BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

興味がないことでもやらなくちゃいけないときどうするかについて(あるいは読まないと書けない)-171003。

個人的にぜんぜん関心のない
分野についての 本の製作に
たずさわらなくちゃいけないことも 
もちろんある。

たとえばわたしは
韓流スターとかアイドル、
芸能界情報に関心がない。
でも、
K-POPアイドルが兵役を終え
ふたりそろっての活動を再開すれば
彼らのファンブックを
手がけることもありえるし
某韓国HIP-HOPグループや
某坂の名前がつく超絶かわいい
ガールズアイドルグループの
ファンブックとかを作る可能性も
もちろんある。
関心がなくても、その場合
メンバーの顔と名前と
プロフィールと人物像
グループの活動履歴くらいは
おぼえる必要が生じる。
アルバム、シングル、ライブDVD
すべて聴き 目をとおし
彼らについてのなんらかの思いを
自分が持たないことには
どうしようもない。
関心があるとかないとか関係ない。

こうした勉強は
仕事以前のもんだいで、
仕事を始める前には終えていなくちゃならない。

そこへきて わるいことに
芸能界だけじゃなく 
わたしはけっこういろんなことに
関心がない。
現状に満足しがちで 
関心の幅がひろがりにくい性格だ。
好奇心 探究心があまり強くない。
ついでに
好きなもののことをむしろ
「あまり詳しく知りたくない」という
おかしな考えの持ち主でもある。
関心がないことは知らないし
関心があってもけっきょく知らないという
二重苦状態なのだ。

ちょっとずれたところでは
某 ブロックを積み上げて
家を作ったり街を作ったり
冒険したりできる
3Dのゲームの
ガイドブック作ったときは 
これもこれで
すごくまいった。
ゲームを実際にプレイして、 
作業画面をキャプチャする
必要があったためだ。

そもそも自分が
テレビゲームのコントローラを
握ったこともない
ゲームオンチであるところへ
もってきて、さらに
「3D酔い」する体質が発覚。
わたしも大変だが
プロジェクトのリーダーは 
このわたしというお荷物メンバーを
かかえて弱りきったにちがいない。

このゲーム本の制作中は
毎日 4時間に1回くらい
嘔吐したり寝込んだりしながら
作業にのぞんだものだ。
このゲーム、息が長く、人気がある。
これからも 同じような本を
手がけることになる可能性は高かった。
だから、
すこしでも次はらくにできるようにと
自主的に無料の3Dモデリングソフトを導入して
ひまさえあれば(ひまとかないけど)
そいつで粘土的なものをこねくりまわし
なにかを作る、ということに
取り組むようになった。荒療治だ。
(このソフトは今年の春くらいに
サービスを終了しちゃったんだけど 
日本語版もあるし なんといっても
ユーザーインターフェース
シンプルかつ親切設計で
素人にもわかりやすかった。
発見できて幸運だった。
業界では有名なソフトらしく、
使いかたを詳しく解説している
日本語のブログやサイトも
たくさんあり、すごく参考になった。)

まあ、3D酔いはびた一文 
治ってないが・・。
マウスのムダな動きが
酔いを誘発してる、と
職場の人に指摘されたので
もっとスマートにちいさく
マウスを動かすことを心がけ
キーボードショートカットを
覚えまくることで
「くらっ」とくる瞬間は
多少減らせたかとおもう。
また、
当該ゲームをひまさえあれば
(ひまとかないけど)プレイして
たとえば自宅のミニチュア版を
作ってみたりして
自主トレーニングしている。

※でも、最初にこのゲームの本を作ったとき
ゲーゲー吐きながら仕事してたもんで
こいつは戦力にならんとみなされたらしく
プレイ画面をキャプチャする必要があるような
ページは 次回以降
ほとんど任されなくなっちゃった 
イヤ正直助かるけど(涙)


そんなこんなで
仕事のときに 
仕事以前のところで
越えなくちゃならない壁が
いつも、いくつもある。
それがわたしだ。
うちの職場のほかの人だって、
本を作るにあたって、
その題材に関する
知識が不足していれば、
事前の勉強は欠かさないはずだが、
ここまで なにかあるたびに
いちいちつまずいている人材は
めずらしいように思える。
それだけわたしは
ものを知らないし、
好奇心とか探求心がほんとうに
乏しいということなのだ。

だが、そうもいってられない。
本を作らなきゃいけないからだ。

だれしも程度の差こそあれ 
やらなくちゃいけない。
でもやるためにいろいろ足りてない。
なぜならその分野の門外漢だから、
関心がないから、知らないから
ということは あるはずだ。
仕事は教育じゃない。
職場は学校ではない。
自分の現時点での習熟度や
レベルにぴったりの仕事がくる、
なんてことはありえない。
つまり、
仕事にあわせて
自分のレベルを上げるしかない。
その仕事を、したければの話だが。

さて、
話がだいぶツイストしちゃったが
もとにもどす。
ぜんぜん関心がない分野についての
本を作ることになったときの話をしたい。

本を作るとき、大前提として
その分野について知っている必要がある。

そのために、本を読むことが求められる。

すくなくとも 
わが職場では 方針として、
まず仕事にとりかかるまえに
最低でも35~50作冊ぶんは
関連資料や図書を読むよう 
きつく申し渡されてる。
作業に入る前にそれらの本を
電子書籍の形式がおおい)
どっさりわたされ、
読了を要求される。
基本的な知識をしっかりと
(本を作る期間が過ぎれば忘れてしまう、
一時的な記憶にすぎないことがおおいが)
頭にたたきこんだうえで 作業に入る。
何ページのだいたい何行目に
こんなこと書いてあったとか
あのページの右下のところに
こんな写真があったかもとか
頭にたたきこんでおくと
いざ作業をするときに便利だから
それももちろん たたきこむ。

