BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

興味がないことでもやらなくちゃいけないときどうするかについて(あるいは読まないと書けない)-171003。

個人的にぜんぜん関心のない
分野についての 本の製作に
たずさわらなくちゃいけないことも 
もちろんある。

たとえばわたしは
韓流スターとかアイドル、
芸能界情報に関心がない。
でも、
K-POPアイドルが兵役を終え
ふたりそろっての活動を再開すれば
彼らのファンブックを
手がけることもありえるし
某韓国HIP-HOPグループや
某坂の名前がつく超絶かわいい
ガールズアイドルグループの
ファンブックとかを作る可能性も
もちろんある。
関心がなくても、その場合
メンバーの顔と名前と
プロフィールと人物像
グループの活動履歴くらいは
おぼえる必要が生じる。
アルバム、シングル、ライブDVD
すべて聴き 目をとおし
彼らについてのなんらかの思いを
自分が持たないことには
どうしようもない。
関心があるとかないとか関係ない。

こうした勉強は
仕事以前のもんだいで、
仕事を始める前には終えていなくちゃならない。

そこへきて わるいことに
芸能界だけじゃなく 
わたしはけっこういろんなことに
関心がない。
現状に満足しがちで 
関心の幅がひろがりにくい性格だ。
好奇心 探究心があまり強くない。
ついでに
好きなもののことをむしろ
「あまり詳しく知りたくない」という
おかしな考えの持ち主でもある。
関心がないことは知らないし
関心があってもけっきょく知らないという
二重苦状態なのだ。

ちょっとずれたところでは
某 ブロックを積み上げて
家を作ったり街を作ったり
冒険したりできる
3Dのゲームの
ガイドブック作ったときは 
これもこれで
すごくまいった。
ゲームを実際にプレイして、 
作業画面をキャプチャする
必要があったためだ。

そもそも自分が
テレビゲームのコントローラを
握ったこともない
ゲームオンチであるところへ
もってきて、さらに
「3D酔い」する体質が発覚。
わたしも大変だが
プロジェクトのリーダーは 
このわたしというお荷物メンバーを
かかえて弱りきったにちがいない。

このゲーム本の制作中は
毎日 4時間に1回くらい
嘔吐したり寝込んだりしながら
作業にのぞんだものだ。
このゲーム、息が長く、人気がある。
これからも 同じような本を
手がけることになる可能性は高かった。
だから、
すこしでも次はらくにできるようにと
自主的に無料の3Dモデリングソフトを導入して
ひまさえあれば(ひまとかないけど)
そいつで粘土的なものをこねくりまわし
なにかを作る、ということに
取り組むようになった。荒療治だ。
(このソフトは今年の春くらいに
サービスを終了しちゃったんだけど 
日本語版もあるし なんといっても
ユーザーインターフェース
シンプルかつ親切設計で
素人にもわかりやすかった。
発見できて幸運だった。
業界では有名なソフトらしく、
使いかたを詳しく解説している
日本語のブログやサイトも
たくさんあり、すごく参考になった。)

まあ、3D酔いはびた一文 
治ってないが・・。
マウスのムダな動きが
酔いを誘発してる、と
職場の人に指摘されたので
もっとスマートにちいさく
マウスを動かすことを心がけ
キーボードショートカットを
覚えまくることで
「くらっ」とくる瞬間は
多少減らせたかとおもう。
また、
当該ゲームをひまさえあれば
(ひまとかないけど)プレイして
たとえば自宅のミニチュア版を
作ってみたりして
自主トレーニングしている。

※でも、最初にこのゲームの本を作ったとき
ゲーゲー吐きながら仕事してたもんで
こいつは戦力にならんとみなされたらしく
プレイ画面をキャプチャする必要があるような
ページは 次回以降
ほとんど任されなくなっちゃった 
イヤ正直助かるけど(涙)


そんなこんなで
仕事のときに 
仕事以前のところで
越えなくちゃならない壁が
いつも、いくつもある。
それがわたしだ。
うちの職場のほかの人だって、
本を作るにあたって、
その題材に関する
知識が不足していれば、
事前の勉強は欠かさないはずだが、
ここまで なにかあるたびに
いちいちつまずいている人材は
めずらしいように思える。
それだけわたしは
ものを知らないし、
好奇心とか探求心がほんとうに
乏しいということなのだ。

