観る予定リストをもう少しで全部消化できるぞ・・・
もうわたしウディ・アレン監督作品なら
ほんの一瞬 見ただけで
それと見分けがつくようになっていると思う。
『夫たち、妻たち』
Husbands and Wives
1992年
「『何も要らないわ』という顔でいながら
周りの者を巧みに動かし、
最後には自分の欲しいものを全部持って行く女なのさ」
「思いやりという名目で君の恋愛感情を押し付けないで」
といった意味合いのセリフがあったのが刺さった。
他人のことを普段から良く見ていないと
こういう表現は出て来ないと思う。
ジュディ・デイヴィスのキレキャラが本当に名人芸だった。
キリっとした美人で、良く言えば率直な性格だが、
神経質で傷つきやすく、何かにつけて文句が多く、
早口で、絶えず何か理屈をこねてる女性の役だ。
きっとジュディ・デイヴィスは
こういう役が得意なんだろうな~と思った。
後年発表された他のウディ・アレン監督作品にも、
やはりこういう感じのキャラで登場している。
『マンハッタン殺人ミステリー』
Manhattan Murder Mystery
1993年
気力体力ともにまだまだ充実しているものの、
夫婦の関係としては倦怠期を迎えたふたり(特に妻)が
欲求不満と、ありあまるエネルギーを
なぜか「探偵ごっこ」に注ぎ込み
謎解きに向けて勝手にあれこれドタバタするなかで
お互いへの愛情を再確認していくという物語。
めちゃくちゃすぎる(笑)
これまでに観てきたウディ・アレンの映画のなかでも
最強レベルにイライラさせられた(笑)
特に妻役のダイアン・キートンがもう本当にひどかった。
つらかった~(笑)
二度と観たくない(笑)
だがビリー・ワイルダーの映画をまた観たくなった。
『ブロードウェイと銃弾』
Bullets Over Broadway
1995年
1920年代末期のショービジネス界の狂騒を
すごく良く伝えているのでは。
衣装も凝っていた。
ただ、チーチが
演出家としての隠れた才能を開花させていく過程については、
もっと丁寧に描いて欲しかった。
主人公の台本の手直しを手伝っているうちに
だんだんその気になってきたというのはわかったのだが
あまりにも唐突に「おれの作品が」とか言い出すので
え、もうそういうフェイズなの??って思った。
最初は、主人公が、チーチに手伝ってもらっていることを
公表したくない、と言うのを
「メンツが大事なんだろ、黙っていてやるよ」
とか言って、ものわかりの良い様子だっただけに
彼の変化にはかなり違和感をおぼえた。
『地球は女で回ってる』
Deconstructing Harry
1997年
邦題がひどいこと以外はすごく気に入った。
ハリーにはイライラしたけど深く共感した。
ハリーの元妻のキレっぷりが最高だった。
でも元妻があんなに荒れてもハリーみたいなクズには
届かないんだよな~
作家のような生き物と付き合いを持つ以上
もう、自分のことがネタにされる(書かれる)ことは
ある程度、あきらめなくちゃ、やっていけないと思う。
まあ、ハリーは図抜けてクズ野郎なのだが。
『セレブリティ』
Celebrity
1998年
登場人物が多いけど、進行に気持ちの良いスピード感があったせいか
把握しやすく、わかりやすかった。
つくづくスゴイよ。そういう所は。
ウディ・アレンは出演してないが、ケネス・ブラナーが
いつもならウディがやっている、めんどくさ〜い男の役を
ウディの口調やしぐさを完コピして、演じていた。
あの演技はもはや神業の域。
しかも完コピだけど、ケネス・ブラナーだと
なぜかそんなにイライラしない(笑)
世渡りベタな夫婦が、別れて各々の道を歩みだす。
セレブのツテで、ビジネスチャンスを得たり
幸せをつかもうとしたりする所までは共通なのだが
その結果は、残酷なまでに異なるものとなった。
この映画でも、ジュディ・デイヴィスが光ってる。
あと、実業家時代のドナルド・トランプがカメオ出演。
『ギター弾きの恋』
Sweet and Lowdown
1999年
数年前に友人宅を訪問した時に一緒に観た。
その友人はまさにこの映画の題材であるところの
ジプシージャズをやるので、観る眼が厳しくて
ショーン・ペンの演奏シーンをみて
「弾いてる時にあんな顔はしないもんなんだよ」
「あの体の揺らし方はおかしい」
とか言っていた。
この映画は、わたしはすごく好きだ。
「俺が間違ってた! バカだった!」と泣くシーン。
命よりも大事なギターを叩き壊す姿。
だがああいうことは絶対、本人にしかできない。
彼の演奏が良くなったのは、本当の愛の痛みを
知ったからなんだと思う。
『おいしい生活』
Small Time Crooks
2000年
もう良い歳のウディ・アレンが
おつむのよろしくない元チンピラ、などという
どうしようもないクズみたいな役を演じていて
全然ハマってないし、片腹痛かった。
だが犯罪のカモフラージュのために開いた店が
何の因果か大企業へと成長・・・という展開は楽しい。
主人公たちがメディアの取材に応じて
まったく無内容なわけのわからないことを
さもそれらしいことのように しゃべるシーンに笑った。
『さよなら、さよならハリウッド』
Hollywood Ending
2002年
ウディ・アレンの映画で 親と子のまともな対話のシーンが
出てくるのはとてもめずらしいのではないか。
基本、ウディ・アレンの映画では
親であるはずの大人たちが幼稚すぎるせいか
彼らに子どもがいるという設定の場合でも、
その「子ども」がまともに描写されるということがまずない。
セリフはおろか名前さえ与えられていなかったり
どんな子なのか、性格とかが全然わからなかったり。
だがこの映画では 主人公の子ども(しかも息子)が
物語の展開に、かなりまともにからむのだ。
『僕のニューヨークライフ』
Anything Else
2003年
レコードショップでのデートの段階では
アマンダは、普通の落ち着いた女の子という印象だった。
それがなぜ主人公と付き合い出したら、
あんな病的にワガママな変な子になったんだ。
思うに、優しいと言えば聞こえは良いが、
主人公は要するに 自分の主張というものがなくて
周りに流されちゃっているのだ。
そういう所が、アマンダをつけあがらせたのかもしれない。
だが、40も年上の、頭のイカレた友人と関わるなかで
主人公も何かを学んだのだと思う。
あのイカレた男、良いキャラだ。
演じてるのがウディ・アレンじゃなかったら
もっと良かったのだが・・・