わたしは たまにあります。でも、
どういうふうに人におもわれて死んでいきたい?と
人に尋ねたことはこれまでなかったし、
尋ねようという発想が、そもそもなかったことを
ここで告白します。
人にそう聞かないのは、もしかして、
「どう記憶されたいか」について
じつは自分自身がまだちゃんと考えていないから じゃないかと
おもわされました。

また、結びの、謝辞の一節にも考えさせられました。

「人生で出会ってきた愛する人びとすべてについて、本書において
語ることができなかったのは残念だ。でも、自分が彼らのことを
忘れたわけではけっしてない。たとえ本書のなかに名前がでてこなくても、
自分があなたのことを心から愛していて、忘れないということを、
信じてほしい。」

さきにのべたように 引用は正確ではないですが、
主旨と、「信じてほしい。」は間違いなく正確です。
「信じてほしい」。
言葉のチョイスのおさなさ、シンプルさがいいですね。
原語がなんだかわからないけど。

本書をあらわしたころはサックス氏も
病気が重くなっていて、
死期について考えていたろうとおもいます。
人は死んだあとのことは自分ではどうにもできないわけなんですけれど、
「(いなくなっても)自分はこうおもっていたということを信じて。」
「(いなくなっても)けっして変わらないから、そう信じて。」と
彫り込むように刻み付けるようにこうして書き残そうとした
その せつなる思いが胸にせまりました。
人の心は変わりやすく 命は有限、しかし循環するということを
よくよく思い知って生きた人だということが 
わたしにもわかるから、
その人がこのように書いたということが 
いとおしく感じられましたね。

彼の、一般向けの
いわゆるメディカルエッセイ的なもので
日本語訳があるものは
この1か月くらいで どれもがっつり読みました。
とってもおもしろいので
氏の著書はどれもつよくおすすめします。

まー あれですよ、
大丈夫です。

わたしと会ったことがあり すこしでもわたしのことを知る人なら、
わたしがいかに 「理系っぽいこと」全般に弱いかをごぞんじのはずです。
「脳神経科」「医学」
このふたつのワードがわたしの口からでた時点で
「おまえ頭大丈夫か! 熱はかってみろ!!」レベルですよね。
そのわたしが読んだんです 全著作を最後まで。
そしておもしろいと言ってる。
だから だいじょうぶ。
みなさんはぜったいに読めるし、
わたしよりももっとふかく理解できておもしろがれるはず(^^)


「音楽嗜好症」には ひじょうな共感をよせつつ読みました。
どーでもいいけど表紙のデザインがかっこいい(^^) 
こういうのだいすきです。
図書館でかりて読んだあと 自分で新品を購入もしました。
氏の著書の文庫版は どれもハヤカワノンフィクションで
音楽嗜好症とおなじデザイナーさんが手がけたのであろう
表紙デザインのものがほかにもあります。
カッコイイです。
どーでもいいっていったけど やっぱりどーでもよくはないですね。
ルックスがかっこいいことはだいじです(^^)

f:id:york8188:20171119220310j:plain



www.hayakawa-online.co.jp



あと
「見てしまう人々」

見てしまう人びと | 種類,単行本 | ハヤカワ・オンライン


「色のない島へ」

色のない島へ | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン



タングステンおじさん」

タングステンおじさん | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン




「火星の人類学者」

火星の人類学者 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン


などなどなどなど・・・・・

ハヤカワノンフィクション文庫に感謝します。
高いけど(^^)!!
まえに
高橋和巳澁澤龍彦バタイユをいっぱい出してくれる河出文庫にも
同様の感謝をよせたことがありましたが。

サックス氏の文章の魅力は、
論理と時制をとびこえる発想。
直観と連想と転換。
文章で書ききれない種類のことを 書いているからですね。
そういうものを見てきたことについて、書いているわけなので。
人の脳の不思議、知覚の不思議。
だからこういうかんじになるのでしょう。
子どもの落書きさながらの熱と 賢者の知性が混交しまくってます。
すばらしい~。
おこがましいにもほどがあることをこれからいいますが、
なんか、こういう自由なスタイルでいいんだとおもうと
自分ももの書きのはしくれとしてはすごく勇気をもらえます。

それにサックス氏の著書は
翻訳もとてもいいんじゃないかなと感じます。
いつも大田直子というかたが担当されているようですが。
柴田元幸氏のポール・オースターみたいに
ブドウのかおりがちゃんとします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
まえはいろんな 人間のいとなみのなかで、
社会的にうしろゆびさされるようなことについては
わりと杓子定規というか、
ぱきっと 子どもみたいに
「そんなのってありえない!」という
スタンスを示すことがおおかったです。わたし。
ダメなものはダメ的なね。
社会的に認められてないこと、倫理にもとることは
当然、してはいけない。あたりまえだ。
というかんじのことです。

でも、そんなことって 言えんよな。
どこのどいつですか 
そんなつまんないことをまじめぶって言う輩は(^^)
そういう自分がどれほど おキレイだというんですか(^^)
あやまちをおかしたことのない人間なんていない(^^)
そんなことくらいわかっているんじゃなかったのか おまえは(^^)

人の心を檻にいれて カギとかかけておくことは できない(^^)

まったくつくづくまいります。
毎日生きるごとにひとつひとつ 
自分のそういう 心の未熟さにあきれ、
がっくりきますわ。

しかし檻のカギがかかっていないからといって
じゃあ そこから
「やったー! 出ちゃえ出ちゃえ」と
あとさき考えずに飛び出していくか
(出たその足下が地獄の窯だとしても)
いや、慎重に、と
とどまってさらに一考するかを
自分できめられるのが 人、ではあるとおもいます。
いちおうね。
理屈としてはね(^^)。