必須事項として、要求されることだ。
関心がないとか 理解できないとか
そういうもんだいではない。
わたし、最初は 
そんなことできるわけがないと
おもってた。
本を読むのが遅く 
400ページの文庫本を1冊読むのに
4日とかかかっていたからだ。
それが、
できなくてもなんでも 
必死でトライしたところ
約1年半で ふつうに可能になった。
半年か9ヶ月だったかも。
途中で病気になり
パフォーマンスが暴落したことがあったが
その機能低下期間を計算にいれたら
まちがいなく約1年半。
人間の能力はスゴイものなのだ。
ここまでになるまで 
そりゃわたしもしんどかったが
仕事が遅いわたしをフォローする
職場の人たちも
さぞかししんどかったろう。
だが乗り越えた。
人間、追い詰められると
なにをやらかすか
わかったもんじゃない。

大量の本を短期間で読む、
これはわたしの仕事では
だいじなことだ。
「ほんとにそんなこと
しなくちゃいけないの? 
必要な情報なんて、その都度
ネットで調べればいいじゃん」
そう お思いになるかたも
いらっしゃることだろう。
だが、ちがう!!!
じっさいに、
本を読んでおかないと、
本を作ることはできないのだ。
というか書くことができないのだ。
やってみれば絶対にすぐわかる。

頭になにも入れてないと 
ふしぎなことだが、文が書けない。
これはほんとにふしぎなのだが、
頭のなかになにか入ってないと
1文字も書けない。
入れておくものは、
当該分野と無関係のものでも
なんでもいい。
だがいっぱい詰め込んどかないとだめ。
しかも、すぐに枯渇する。
頭のなかのものを
ものすごい勢いで
消費しながら書くのだ。
なにも入ってないか、
入れてる量が減ってくると
すぐに、書けなくなる。
だから絶えず
なにか入れてないと、
なにかを思ってないと、
考えてないとだめだ。

そういうものなんだと
この仕事に就いて、はじめて認識した。
だからその意味でも、
読んでなくちゃいけないのだ。

同業者のかたがたが
みんなこんなこと・・・
つまり1冊作るのに35~50冊
関連図書読破、を
やっているのかは知らない。
でも、似たようなことを
やってるんじゃないかなとおもう。

頭になにも入ってないと
どっちみち書けないんだから。
それは みんなおなじはずなのだ。

ただよくかんがえると
わたしの職場の人たちが この 
仕事ひとつにつき
35〜50の参考資料読破 を
どのていどまで真剣にとらえて
ちゃんとやっているか は
わからない。
わたし自身は 真に受けて
きちんとやっている。
職場の人たちはみんな
要領よく手をぬいてるかもしれない。
すでに知っていることを
改めて詰め込む必要はないんだし、
ふだんからいろいろなことに
興味関心をひろげ
いわれなくても読んでる人は
急に読む量を増やすこともない。
ちょっとはらくなはずだ。
職場の人はみんな
本を読むスピードがとても速い。
頭の構造が違うってかんじだ。

かくして
最低限 われわれは
いつも本を読んでる。
マンガだって際限なく読む。
本だけじゃない。
音楽 映画
アニメーション 写真
きれいな絵とか 景色
あと、人とのコミュニケーション
体を動かすこともいいだろう。
なんでもやって、
頭にどんどん入れていって
いろんなことを 
いつも思っている。
そういうもんなのだ。

※これはオプションだが、
本を1冊作るために 
こうやっていっぱい
その分野の関連図書を
読み漁っておくと、
仕事とはまた別に、いいことがある。
すなわちその分野について
けっこう知識が身につく。
本を作り終えたら
細かいことは忘れてしまうが
基本的なことや外枠などは残る。
何度も同じような分野の本を作ると、
もっと深く濃く覚えられる。
これはむだにはならない。
たとえば 初めて会う人とでも
その人がどんなご職業の
どんなことをやっている人でも
会話がけっこうもつ。
話がはずみ、友だちが作りやすい。
人と仲良くなりたければ、本を作れ。
ということだ(^^)

だがしかし、
知っておかなくちゃいけない。
関心がないとか、
自分にはどうせわかんないだろう
などとおもいこんだ状態で 
こういう
事前準備(本読み)をして
必要な効果をえるのは
不可能にちかい。
いくら読んでも頭にはいってこない。 
同じところを何度も読んでても
気づかないくらい上の空だし
すぐ眠くなっちゃうし 
なんとか全部読んでも 
なーんにも覚えちゃいない。
時間がかかるばっかりで 
なんの成果もないことになる。

「自分にはできない」と考えることほど
作業の非効率化に効果的なことはない。
一瞬でも「できない」などと考えれば
頭に「できない」というタガがはまり
脳みその働きが70パーセントオフくらい
鈍化してしまう。

仕事で
なんとしても必要なことを
やろうというときに
そんなくだらない泥沼に
はまっている場合じゃない。 

だいたい
本読みに純粋に使える時間は
多くて4日、
実働で18時間とか20時間とか
あっても そんなものだ。
ほとんどの場合 もっと短いし、こまぎれ。
それだけのために
時間を使えることなんて
めったになく、
いつも別の仕事と同時進行、
よゆうがないなかでやっている。
体調がいいともかぎらない。
頭が痛かったり疲れてたり
人間なんだから 
コンディションてものがある。

