BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

世界的に有名なネズミの話-180503。

一時期にくらべると読まなくなったが、マンガは今もすきだ。

この前お会いした方に、
これまでに読んだマンガで、いちばんおもしろかったと
おもうものはなに、との質問をいただいた。
少し考えたすえ、ふっと頭にうかびあがった一作を紹介してみる。
いろいろあるけどやっぱこれかなあ、と思ったものだ。

アート・スピーゲルマン
「マウス」
Maus A Survivor's Tale  
晶文社、全2巻、小野耕世訳 91年~94年)

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www.shobunsha.co.jp

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・・・
これがいちばんだったっていう気持ちが
ほかの作品といれかわる形で変化することは、
(すくなくともとうぶんは)ないかな?
こういうのって、読んだ時期とかそのときの自分の心とかが
深くかかわる、すごく主観的なものだ。

短大時代に、学校の図書館で読んで以来、傑作と認識しつづけている。
卒業の直前、図書館にいってみると、
蔵書登録除外・ご自由におもちかえりください
のプレートがかかった箱がおかれ、そこに本作全2巻が。
まよわずもらって帰ってきた。
案外手に入りにくい作品らしいので、
そんな機会に恵まれて、ツイてた。

作者は米国のアンダーグラウンドコミック界で著名なかたとか。
邦題サブタイトルは
アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語」。
お父上ヴラデック・スピーゲルマン氏へのインタビュー内容が
ストーリーの基となっている。

ときは第二次世界大戦期、ヴラデックは
ポーランドで若手実業家としてならしていた。だが
ナチスドイツの侵攻とユダヤ人殲滅策(ホロコースト)が激化、
スピーゲルマン家は屈指の資産家で各界に顔もきくが、ユダヤ系。
安穏としてはいられなくなってくる。
自分と家族の命を守るため
ヴラデックはその財力と機智、直感力と運にものをいわせて
幾多の危機をのりこえ、ホロコーストを生きのびる。
しかし、苛酷だった時代は彼ののちの人生に暗い影をおとしてしまい、
その影響は息子(作者)との関係にもおよぶ・・・。

若かりしころの父のサバイバルドキュメンタリー、
(「友だち?おまえの友だちだと?・・・ 友だち同士を
部屋にとじこめ 一週間たべものがなかったとしたら
そしたら、友だちとはなにか おまえにもわかるさ。」)
父と息子の心の相克、自殺した母と息子の愛憎。
克明につづられる物語の内容の濃さもなのだが、

特徴的なのはその描写スタイル
ユダヤ人はネズミ、
ドイツ人(ナチスドイツ)はネコ、
ポーランド人はブタと、人の顔が動物で表現される。

これが単純に、人のキャラは人の顔で・・・なら
おそらく本作のおもしろさは半分以下。
というのもヴラデックは、
ユダヤ人の利用が禁じられていた列車にのりこんだり
道ばたの子どもらに「ユダヤ人だ!」と騒がれたりと
危険な局面に何度も遭遇しながら、これをきりぬける。
これらをふつうに人の顔のキャラで描いたら
ありきたりなシーンの連続になっていたのでは。
それが動物の顔方式を選んだことで、
「ネズミだけど今だけブタのお面をつける」
など、表現の幅が拡がった。
巨大なドブネズミを見て悲鳴をあげてしまい(自分もネズミなのに!)、
身を隠していることがばれそうになる、そんなブラックユーモアも
従来の手法じゃ生まれなかった。

人のキャラが人の顔で描かれていたら、
内容がおもしろかろうと 
最後まで読んだかわからない、ともおもう。
海外のマンガにでてくる人間のキャラは
絵柄が日本のそれとあまりにちがい、なじみにくい。
どんな文化圏に育った人が見てもネズミ、
老若男女だれが見てもネコ、・・・
シンプルな絵でかかれたことが
世界的に読まれる作品になった理由のひとつのはずだ。
この父子だからこそ、といえそうな
こまやかな取材の成果といえる超精確なライフストーリー、
そしてカミュもまっさおのぶこつなメタファーのうちに
ゴリゴリ彫りだされる人間存在の実像とが
だれにもマネできないバランスで共生していることも、
その表現手法にひと工夫がなかったら
こんなに多くの人に知られないまま絶版になってたかも。
つまり、人の物語を動物の顔で・・・という手法を
選んだ時点で、本作の「勝ち」が決定した。

ヴラデックが基本的に(若いころも老いてからも)
「いいやつ」じゃなく、むしろ「クソ野郎」なのもいい。
ウソをつき人を裏切り、年寄りを見捨て、
どっちが安全か、何を差し出せば相手を動かせるか
葛藤そっちのけで選びに選んで生きのびた彼の物語は、大胆で等身大だ。
こうだったから生き残れたということであり
でもこうでなくちゃ生き残れないような世界を
作ってしまったのもまた人なのだということでもあり。

なにも、これが世界一のマンガとかいうわけではない。
おもしろいマンガはいくらでもある。
が、ぜったいにわすれられず、
読み返すたびになにか新しいきもちがわく
「マウス」はわたしにとってそういうかんじのマンガで、
心のなかでつねに一定の地位にある。