BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

古書店の常連客のおばあちゃんから聞いた話-190731。

夜、帰り道、近所のちいさな古書店に寄った。
このお店はちょっとしたバーカウンターがあって、
マスターが、コーヒーやウイスキーをいれてくれる。
いつ行っても常連さんが2~3人必ず来ていて
おしゃべりに花を咲かせている。
年配の奥さんが多い。
マスターとも、常連のお客さんとも
仲良くなってきた。
おばあちゃんおじいちゃんばかりだから
ほぼ何を言っているのかわかんないか、
前に何度か聞いた話を今回も延々と聞く・・・
みたいなことになるが、
みんな、すごく優しくしてくれる。

今日は 奥さん2人がいて
わたしがお店に行ったときにはすでに
なぜか生々しい下ネタ話で盛り上がっていた。
それから、健康問題に関する話となり
話題が、「結核」のことに移ると、
若かりし頃の思い出がたりへと発展していき・・・。
興味深い話が、たくさん聞けた。

以下は今日、聞いたこと。
奥さん2人のうち、より年上の方・・・たぶん
70代後半から80代くらいのおばあちゃまの話。
(すっごくおしゃれなおばあちゃん。
 年季の入った銀の指輪とか素敵)

・親元を離れて一人暮らしを始めた10代の頃、
 アパートで突然喀血した。
・小児結核や肋膜炎の罹患歴があったが、
 喀血したのは初めてだった。
 ※「セキが止まらなくなって最終的に喀血したの?
  かねて体調が悪かったの?」と聞いたら
  「体調は、ちっとも悪いと感じていなかった、
  急になんとなく、お腹や胸のあたりが
  気持ちが悪くなってきたと思ったら、突然、
  『カパッ』と血を吐いたの」と言っていた。
・突然大量の喀血をしたのでびっくりして、
 大声で泣き叫んだ。それを聞きつけたのか、
 階下にいた大家さんと、隣のお年寄りが駆けつけてきて、
 洗面所の大量の血液を見て、ああこれは、と
 すぐに病院と保健所に連絡をしてくれた。
・保健所の人が何人もやってきて、部屋じゅうに
 薬品のようなものを散布した。

・アパートの人や家族はみんな検査を受けた。
 菌を飛ばさなければ伝染らない。
  ※「結核の菌て、セキをすると飛ぶの?」と聞いてみたところ、
 「どうだかわからない。最近また結核が流行している。
  でも昔と違って薬もあるし、病院に行けば治る」
  とのこと。
・保健所から、山梨の療養施設に行くようにとの話があった。
 都会育ちであり、実家からも遠くなるので
 絶対に行きたくないと泣いた。
・当時、恋人のような関係にあった新聞社勤務の男性に
 相談したところ、渋谷の日赤病院
 (現日本赤十字社医療センター
 に話を付けてくれ、すぐに入院が決まった。
 日赤ならアパートからも実家からも比較的近かった。
 以後、4年間入院した。
・「長く入院したけど、元気になって本当に良かったね」
  と話したところ、
 「確かに今まで長生きすることができたけど、
  ストレプトマイシンの副作用で難聴になった」とのこと。
  当時、結核の薬はストレプトマイシンしかなかったそう。
・相部屋で、隣のベッドに若い奥さんが入院してきた。
 だんなさんが、あまりお見舞いにこなかった。
 ある日、深夜に、妙な声が聞こえて目を覚ました。
 隣のベッドの奥さんが、カーテンを閉めるのに使う
 細い金属の棒を外し、それを着物の下から
 下半身に差し込むようにして、何かやっていた。
 当時は、奥さんが何をしていたのかわからなかった。
 でも、あとで、夫の見舞いが間遠なことが寂しくて、
 していたことだった、と気づき、
 とても気の毒だったと思っている。
・日赤の敷地はとても広かった。
 結核療養棟は他の病棟と隔離された一番端のほうにあった。
 日赤は戦時中は軍の病院だった。古くて暗かったけど、広かった。
結核療養棟の塀のすぐむこうが、聖心女学院だった。
・当時、聖心女子大学には、正田美智子さんが通っていた。
 入院していた同年代の女性の患者たちみんなで、
 ばれないようにしょっちゅう部屋を抜け出して
 塀のむこうの美智子さんをのぞき見しに行っていた。
 何度も美智子さんの姿を見た。
 美人で、才女で、さっそうとして、みんなの憧れの的だった。
・美智子さんは皇太子さま(現上皇)に見初められて
 これからどうなるのか、みんなに注目されていたときだった。
 彼女は、いっとき海外に逃げちゃったことがあったのよ。
 (1958年のベルギー「聖心世界同窓会」出席のことかな?)
 ※「それって、皇太子さまと結婚したくなくて、ということ?」
  と聞いたところ、
  「そうよ!皇室にお嫁入りなんて大変に決まってるもの。
  でも、見初められちゃったからね、
  しょうがなかったのよね」とのこと。
・婚約が正式に決まって、家を出て皇居にあいさつに行くときの
 姿がとてもきれいだった。ミンクのショールと薄い黄色のドレス。

とても貴重な話だ。
ストレプトマイシンの副作用による難聴なんて
わたし全然知らなかった。

母方の大おじに会ったことがある。
1度だけ。
彼は太平洋戦争の出征経験者だった。
足は弱っていたけど、かくしゃくとしていた。
今思えば、会ったときすでに最晩年だった。
生前 もっと話を聞いておけば良かった。
身近に、お年寄りがいない。
別に戦争の話じゃなくてもいいんだけど
70代、80代、90代・・・の人たちから、
昔の話を聞きたいと思うのだ。 
でも、そう思うと同時に
お年寄りとどう接していいかわかんないといった
敬遠するような気持ちも自分にはあると思う。
おばあちゃんたちに、会えて良かった・・・ 
これからもっと話を聞かせてもらおうと思う。

わたしが帰るとき、
「年寄りのつまらない話に付き合わせちゃってごめんね」
などと言われた。
そんなことは思ってない、また話を聞きたいと言ったら
あらそう、と うれしそうな笑顔を見せてくれた。
話すことによって、忘れていた昔の哀しいこととか
思い出させたら悪いから
あんまりこっちから話して話してと
言わない方がいいのかなと思うけど・・・