条件が完璧にそろった状況で
本が読めるなんてことは ない。
それで35冊~50冊を
平気で読まなくちゃいけない。
1冊の文字数ページ数にもよるが 
すごく難しいことだ。
ほとんどの人は 
冗談でしょ、というだろう。
でもほんとだ。
難しくてもやっている。
いつも戦ってる。

だから、せめて、
この作業を完遂するのに
必要なことがある。
「関心がない」という、
考えを自分のなかから追い出すのだ。
虚心で読むように努める。
虚心どころか むしろ真逆。
いままではなにも知らなかったけど
ぜったいに好きになるはずだ、
興味がわくはずだと
一種の自己暗示をかけてから 
本読みにかかる。
自己暗示なんていうと
難しいかんじがするが、
わたしの場合はごく単純だ。

単純に 声に出して言ってから
資料読みと研究に入る。
すなわち
「ぜったいに好きになる。興味がわく。」
声に出してそう唱えるのだ。
魔法(暗示)が解け始めたことを感じたら
つど 呪文を唱え直す。
こうしてから作業をすると、
かなりちがう。
ウソみたいだがほんとの話だ。
そんなことでいい。

ほかにも人によって
いろいろ最適な方法があるだろう。
さがしてみればいい。

興味がなくても関心がなくても
仕事はくる。
あきらめてはいけない。
その仕事をしたいとおもうかぎりは。
できないと考えることを
自分に許すのをまずやめることだ。
そして「できる」と思い込む。
自作自演上等だ。
それでだいぶちがう。


今回の仕事ものりきった。
つらかった(涙)
やはり 関心がないと
おもしろいように
仕事のスピードが落ちる。
自己暗示にも限界があるもんだ。
知ってるよそんなこと!
職場専属の催眠術師さんとか
いてくれたらな。

映画の感想-『鍵』-171002。

1日 本を読んでた。

本ばっかり読んでいたせいか
首がいたい。まわらない。
横になるのもしんどい。涙出そう。
それに おなかすいた。つかれた(^^)
本音をいうと きょうはもう 
あと1行だって読みたくない(^^)

・・・

さっき、
『鍵』を観てみた。
英題:Odd Obsession
市川崑監督
1959年、日本

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www.youtube.com


谷崎潤一郎の『鍵』の 
5本だかある実写映画化作品の
いちばん最初のものだ。
二代目中村鴈治郎(古美術鑑定家・剣持)
京マチ子(剣持夫人・郁子)
叶順子(剣持家娘・敏子)
仲代達矢(敏子の婚約者・木村)
などがでてる。

『鍵」』の基本的なすじを 
お知りになりたいかたは
Wikiなどをお読みになるといい。

みごとなもんだなとおもった。

原作小説がだいたんに換骨奪胎され
かんじんの「日記」の要素は
ほぼ全消えで ラストあたりに
申しわけ程度にでてくる程度
そのかわり「窃視」と
「公然の秘密」の要素が
映像と会話劇によって
ぐいぐい押し出される
映画ならではのつくりだ。
何を考えているのか
さっぱりわからない、
木村の頭のなかは 
すくなくとも 鑑賞者にかぎっては
ノローグによって
「窃視」できる仕組み。

原作とはかなりちがうけど
とてもよくまとまっているとおもう
徹底的なまでに様式的
かつシンボリックで、
それだけに 
人の心の謎や愛憎がにじみでて 
美しいと感じる。
蒸気機関の暗喩とか 
あんなのもう 
今の映画ではできない。

セリフにも動きにも 
ムダや飾りが感じられない。
セリフなんか 
1回でも通して映画を観れば
そらで言えそうなほどシンプルだ。
「演技とかそういうの 
この映画に必要ないんで!」
くらいのこと
考えていたんじゃないだろうか、
監督は。知らないけど。

女性陣の
お化粧が怖い(^^)
初登場シーンで 京マチ子の顔をみたときは
冗談でしょ、とおもった。
でも観ているうちに慣れてきて 
きれいだな、くらいのこと以外には
なにも思わないように
なってきたからふしぎだ。
お能の面のようなかんじかなと。

中村鴈治郎
とてもうまいとおもった。
目つきも手つきも 
きもちわるくて じつにいい。
最初はこの人がいちばんヤダなと
おもうんだけど
観ているうちに・・・。

京マチ子は いい。
彼女って 体をはって
「女」ってものを演じた女優なのに
いやらしくならなくて
いつでも品があるところが 
稀有だと感じる。

「はなさん、また間違えたのね」。

仲代達矢が 剣持夫人とその娘とを
みずからの出世のためだけに
とっかえひっかえする
不誠実なインターン生を 
うまいこと演じてた。
顔が腹立つ。

昔の日本映画はおもしろい。
こういうのだったら いくらでも観たい。

感想とかぜんぜん書けない最近の読書傾向-170930。

人さまにすすめて
喜ばれる可能性が
すこしでもありそうな
一般的な?本を 
最近読んでない。
書評とか してみたくても 
これじゃできない。

専門書ばかり。
専門書って 
ほんと 買うと高い。
図書館にたよりきりだ。

でも
宅間守(大阪池田小殺傷事件の)の
精神鑑定書(岡江晃 著)だけは
一般書として
扱ってもいいかもしれない。

f:id:york8188:20190225012209j:plain
www.akishobo.com



これは衝撃的だった。
そんなつもりじゃなかったが
単純に 電撃的に 心にきた。
考察どころではなかった。
一度 どなたも 
お読みになってみる価値はある。
でも 読めばわかるが 
こうまではっきりと
彼は精神障害ではなかった、と
結論付けられていたにもかかわらず
それでも
彼の事件を あきらかにきっかけとして
医療観察法が制定された というのは・・・
 

