BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ジュディ 虹の彼方に』-200307。

レイトショーで観てきた。

原題:JUDY
ルパート・グールド監督
2019年、米・英合作

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www.youtube.com

レニー・ゼルウィガーの演技は、さすがの一言。

映画としては平凡だったかも。

こういう感じの映画は
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998年)や
エディット・ピアフ愛の讃歌~』(2007年)で
もう観たことがある。
だからその意味で、斬新さはなかったし、
それに、
ジュディ・ガーランドが舞台裏でどんな感じだったかは、
あえて想像しなくても、想像がついていた。
そして、この映画を観ても、やっぱり想像どおりの
描かれ方だった。
その意味でも、はっとさせられるような
新しさを感じさせてくれる映画ではなかった。

でも、駄作だとか、そこまでは思わない。

のっけにまず言ったことだけど、
主演のレニー・ゼルウィガーは、ほんとに素晴らしかった。
場面によって、
ジュディそのものに見えたり、レニーにしか見えなかったり、
50手前の女性らしく見えたり、まるで幼女のように見えたり、
はつらつとして見えたり、ヨロヨロして見えたり、
いろんな風に「チラつく」のが、非常に印象的だった。
そのことが、すごく、この映画には
マッチしていたように思える。

ラストで、『オズの魔法使』のセリフが引用されていた。
「心というものは、どれくらい君が愛したかではなく、
 君がどれくらい人に愛されているかによって判断されるのだ」
A heart is not judged by how much you love;
but by how much you are loved by others.

わたしが思うに、
『ジュディ 虹の彼方に』を作った人たちは、
このセリフを最後に持ってくることによって、
だいたい以下のようなメッセージを付与して、
物語を着地させたかったのだろう。
「彼女は最後の最後まで、世界中で愛された天才だった。
 プライベートな愛情生活の面は安定せず、
 幸福に満ちていたとは必ずしも言えない最期だったが、
 世界に愛されたレジェンドであるという事実はゆるがない。
 本人がそれで満足だったどうかは別として」

『ジュディ 虹の彼方に』は、
確かに、ジュディ・ガーランドのことを
愛を求め続けた寂しい一面を持った女性として描いていた。
実際に、彼女にはそういう所があったのかもしれない。
彼女がかなり「生き急いだ」人だったことを
わたしも一応知っている。
そのへんは本当に、想像にかたくないのだ。

だが、そこでふと思うことがあるんだけど、
人を描く映画においては、
「愛」とか「幸福」という視座が
どうしてもなくてはならないのかな?
身も蓋もないことを、わたしは言っているのだろうが・・・。

その人生に愛があったか、幸福だったのか、
そんな観点を盛り込まないことには、
特に、伝記ものとしては、座りが悪いのだろう。
だから、どうしても着地点がそっち系になる。
ということなんじゃないかな。
当たり前のことだが、人にとっては、
愛情とか幸福とかが、大事だから。

だけど、そういう描き方でしか
伝記映画が作られないとなると、
なんだか、ありかたとして、お決まりすぎて、
退屈ではないかなと思う。
「人」が違うだけで、
同じ形の映画ばかりになってしまう。
実際、伝記映画って、
みんな似たような感じだよな。

身も蓋もないことを、言ってるとは思うのだが。


※レニーの名前の表記については、
 「レネー・ゼルウェガー」あたりが一番、音が近いと聞いているが、
 わたしはレニー・ゼルウィガーとずっと呼びならわしてきたので、
 これからもそれでいこうと思っている。
 レニー本人から「レネーなんですけど!」と文句を言われたら、
 もちろん改めるが、
 そんなことはこれから先もないだろう。