だが、そうもいってられない。
本を作らなきゃいけないからだ。

だれしも程度の差こそあれ 
やらなくちゃいけない。
でもやるためにいろいろ足りてない。
なぜならその分野の門外漢だから、
関心がないから、知らないから
ということは あるはずだ。
仕事は教育じゃない。
職場は学校ではない。
自分の現時点での習熟度や
レベルにぴったりの仕事がくる、
なんてことはありえない。
つまり、
仕事にあわせて
自分のレベルを上げるしかない。
その仕事を、したければの話だが。

さて、
話がだいぶツイストしちゃったが
もとにもどす。
ぜんぜん関心がない分野についての
本を作ることになったときの話をしたい。

本を作るとき、大前提として
その分野について知っている必要がある。

そのために、本を読むことが求められる。

すくなくとも 
わが職場では 方針として、
まず仕事にとりかかるまえに
最低でも35~50作冊ぶんは
関連資料や図書を読むよう 
きつく申し渡されてる。
作業に入る前にそれらの本を
電子書籍の形式がおおい)
どっさりわたされ、
読了を要求される。
基本的な知識をしっかりと
(本を作る期間が過ぎれば忘れてしまう、
一時的な記憶にすぎないことがおおいが)
頭にたたきこんだうえで 作業に入る。
何ページのだいたい何行目に
こんなこと書いてあったとか
あのページの右下のところに
こんな写真があったかもとか
頭にたたきこんでおくと
いざ作業をするときに便利だから
それももちろん たたきこむ。

必須事項として、要求されることだ。
関心がないとか 理解できないとか
そういうもんだいではない。
わたし、最初は 
そんなことできるわけがないと
おもってた。
本を読むのが遅く 
400ページの文庫本を1冊読むのに
4日とかかかっていたからだ。
それが、
できなくてもなんでも 
必死でトライしたところ
約1年半で ふつうに可能になった。
半年か9ヶ月だったかも。
途中で病気になり
パフォーマンスが暴落したことがあったが
その機能低下期間を計算にいれたら
まちがいなく約1年半。
人間の能力はスゴイものなのだ。
ここまでになるまで 
そりゃわたしもしんどかったが
仕事が遅いわたしをフォローする
職場の人たちも
さぞかししんどかったろう。
だが乗り越えた。
人間、追い詰められると
なにをやらかすか
わかったもんじゃない。

大量の本を短期間で読む、
これはわたしの仕事では
だいじなことだ。
「ほんとにそんなこと
しなくちゃいけないの? 
必要な情報なんて、その都度
ネットで調べればいいじゃん」
そう お思いになるかたも
いらっしゃることだろう。
だが、ちがう!!!
じっさいに、
本を読んでおかないと、
本を作ることはできないのだ。
というか書くことができないのだ。
やってみれば絶対にすぐわかる。

頭になにも入れてないと 
ふしぎなことだが、文が書けない。
これはほんとにふしぎなのだが、
頭のなかになにか入ってないと
1文字も書けない。
入れておくものは、
当該分野と無関係のものでも
なんでもいい。
だがいっぱい詰め込んどかないとだめ。
しかも、すぐに枯渇する。
頭のなかのものを
ものすごい勢いで
消費しながら書くのだ。
なにも入ってないか、
入れてる量が減ってくると
すぐに、書けなくなる。
だから絶えず
なにか入れてないと、
なにかを思ってないと、
考えてないとだめだ。

そういうものなんだと
この仕事に就いて、はじめて認識した。
だからその意味でも、
読んでなくちゃいけないのだ。

同業者のかたがたが
みんなこんなこと・・・
つまり1冊作るのに35~50冊
関連図書読破、を
やっているのかは知らない。
でも、似たようなことを
やってるんじゃないかなとおもう。

頭になにも入ってないと
どっちみち書けないんだから。
それは みんなおなじはずなのだ。

ただよくかんがえると
わたしの職場の人たちが この 
仕事ひとつにつき
35〜50の参考資料読破 を
どのていどまで真剣にとらえて
ちゃんとやっているか は
わからない。
わたし自身は 真に受けて
きちんとやっている。
職場の人たちはみんな
要領よく手をぬいてるかもしれない。
すでに知っていることを
改めて詰め込む必要はないんだし、
ふだんからいろいろなことに
興味関心をひろげ
いわれなくても読んでる人は
急に読む量を増やすこともない。
ちょっとはらくなはずだ。
職場の人はみんな
本を読むスピードがとても速い。
頭の構造が違うってかんじだ。