あと、スリランカ(急に!!!)
とかは いまもいわゆる小乗仏教
生きているんだけど
その小乗仏教のルーツを
たどるための 
原始仏教の基本みたいなのの本を
6~7冊くらい 読んだけど 
すごくたのしかった。
小乗仏教のルーツをたどりたいと
べつに考えたわけではなく
単純になんとなく 
おもしろそうだなとおもって
読んだだけだが やはりよかった。
タイムトラベルしたきもちになれた。


あとは 
このまえちょっと書いたけど
宮大工の 故・西岡常一氏の著書も。
↓ 自分のブログだが・・・。

york8188.hatenablog.com




おもえば
マンガも読んでないし
(「銀河英雄伝説」の
刊行ペースの早さに
もはや ついていけない)、
アニメーションもみていない。
アニメーションときたら
進撃の巨人」Season2さえ 
みてない。
進撃はもともと
観るのを楽しみにしていたんだけど
あるとき、はっと、気がついた。
「話の流れでいくと
第2シーズン開始早々くらいに
ミケが死ぬんじゃないか?」。
原作において
ミケ・ザカリアスの最期は
じつにむごいものなのだ。
あれをカラーで、
音付きで観るのか・・・と 
考えたら怖くなり
ためらっているうちに 
みのがしてしまった。
観たら観たで 
夢中になるにきまってるのだが。
血界戦線」も 
こんな調子ではもしかしたら 
みないかもしれない。
そんなバカな・・・


映画は週に1~2本は
スクリーンなりDVDなりで
いちおう鑑賞しており 
これだけは
ぎりぎり いつものペースを
たもっている。
ダンケルク」ばかりだが。


本だ。
読む本の 傾向が 
すごくかたよってきた。
不健全だ。
悪食で鳴らした(いつ。)
バラエティゆたかにもほどがある 
わたしの読みかたは 
どこにいってしまったのか。
つい1か月くらいまえまでは
嘔吐物のほうがまだしも
内容に秩序があるね、というような
盛大にとち狂った本の読みかたを
やってた、ちゃんと。
なのになんか 最近は
がらにもなく 
おりこうさんな読みかたを。
同系統の本をきちーんと 
ならべて読んでしまってて。

だめなんじゃないか? 
わかんないけど。
前は前で 
こんな無秩序な読みかたしてたら
いけないと 
おもっていたんだけど。

それはおいといても
さすがにすこし 
やりすぎ感がある。
読まなくてはならない、
いまのうちに
読んでおきたい本が 
たくさんあるから
しかたないのだが
けど いきなり 
あまりに多く リストアップしすぎた。
日割りにしても 
1500~2000ページは
読まないとおっつかない。
スピードと量が 
どっちもひつようだ。
できないことはないが 
ムリはしてる。

1日 まあ・・・ 
600ページくらいが
ちょうどいいのかなとか
ようやくわかってきた。
そのくらいなら 
毎日やってもだいじょうぶ。
そんなことも いままで 
考えたことなかった。
あきらかに飛ばしすぎだ。

ただ 限界を知るために 
やってみてよかったのかも。
お酒の飲みかたを 
覚えるようなかんじで。

活字 見すぎ。 
コーヒー飲みすぎ。
こんなにコーヒー飲んだこと
いままであったろうか。

でも 
リストアップしたものについては 
もちろんなにがあっても 
完遂するつもりだ。

クレジットカードを生まれて初めて作ってみた

1枚たりとも持ったことがなかったクレジットカードを
このたび作った。

なんとしてもぜひともカードが必要と感じるシチュエーションを
実感としてあまり体験したことがなかった。
たとえば海外でとか そういう・・・。
自分は日本を出たことが一度もないのだ。

ただ、それでも、
支払い方法がクレジット決済であったために、
やりたくても(購入したくても)あきらめてきたこと、
というのが過去に何回かあった。
そのため、
1枚くらい 持っておくべきなのかなあと 
ここ数年 多少考えてはいた。

お金の計算が極度に苦手であることに加え
目に見えないところでお金が動くこと、
決済フロー的に(買いたいものを入手した日よりもずっとあとに
なってからお金が引き落とされる、というその仕組み)
お金をちゃんとつかってちゃんと買い物をしているかんじが
薄れるだろうな、ということが予想され、
それは 自分にとってよくないことに感じる。
カードを持って いいことよりも
悪いことのほうが多いように思われ 
所有がためらわれた。


数か月前、
となりのデスクで仕事しているデザイナーさんに
カードを持っていないが 作るべきか迷っていると
話した。
彼はわたしがカードを1枚も所有していないことを知って
見た目にはっきりわかるほど 引いてた。
しかし、
「将来フリーランスになってからとかだと 
カードの審査を通過しにくくなることがあるので、
会社勤務のうちに1枚は作っておいたほうがよい」
と 言い、
彼のおすすめのカードなどについてもアドバイスをしてくれた。
フリーランスになるかどうかはまた別だが、
自分は
審査に通るとか通らないとかそういうことがあることさえ
知らなかった。なに、審査って。
だが 会社員であるというだけで 
その審査とやらを通過できる可能性が高まるなら
やはり今 作っておこうかと 決意だけは固まった。

