BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

「るろうに剣心」に思う、「表現」ということ。

いま、「るろうに剣心」のさいしょのほうを読み返している。
なつかしい!!
きょうだいそろって好きだった。
ジャンプで連載されてたときから読んでいた。

お話そのものが、好きというよりは、
このマンガが放つ、雰囲気や画が、好きだったかもしれない。

いま読み返してみてそうおもう。

お話も、かなりおもしろいが。

そして、作者は、けっこういろいろ、考えてて、
「こう描きたい、これを描きたい」っていうのが強かったんだな。
だから、言うまでもないけれど、作者は、
表現のためにマンガという媒体を選んでたんだろうな。

じっさいいちばんぴったりの媒体だったんじゃないかとおもう。
画がこんなにうまくて、おもしろい物語も考えられて。

それでも作者がそれらの自分の意図を、ちゃんとマンガに投影できてたかどうか、
「実現できてたか」どうかでいうと、
読んだかんじ、まあ50~60%といったところかと感じる。

画がすごくうまいので、
「こういう画をかきたい」ということなら、そうとう確実に実現しきっているとおもうが、
「こういう思いを」とか「こういう流れに」みたいなほうは、50~60%くらい。

なぜ、そう感じるかというと、
この作者さんは、単行本の空きページに、
制作にまつわる裏話やらマンガの物語の解説、キャラクター成立のバックグラウンド、
「こう描きたかった」「こうするつもりだったがこうなっちゃった」
というようなことを、たいへん詳細に、書き連ねているからだ。

それをたとえば、「いいわけがましい」とか「自意識過剰」
とかいう人がいるかもしれないことも、容易に想像できる。
制作裏話みたいなのを単行本に載せている例は、ほかのマンガでも見なくはないが、
この人の場合はじっさい、一方通行的なかんじがあるし、
読者のためにというよりは自分のためっぽい。
性格的なものがあるんだろうけど。
10巻くらいまで、とおして読んでいくとどうも、そう感じるようになってくる。
いやだとおもう人には、このかんじはたまらなくいやだろう。

わたしはこの自作解説みたいなの、できれば、ないほうがいいとおもう。
なくても十分に、本編がおもしろいのだ。
あるからむしろ、安っぽくみえてしまう。


もしかして、このような、
「だれもたのんでないのに自作解説」的なことをすると
いいわけがましく、美しくないから、
それで第三者による批評というニーズがでてきたってことなのかな。



この作者さんは、あくまでもどこまでも、
描いたものを自分だけの力でコントロールできる、とおもっていたかったのかもしれない。
すこしでも、自分が意図したのとちがうように理解されるのがいやだったから、
予防線をはり、自分がしたこと描いたことの理由を説明したかったのかもしれない。

世に出しても、手放せなかったのだろう。

そういうふうにおもう。

そのきもち、わかる。


それはいさぎよくないのかも。
さまになってないのかも。


でも、表現する能力を、まったくもっていなかったり、
もっていても表現する機会がないよりは、ずっとずっといい。

50~60%であろうと表現に成功したんだから、この作者さんは非凡だ。
それになにより、きちんと物語をかたりつくして、完結させている。

いまでも読み返したくなるくらいおもしろいのだから、
これでぜんぜんいいんじゃないかと。


るろうに剣心」の連載開始よりもまえに発表された読み切り作品が、
何本か、単行本の最後に収録されており、
そのなかの「戦国の三日月」に登場する、一心太という青年についても、作者は語っている。
「今まで数々のキャラを描いてきたけれど、
この一心太だけは唯一、100%思い通り描けたと自信を持って言えます」。

一心太がクライマックスでとる行動に、自分の信念や希望をたたきこむことができたと、
言っているのだ。

るろうに剣心」にくらべたら画がぜんぜんうまくないし、
話もなんかどこかでみたかんじであんまりおもしろくないのだが、
初期も初期、最初期のこのマンガのなかに
作者の「唯一、100%思い通り」のものが入ってる・・。


なんて深いのか!


表現てことが、いかにむずかしいか・・







わたしはあれっすね
四乃森蒼紫がすきっす。あと、月岡津南。
暗いとこがいい。