BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

膠着状態/西岡常一氏の本/映画の感想-『鬼に訊け』-170922。

ありがたい。
どこのどなたが 
こんなにたくさん 
読みにきてくださっているのか。
びっくりだ。
ユニークユーザーカウントなのか
その対義語
(なんだかわかんないんですが)に当たる
カウントなのか 
わかりませんけど
どちらにせよ 
どなたであるにせよ
ご自分の人生の貴重な時間を 
ほんのいっときでも
このブログのために割いてくださり 
ありがとうございます。

・・・

 

先日書いたとおり 
事故きっかけで発声に問題をかかえ
治療をうけている。
小声なりに がんばれば1日中 
話したいときに話すことは
できるようになったので
通院は週1回から2週に1回になった。
訓練士さんと
すっかり仲良くなったので
会って話せる回数が減って
ちょっと残念だ。

しかし いうなれば
膠着状態だ。
がんばれば1日中 
弱よわしい声でも自由に話せる、
のではあるが
話しているとちゅうで 
突然ぶつっと 
発声が断絶することも。
コンセントを引っこ抜かれるように。
自分の身に起こっていることながら
なんなのかよくわからない。

ただ、よく観察すると、
そうなる直前にいつも、
「途切れるかもしれないな」
「調子が悪くなってきた気がする」
などと なにかしら 
つまんないことが
ふっと頭をよぎるか、
その よぎったのを 
捕まえてさらに、
あれこれと思考を拡げてしまってるのを
自覚している。
息の吸い方とかなんとか。

いつも考えずにやっていることを
考えてしまうと負けのようだな。

考えなくてもやれていたことが
できなくなってしまうと、
なぜそれまでできていたのかが 
わからないだけに、
どうやって元に戻せばいいのかも 
わからず、
右往左往することになる。

舞台で楽器を演奏してる最中に
心の持って行きかたを
一番ヤバく間違えると 
こういうかんじになるものだ。
「あー、間違える。間違える。」
「あと4小節で苦手なところがくる」
「指が転びそうだ」
「低音重視のリードにしたから
高音がぶらさがるだろう」
そんなことをちょっとでも思うと
図ったように 
そのままの ヘマをする。
何百回となく あったことだ。

いろいろつまんないこと考えているのに
不思議なほど問題なく演奏できるのは
すなわち十全に練習し、
楽器もリードも体調も
イスの高さも完璧に感じ
それだからこそ心のバランスも
とれているのを感じるときだ。
やや興奮してはいるが 
まわりの音がちゃんときこえていて
「あ、3rdホルンがやや高い。
あとでSoliがある。
こちらのピッチは問題ない。
ズレをカモフラージュするために
どのくらいの波形・波高の
ビブラートをかけるべきか」
とか 正確に判断できてしまう。
だが そんなことはまれだ。
綱渡りだ。

いやいや
楽器のことはどうでもよかった。

あれと
同じようなことなのかなあ。
考えすぎてヘマをする。
声でそこまでのことになるのは
困ったものだ。
声は生活用品だから。

正直に言うと
声を出して話すことが
かなり怖い。
「考えが頭に浮かぶ」
「それを言葉にする」
「声にのせる」
「人につたえる」
という一連の接続が
ふらふらしている。
「声にのせる」のところで
ぽっきり折れて
崩れ落ちそうだ。
声にのせる、じゃなく
「パソコンで入力する/紙に書く」
なら 問題ない。
ただ声を出すのが
ちょっと怖い。

考えすぎだ。
こんなに考えてるのは 
妙だ、とわかるのだが。
でも際限なく考えてしまって 
ときどき参る。
いったいなにをやっているんだ。
なんかこれ
心因性失声症」ってのの枠から
はずれてない(^^)?
うまくいえないんだけど
なぜだかわかんないけど
単純にあのときから声がでない!
みたいなのじゃないの。
声を出すのが怖いと 
これほど悩むのも症状のうちなの?
それって心の病系のことに
なってくるのではないの?
単にわたしの 
思考がつっぱしりやすい性格が
長期戦に耐えかねて 
出てしまってるだけ、
ってことならいいのだが。
ああ、またいつものやつか。
とおもえるので。
もうあとちょっと。
というかんじもするんだがな。
また病院に行ったときに
訓練士さんと
カウンセラーさんに話そう。
それしかない。