そしてこのたび
新幹線のチケットをできるだけ安くとりたいという
必要が生じた。
「安い」ことは絶対条件ではなかったが。
その できるだけ安くとれる手段を用いるのに
クレジット決済ができなければならないことがわかったので
オンラインで 申し込みを行って カードを作った。
毎日 通勤で利用する私鉄およびその系列百貨店が発行している
ものにしておいた。
正直なにもかも、まさしくなにもかも、よくわからないのだが
イメージ的に とにもかくにも
デザイナーさんが言ってた「審査」ってなんだろう、
なんか不安だなという かんじだけがあった。

しかし、
手続き完了ののち 40分もたたないうちに
審査を通過しました、原則4営業日後にカードを送ります
という内容のメールが届いた。
けっきょく審査とはなんだったのか。
皆目 見当もつかないが
なんにせよカードは発行されるようだ。
これで新幹線のチケットをとることもできるだろう。

デザイナーさんが出社してきたときに
カードを作りました!と なかば興奮ぎみに報告したら
「そうか。大人になったかんじだね!うれしいかい。」
と にっこり笑って 聞かれた。
「うれしいです!」
と 子どものように返事をしてしまった。

追って、発行されるカードの公式サイトをよく読み
クレジットカードというものについて
基本から勉強するつもりだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


携帯型MP3オーディオプレイヤーも
先日 生まれて初めて購入した。 
人類にとってはちいさな一歩でも
わたしにとってはおおきな飛躍だ。


外を歩きながら音楽を聴くとかいうことを
いままでほとんどしてこなかった。
都会では 耳がふさがった状態でいると危ない。
耳だけでなく目も両手もあけておくべきだ。
自分のようなぼんくらはとくに。

携帯型音楽再生機のたぐいで 自分が所有しているのは
「カセットテーププレイヤー」と「CDプレイヤー」。
カセットプレイヤーは驚くべきことにバリバリの現役で、
ずっと以前には外でも使っていた。
いまはもっぱら自宅室内で愛用している。 
しかし
かんじんの手持ちのカセットテープの劣化がはげしく、
まともにきけるものが あまりなくなってきたので
順次CDに差し替え中だ。
それをきくためのポータブルCDプレイヤーは
旧型すぎて重量がやたらあり 携帯型がきいてあきれる状態だし
音質の低さ、音飛びの頻度の高さともに顕著だ。

あたらしいCDプレイヤーを買おうかなと
おもわなくもないが
最近のCDプレイヤーは、
どうせ売れないからと考えているからか、
どのメーカーも
小型化・軽量化・高機能化・デザインのソフィスティケイトを
さぼっているのがまるわかりで、みるだに不愉快。
種類も貧弱だ。
これなら買いたい使いたいとおもえるものがまったくない。

本音を言えば 
できればカセットプレイヤーを今後も使い続けたいのだが、
だからかんじんのテープがもうないんだってばという話にもどってきてしまう。

ながらくパソコンも 持っていなかったので
CDなどの音楽データをとりこんで
MP3とかの高圧縮音源に形式変換して
携帯電話とかにとりこみ みたいなことをすることも不可能だった。

加えて わたしはガラケーユーザー だ。
高等種族であるところのスマホユーザーのみなさんとは
いろいろ事情が異なる、という点も申し添えたい。


さて
さすがにいまは パソコンを所有しているため
音声データを聴取する、そして持ち運ぶ手段の
選択肢は拡大している。可能性という意味では。

しかし
ここにきて今度は
「そこまでして音楽 外で聴きたいか」案件が発生。
音楽の聴き方が違う。 
音楽もラジオも職場で仕事をしながら聴ければそれでよい。
そもそも最初に言ったが、
都会では耳がふさがった状態で外をふらふらしていると危ない。
わたしのようなぼんくらはとくに危険だ。
目も耳も両手もあけていても 何か起こる。

それに、
外出時に必携の趣味嗜好品のたぐいがあるとすれば、
それは音楽ではなく、
わたしの場合は書物だったりする。

よって
デジタルフォーマットベースの携帯型音楽再生機
当面必要なし
と、こうなっていた。

しかし このたび 必要にせまられた。
MP3形式に変換して、携行できなくちゃまずい。
外を歩きながら聴くかどうかは別にしても
持ち運べなくてはならない。
ついでにPCM録音が必要だ。
携帯型再生機、もっといえば
録音機能搭載の携帯型再生機がないとまずいと
このようになった。
しかも可及的すみやかに必要だ。
オンラインショップをさがしまわり
トランセンド社から3500円ぽっちで
かわいらしいMP3プレイヤーが出ているのを発見。
このくらいなら
もう必要ないと、もしいつかなったとしても
惜しくはないであろうし
ネットでいろいろ調べたところ
数年前の型にしては
いまでもずいぶんユーザーに人気があり 買われ続けていて
評価も上々
自分が必要としてる機能はすべて搭載されており
申し分がなさそう
トランセンドといえば
以前働いていたことがある商社の大口の取引先でもあり
ドイツと中国の担当者はたいへんに親切で 話のわかる 
よいかただった。
わるいイメージ、まったくなし。
決定。
ということであさって 商品が届く。 
なかなか楽しみだ。