かくして
最低限 われわれは
いつも本を読んでる。
マンガだって際限なく読む。
本だけじゃない。
音楽 映画
アニメーション 写真
きれいな絵とか 景色
あと、人とのコミュニケーション
体を動かすこともいいだろう。
なんでもやって、
頭にどんどん入れていって
いろんなことを 
いつも思っている。
そういうもんなのだ。

※これはオプションだが、
本を1冊作るために 
こうやっていっぱい
その分野の関連図書を
読み漁っておくと、
仕事とはまた別に、いいことがある。
すなわちその分野について
けっこう知識が身につく。
本を作り終えたら
細かいことは忘れてしまうが
基本的なことや外枠などは残る。
何度も同じような分野の本を作ると、
もっと深く濃く覚えられる。
これはむだにはならない。
たとえば 初めて会う人とでも
その人がどんなご職業の
どんなことをやっている人でも
会話がけっこうもつ。
話がはずみ、友だちが作りやすい。
人と仲良くなりたければ、本を作れ。
ということだ(^^)

だがしかし、
知っておかなくちゃいけない。
関心がないとか、
自分にはどうせわかんないだろう
などとおもいこんだ状態で 
こういう
事前準備(本読み)をして
必要な効果をえるのは
不可能にちかい。
いくら読んでも頭にはいってこない。 
同じところを何度も読んでても
気づかないくらい上の空だし
すぐ眠くなっちゃうし 
なんとか全部読んでも 
なーんにも覚えちゃいない。
時間がかかるばっかりで 
なんの成果もないことになる。

「自分にはできない」と考えることほど
作業の非効率化に効果的なことはない。
一瞬でも「できない」などと考えれば
頭に「できない」というタガがはまり
脳みその働きが70パーセントオフくらい
鈍化してしまう。

仕事で
なんとしても必要なことを
やろうというときに
そんなくだらない泥沼に
はまっている場合じゃない。 

だいたい
本読みに純粋に使える時間は
多くて4日、
実働で18時間とか20時間とか
あっても そんなものだ。
ほとんどの場合 もっと短いし、こまぎれ。
それだけのために
時間を使えることなんて
めったになく、
いつも別の仕事と同時進行、
よゆうがないなかでやっている。
体調がいいともかぎらない。
頭が痛かったり疲れてたり
人間なんだから 
コンディションてものがある。

条件が完璧にそろった状況で
本が読めるなんてことは ない。
それで35冊~50冊を
平気で読まなくちゃいけない。
1冊の文字数ページ数にもよるが 
すごく難しいことだ。
ほとんどの人は 
冗談でしょ、というだろう。
でもほんとだ。
難しくてもやっている。
いつも戦ってる。

だから、せめて、
この作業を完遂するのに
必要なことがある。
「関心がない」という、
考えを自分のなかから追い出すのだ。
虚心で読むように努める。
虚心どころか むしろ真逆。
いままではなにも知らなかったけど
ぜったいに好きになるはずだ、
興味がわくはずだと
一種の自己暗示をかけてから 
本読みにかかる。
自己暗示なんていうと
難しいかんじがするが、
わたしの場合はごく単純だ。

単純に 声に出して言ってから
資料読みと研究に入る。
すなわち
「ぜったいに好きになる。興味がわく。」
声に出してそう唱えるのだ。
魔法(暗示)が解け始めたことを感じたら
つど 呪文を唱え直す。
こうしてから作業をすると、
かなりちがう。
ウソみたいだがほんとの話だ。
そんなことでいい。

ほかにも人によって
いろいろ最適な方法があるだろう。
さがしてみればいい。

興味がなくても関心がなくても
仕事はくる。
あきらめてはいけない。
その仕事をしたいとおもうかぎりは。
できないと考えることを
自分に許すのをまずやめることだ。
そして「できる」と思い込む。
自作自演上等だ。
それでだいぶちがう。


今回の仕事ものりきった。
つらかった(涙)
やはり 関心がないと
おもしろいように
仕事のスピードが落ちる。
自己暗示にも限界があるもんだ。
知ってるよそんなこと!
職場専属の催眠術師さんとか
いてくれたらな。