・・・



西岡常一氏(宮大工)の
著書がおもしろい。
なんで読もうとおもったか 
わすれたけど。

・「宮大工棟梁・西岡常一『口伝』の重み 」
 (日経ビジネス人文庫

『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』に河合隼雄の対談が収録されています


河合隼雄氏との対談が
載っているのがなにしろ熱い。
好きだとおもうものって 
やっぱりつながってるよね。
必ずどこかで。



・小川三夫、塩野米松共著
「木のいのち木のこころ―天・地・人 」
新潮文庫

www.shinchosha.co.jp


・・・西岡氏はすくなくとも
3代つづいた法隆寺棟梁一家の生まれで
本書ではその法隆寺時代のエピソードが
おもに紹介される。
木への尊崇と 仏さまへの素朴な信仰とが
感じられてとてもいい本だったとおもう。
お弟子さんへのインタビューも深い。
内容をわたしが紹介するよりも
実際に読んだほうがよい。



・青山茂共著「斑鳩の匠 宮大工三代」
平凡社ライブラリー

www.heibonsha.co.jp


・・・毎日新聞の美術部門の記者、
青山茂という人との
対談形式で構成されている。
この青山という人、
文化財や古代建築に詳しいみたいで
西岡氏が彼を信頼し 
安心して話しているのがわかる。
法隆寺の改修工事の大幅な設計変更や 
図面を書くにあたって行った
数年にもわたる調査などについて
これ以上はないというくらい 
きめこまかく解説されていて 
門外漢でも興味深い。




・宮上茂隆共著「法隆寺 世界最古の木造建築」
草思社

honto.jp


・・・挿絵がすばらしい。
一見の価値あり。
西岡氏が復活させた工具
「槍鉋(やりがんな)」
の解説もわかりやすい。


・寺岡房雄共著「蘇る薬師寺西塔」
草思社

蘇る薬師寺西塔 / 西岡常一/寺岡房雄 - 紀伊國屋書店ウェブストア

・・・法隆寺を辞して
薬師寺再建工事の棟梁に
就任してからの話。
300点もの写真とともに、
西塔再建の経緯と工程を解説している。
読み飛ばしていいところが1行もない、
と感じるくらい含蓄ある内容。
徒弟制度についても考えさせられる。
この制度も、人間が考えることなので
いろいろ欠陥や問題はそりゃあろうが、
技術を伝えていくためには
理にかなった制度であるんだろう。
36年も前の本なので
もうなかなか買えない。
図書館の書庫からだしてもらって読んだ。



・あと『鬼に訊け』という
ドキュメンタリー映画も観た。

『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』
山崎佑次監督、2012年、日本
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www.youtube.com


生前の西岡氏が
インタビューにこたえて
だいたいこのようなことを。
薬師寺の再建工事のときに 
建築学者の人たちにどうしても 
木組み全体に鉄骨補強を組み入れろ、
といわれたんだけど 
鉄骨がかえって木組みを弱らせ、
長くもたなくなるから、
鍛造した鉄ならいいが、
そうじゃないならダメ、と突っぱねた。
すると
『鉄骨入れないなら工事を辞めろ』
とうるさいので、
やむなくボルトだけ鉄製のやつをね(いれといた)。 
建築学者どもは(再建工事中も)
1か月に1回しかこないので。
『ちゃんと鉄骨入れとるか』
って裏をのぞいたりしないので。」

笑ってふりかえっていたが 壮絶(^^)

似たようなことが 
やはり薬師寺の 別の工事のときに
こんどはコンクリートコアを
入れるかどうか、というので。
こちらはどうしようもなくて結局 
コンクリートを入れたというが
氏の読みでは 
鉄骨やコンクリートで補強した以上 
再建した薬師寺は200年 もたない。 
200年後に 
また工事をしなくてはならないだろう、
とのこと。
完全木造建築を旨とする宮大工である 
あの西岡常一
コンクリートの工事をすることを受け入れた、
これは当然のことながら 
同業者にも後進にもよく思われなかった。
しかし、西岡氏は
コンクリを入れなくてはならなかった
事情をその人たちに説明することよりも
胸をはって現場に立ち、
仕事をすることで
態度を示していったという。

また、薬師寺再建のための木材が
もはや国内では
入手できなかったため
台湾から輸入したそうだが
現地で木を検分する際に氏が語る
「木材を買うときは山そのものを買う」
「土地の空気・湿度・風向き、
方角・土質などで 木のくせがかわる。
木のくせにあわせて木材を組む」
という話が 
簡潔にして真髄をついており 
何度もくりかえして聞いた。

20年以上にわたって 
彼を追ったドキュメンタリーのため
氏自身もそうだが 
彼のお弟子さんも 年を経るごとに
面変わりしていくのが 
はっきりとわかる。
終盤では お弟子さんが
すごいりっぱになってた。
色が白くてヒョロヒョロだったのに。