だがカセットプレイヤーも やはり使用し続けたい。
CDよりもむしろカセットテープ。
わたしはカセットテープで聴く音楽はすばらしいと思っているのだが。
すばらしいと確信してるのだが。
音がややスモーキーであたたかい。
カセットテープに慣れた耳だと
デジタル音源は薄い紙で指を切ってしまうときのような
ああいう危険な感触があり、なにか、痛い。
そのような感覚はおかしいのだろうか。
手持ちのCDの音楽をもういちどぜんぶ
カセットテープにふきこんでみるかなあ。
カセットテープそれ自体は TDKなどがまだまだ
出しているようだし。


それにしても 調べてみて初めて知ったが
MP3オーディオプレイヤーの
機能と価格帯の「幅」感があまりにもすさまじい。
ソニーウォークマンのハイエンドモデル WM1シリーズ
ハイレゾ対応  音声バランス出力 ±20段階のイコライザ
PDM出力から変換することなくDSDネイティブ再生
(どうやってそんなこと可能にしたのかわたしにはわからない)
最安でも25万円也。
わたしのトランセンドくんは3500円なのだが。
こだわるかたは とことんまでこだわるようだ。
(ただ WM1の筐体のデザインは ぜんぜんかっこよくなかった・・)

 

 



心理をやることはとりもなおさず自分を救おうとすること

どんなに心が傷ついても
心の傷そのものでは 命まではとられない。
負った傷の処理のしかたしだいでは
力をうしない 取り戻すこともできなくなり
その結果 死を選びたくなる、というようなことも 
あるんだろうが。

わたしはやはりいまは 死ぬことはない。
今回も。
でも傷つく。
死ねないのに傷つく。
死んだ方がましというほど苦しむが死ねない。
それはそれでしんどいものだ。

わたしがこれから心理を やろうとしているのは
困っている心 惑う心 弱った心を救いたいからとか 
人の心について知りたいからとか
そんなことでは断じてない。

自分自身を救いたい。
救う方法がみつかるならとおもうから、
やろうとしているだけのことだ。
哲学でも宗教でもなんでもいいと おもってたが。

わたしは生きたいのだとおもう。

死んでしまいたいとまでおもうのも
そんな気持ちにこうも何度も何度もさいなまれるのも
そのくらいつらい心境へと自分自身を追い込むことで
生きている実感をえようとしている といえば
いえるだろう。
自傷行為をくりかえしてしまう人と
根っこの部分はにたようなものだ
実際的な行為にけっして走れないだけ
甘ちゃんなのであり
そうした意味でさえ わたしはほんとに
とるにたりない 人間なのだ。

それに
被害者ぶってはいけない。
今回これほどまでに まいらされたことの原因は、
原因はわたし自身にある。
原因を今後にむけて とりのぞくことができれば
結果もかわってくるはずだ。

わたし自身以外のところにある原因については・・・
確認したいとすら いまは思えず
それではほんとうの解決にならないことは
わかるのだが・・。

でもいずれにしても前を向かなくちゃいけない。
生きていかないといけない。
道はまだのこされている。
まだぜんぶをうしなってはいない。
まだ使えるものがある。まだ削れる余地がある。
わたしが自分で 道をこうして作っておいたのだから。
これまでは こういうとき まだ子どもだったから
まわりにだれか みてくれている人がいたような
かんじがしていられたのが、
今回はたったひとりだけれど
それはたしかに なにかちょっと不安だけれど
自信もまるでないけれど
しかし この道をいかなければ
先はない という確信だけはある。
まだわたしは やっておかないと後悔する段階にある。

惰性に流れるのがいちばんまずい。

まず むこう半年。
来年の春まででいい。
とりあえず来年の春まで。
そのあと冬まで。
そのあとできれば
むこう3年半ないし4年。
それがおわったときに、まだ
死んだほうがましだとおもうくらい
わたしが 今とおなじことで苦しんでいたら
そのときまた どうするか考えればいい。

そのときになったら 
実際に死を選んでも
べつにだれにも責められないだろう。
自分自身、
やるだけやったとおもって いけるとおもう。



膠着状態/西岡常一氏の本/映画の感想-『鬼に訊け』-170922。

ありがたい。
どこのどなたが 
こんなにたくさん 
読みにきてくださっているのか。
びっくりだ。
ユニークユーザーカウントなのか
その対義語
(なんだかわかんないんですが)に当たる
カウントなのか 
わかりませんけど
どちらにせよ 
どなたであるにせよ
ご自分の人生の貴重な時間を 
ほんのいっときでも
このブログのために割いてくださり 
ありがとうございます。

・・・

 

先日書いたとおり 
事故きっかけで発声に問題をかかえ
治療をうけている。
小声なりに がんばれば1日中 
話したいときに話すことは
できるようになったので
通院は週1回から2週に1回になった。
訓練士さんと
すっかり仲良くなったので
会って話せる回数が減って
ちょっと残念だ。

しかし いうなれば
膠着状態だ。
がんばれば1日中 
弱よわしい声でも自由に話せる、
のではあるが
話しているとちゅうで 
突然ぶつっと 
発声が断絶することも。
コンセントを引っこ抜かれるように。
自分の身に起こっていることながら
なんなのかよくわからない。

ただ、よく観察すると、
そうなる直前にいつも、
「途切れるかもしれないな」
「調子が悪くなってきた気がする」
などと なにかしら 
つまんないことが
ふっと頭をよぎるか、
その よぎったのを 
捕まえてさらに、
あれこれと思考を拡げてしまってるのを
自覚している。
息の吸い方とかなんとか。

いつも考えずにやっていることを
考えてしまうと負けのようだな。

考えなくてもやれていたことが
できなくなってしまうと、
なぜそれまでできていたのかが 
わからないだけに、
どうやって元に戻せばいいのかも 
わからず、
右往左往することになる。

舞台で楽器を演奏してる最中に
心の持って行きかたを
一番ヤバく間違えると 
こういうかんじになるものだ。
「あー、間違える。間違える。」
「あと4小節で苦手なところがくる」
「指が転びそうだ」
「低音重視のリードにしたから
高音がぶらさがるだろう」
そんなことをちょっとでも思うと
図ったように 
そのままの ヘマをする。
何百回となく あったことだ。

いろいろつまんないこと考えているのに
不思議なほど問題なく演奏できるのは
すなわち十全に練習し、
楽器もリードも体調も
イスの高さも完璧に感じ
それだからこそ心のバランスも
とれているのを感じるときだ。
やや興奮してはいるが 
まわりの音がちゃんときこえていて
「あ、3rdホルンがやや高い。
あとでSoliがある。
こちらのピッチは問題ない。
ズレをカモフラージュするために
どのくらいの波形・波高の
ビブラートをかけるべきか」
とか 正確に判断できてしまう。
だが そんなことはまれだ。
綱渡りだ。

いやいや
楽器のことはどうでもよかった。

あれと
同じようなことなのかなあ。
考えすぎてヘマをする。
声でそこまでのことになるのは
困ったものだ。
声は生活用品だから。

正直に言うと
声を出して話すことが
かなり怖い。
「考えが頭に浮かぶ」
「それを言葉にする」
「声にのせる」
「人につたえる」
という一連の接続が
ふらふらしている。
「声にのせる」のところで
ぽっきり折れて
崩れ落ちそうだ。
声にのせる、じゃなく
「パソコンで入力する/紙に書く」
なら 問題ない。
ただ声を出すのが
ちょっと怖い。

考えすぎだ。
こんなに考えてるのは 
妙だ、とわかるのだが。
でも際限なく考えてしまって 
ときどき参る。
いったいなにをやっているんだ。
なんかこれ
心因性失声症」ってのの枠から
はずれてない(^^)?
うまくいえないんだけど
なぜだかわかんないけど
単純にあのときから声がでない!
みたいなのじゃないの。
声を出すのが怖いと 
これほど悩むのも症状のうちなの?
それって心の病系のことに
なってくるのではないの?
単にわたしの 
思考がつっぱしりやすい性格が
長期戦に耐えかねて 
出てしまってるだけ、
ってことならいいのだが。
ああ、またいつものやつか。
とおもえるので。
もうあとちょっと。
というかんじもするんだがな。
また病院に行ったときに
訓練士さんと
カウンセラーさんに話そう。
それしかない。

・・・



西岡常一氏(宮大工)の
著書がおもしろい。
なんで読もうとおもったか 
わすれたけど。

・「宮大工棟梁・西岡常一『口伝』の重み 」
 (日経ビジネス人文庫

『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』に河合隼雄の対談が収録されています


河合隼雄氏との対談が
載っているのがなにしろ熱い。
好きだとおもうものって 
やっぱりつながってるよね。
必ずどこかで。



・小川三夫、塩野米松共著
「木のいのち木のこころ―天・地・人 」
新潮文庫

www.shinchosha.co.jp


・・・西岡氏はすくなくとも
3代つづいた法隆寺棟梁一家の生まれで
本書ではその法隆寺時代のエピソードが
おもに紹介される。
木への尊崇と 仏さまへの素朴な信仰とが
感じられてとてもいい本だったとおもう。
お弟子さんへのインタビューも深い。
内容をわたしが紹介するよりも
実際に読んだほうがよい。



・青山茂共著「斑鳩の匠 宮大工三代」
平凡社ライブラリー

www.heibonsha.co.jp


・・・毎日新聞の美術部門の記者、
青山茂という人との
対談形式で構成されている。
この青山という人、
文化財や古代建築に詳しいみたいで
西岡氏が彼を信頼し 
安心して話しているのがわかる。
法隆寺の改修工事の大幅な設計変更や 
図面を書くにあたって行った
数年にもわたる調査などについて
これ以上はないというくらい 
きめこまかく解説されていて 
門外漢でも興味深い。




・宮上茂隆共著「法隆寺 世界最古の木造建築」
草思社

honto.jp


・・・挿絵がすばらしい。
一見の価値あり。
西岡氏が復活させた工具
「槍鉋(やりがんな)」
の解説もわかりやすい。


・寺岡房雄共著「蘇る薬師寺西塔」
草思社

蘇る薬師寺西塔 / 西岡常一/寺岡房雄 - 紀伊國屋書店ウェブストア

・・・法隆寺を辞して
薬師寺再建工事の棟梁に
就任してからの話。
300点もの写真とともに、
西塔再建の経緯と工程を解説している。
読み飛ばしていいところが1行もない、
と感じるくらい含蓄ある内容。
徒弟制度についても考えさせられる。
この制度も、人間が考えることなので
いろいろ欠陥や問題はそりゃあろうが、
技術を伝えていくためには
理にかなった制度であるんだろう。
36年も前の本なので
もうなかなか買えない。
図書館の書庫からだしてもらって読んだ。



・あと『鬼に訊け』という
ドキュメンタリー映画も観た。

『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』
山崎佑次監督、2012年、日本
f:id:york8188:20170922015715j:plain

www.youtube.com


生前の西岡氏が
インタビューにこたえて
だいたいこのようなことを。
薬師寺の再建工事のときに 
建築学者の人たちにどうしても 
木組み全体に鉄骨補強を組み入れろ、
といわれたんだけど 
鉄骨がかえって木組みを弱らせ、
長くもたなくなるから、
鍛造した鉄ならいいが、
そうじゃないならダメ、と突っぱねた。
すると
『鉄骨入れないなら工事を辞めろ』
とうるさいので、
やむなくボルトだけ鉄製のやつをね(いれといた)。 
建築学者どもは(再建工事中も)
1か月に1回しかこないので。
『ちゃんと鉄骨入れとるか』
って裏をのぞいたりしないので。」

笑ってふりかえっていたが 壮絶(^^)

似たようなことが 
やはり薬師寺の 別の工事のときに
こんどはコンクリートコアを
入れるかどうか、というので。
こちらはどうしようもなくて結局 
コンクリートを入れたというが
氏の読みでは 
鉄骨やコンクリートで補強した以上 
再建した薬師寺は200年 もたない。 
200年後に 
また工事をしなくてはならないだろう、
とのこと。
完全木造建築を旨とする宮大工である 
あの西岡常一
コンクリートの工事をすることを受け入れた、
これは当然のことながら 
同業者にも後進にもよく思われなかった。
しかし、西岡氏は
コンクリを入れなくてはならなかった
事情をその人たちに説明することよりも
胸をはって現場に立ち、
仕事をすることで
態度を示していったという。

また、薬師寺再建のための木材が
もはや国内では
入手できなかったため
台湾から輸入したそうだが
現地で木を検分する際に氏が語る
「木材を買うときは山そのものを買う」
「土地の空気・湿度・風向き、
方角・土質などで 木のくせがかわる。
木のくせにあわせて木材を組む」
という話が 
簡潔にして真髄をついており 
何度もくりかえして聞いた。

20年以上にわたって 
彼を追ったドキュメンタリーのため
氏自身もそうだが 
彼のお弟子さんも 年を経るごとに
面変わりしていくのが 
はっきりとわかる。
終盤では お弟子さんが
すごいりっぱになってた。
色が白くてヒョロヒョロだったのに。

「リーダーズハイ」とかあるの(^^)?

ちょっと新規事業に
片手?片足くらいつっこむことに決めており
それが始動する10月が
はやくこないかなー、と
いまや 待ち遠しくてしかたがない。

来月に備えて
事前に目を通すことが可能な本については
すすめられたもの、
自分でこれかなーとかおもって適当に買ってみたもの、
図書館の書棚の はじからはじまで著者名順に
かりまくっているもの、
すでに着手しており そして あと2週間くらい?で
とりあえず一巡する。

本を読むことがこんなにおもしろいとおもったこと
これまでなかった。
とか言うと
わたしをよく知る人たちはきっと
「は????????!!!!!!!」
っていうリアクションをするだろう。

わたし自身もこんなふうに 自分が感じてることに驚いてるが
しかし おもしろいもんは おもしろい。

本を読むのがおもしろい(^^)!!
なに このきもち(^^)!!

いままで 「おもしろいから」という理由では
本を読んでなかった。
あらためて考えたことさえない。
おもしろいからという理由で友だちとつきあってないのと
だいたいおなじような意味で。
しいていうなら
読んであたりまえで 生活の一部だから 読んできた。
それか 仕事で必要だから 読んできた。

内容がおもしろいおもしろくないは 個別にもちろんある。
でもいま 言っているのは
読書それ自体がおもしろいかどうかの話で、
とにかく 
すごく新鮮に、すごくゆかいなきもちだ。

わからなければ何回でもおなじところを読み返せばいい。
1ページ読むのに5時間とか かかることもあっていい。
そんなことはだれにもなにもいわれない。
速く読むこと、大づかみにしてつめこむことが
仕事ではとにかく要求されるため
本の読みかたが(もともとザツなうえに)すごくザツに
なってしまってたみたいだが
今は 心からおもしろがってて
だから逆に 平時のさらに1.5倍速くらいで
すいすいいける。
わからないことがわかるのがたのしい。
知らないことを知れるのもたのしい。
内容を理解するまでの道のりがたのしい。
活字を追うこと。
わかんない単語を辞書でしらべること。
それらが頭にしみとおってくるのを感じること。
たのしくてしょうがない。
いくらでもいける。
しょせんベースが自分では 
それがどこまで実効につながるかでいえば
たかがしれてるのかもしれないが
こんなおもしろい思いができるとわかっただけで
しかも読書なんて 自分にとってあたりまえの行為に
新しい発見があったというだけで
もう ねがいの3分の1くらいはかなったようなもの、
えらい収穫 っていうかんじがする。

わたしはいま 本を読むとき 
確実に顔がニヤニヤしている。

ほんとうはもっと
いろんなことやってみたい・・・
でも 周囲は 最初はとりあえずやめとけ、
慎重にいけ、自重せよと 
異口同音にわたしに言う。
人さまのアドバイスが耳にはいってくるうちは
ちゃんと聞いといたほうがいい、というの
もちろん 
経験上 骨身にしみている。

体力的なことも考えにいれておかなくちゃいけない。
いまはさいわい めずらしいほど平穏無事だが
たとえば 秋が深まりもっと寒くなってきたらどうか。
そんなにめちゃくちゃ丈夫な人間てわけではないことを
ちょっと調子にのると すぐ わすれる。

だいじなのは 自重の精神だ。
最初はそれでいこう。
いちおうわかっている。