BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

部屋としらすとわたし/ドリフターズ/子どものための美しい国-180701。

ふと自室をぐるりと見渡し
「本がいっぱいあるなあ」と、改めて。
毎日のことだから慣れているし
家人もなにもいわないが、
つとめて冷静に客観的にかんがえると、
冊数が異常であるし、存在のしかたにおいて、
秩序というものがまったくないのがかなりおかしい。
(つまり整頓・分類ということがまるでされてない)
ただものすごくたくさんの、本がある。

ところで、もし、これらの本をすべて
しらす」におきかえたとしたら、大変だろう。
生でも、揚げたしらすでも、
お台所以外の部屋に 落ちていようものなら
一匹だって、これはゆゆしき問題だ。
本がぜんぶ「しらす」だったら 大変だな~。

だが、大丈夫。
しらすじゃなく、本だから。
そんなことを思った日曜日だった。
それ以外のことはとくになにも思っていない。
こんなに暑いのにこれ以上深いことを 
思えといわれてもこまる。

・・・


あとは、ブルーレイで「ドリフターズ」をひたすらに観ていた。
平野耕太の マンガ「ドリフターズ」のアニメ版だ。
たしかおととしの秋ごろ、放映されていたアニメだ。

おもしろい。
ごぞんじないかたは まだ5巻までしか出ていないから
いまからでもぜひ マンガを読んでみていただきたい。

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www.nbcuni.co.jp


マンガと見比べても すばらしく誠実に映像化されている。
制作陣に熱い拍手をおくりたい。
島津豊久織田信長明智光秀那須与一
山口多聞、菅野直、安倍晴明土方歳三
ハンニバルスキピオ・アフリカヌス、アドルフ・ヒトラー
ワイルドバンチ強盗団、ジャンヌ・ダルク、ジル・ド・レェ、
ラスプーチン、アナスタシア皇女・・・
歴史上の有名人たちが 異世界に集結して国盗り合戦という
筋そのものもだいすきだし、
アニメにしかできない 迫力のバトルシーンといい 
楽しんで観られる。

わたしとしては
キャラクターたちのオルテ語
ラテン語?をアレンジした 作中だけの創作言語らしい)
が・・・
そのセリフを話す声優さんたちが、ということなのだが、
回を追うごとに 流暢に、自然になっていくのがすごくツボだ。

最新巻がでて、アニメーションの2期が始まるのを
心待ちにしている。

・・・

ヤヌシュ・コルチャック氏の
「子どものための美しい国」(晶文社
を図書館で発見し、かりてみた。

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www.shobunsha.co.jp



コルチャック先生がこうした児童文学を書いていたことを
知らなかった。
子どもの教育に一生をささげた人物なのだし
書いていてもすこしもおかしくはないとおもう。
たぶんほかにもたくさん 書いているんだろう。
読んでみて、おもしろくて、びっくりしている。
ここまでやるかとおもうほどシニカルであり、
わかりやすくも教訓的でもないところには 驚かされる。

あの大人たちのようには決してなるまい、
正しくあろう、
子どもが幸せになれるすてきな国を作ろう、
若き王がそう願えばねがうほど
社会の矛盾をたったひとり 背負うことになってしまう。

手記-其の弐拾弐(仮題)-20171214-開戦前夜-1。

いろいろ足りてないな!
説明とか、注釈とか、前提の解説とか、あと
文章力とか!
そう いつも感じている。
劇的に改善されるとはおもってない。
でも変えていきたいとはおもっている。

が、とりあえず進める。このまま。


労働組合総合サポートユニオンをとおして、
職場に 団体交渉申し入れ書を送付し、
団体交渉を申し入れますという旨
電話でも直接 専務に伝えた。
申し入れ書には、わたしの要求の内容も記してある。
要求とはおもに
・未払いの残業代の支払い
・2017年11月のおよそ1か月間にわたっておこなわれた
 編集長によるパワーハラスメントの認知および謝罪
・過労とおもわれる症状で倒れ
 結果 退職せざるをえなくなったことについて
 むこう最低半年の賃金保
の 3つだ。
未払いの残業代がいくらになるのか、ほんとうは
申し入れ書を送るにあたって こちらで正確に計算し、
「●●円の残業代があるはずなので払ってください」と
言えればそれが一番はやかった。でも、
雇用契約書や給与明細の記載に不備があるため
明確な額までは、わからなかった。
計算を確実して 要求をしなおすために、
過去のタイムカードやビルの入退館データも
提出してくれるように 
申し入れ書には書いてもらった。

これらについて、会社にはまず書面で
回答をもらうことになっている。
回答期限は2017年12月22日、だいたい10日後とした。

ここからは、職場の反応しだい。
期日まではもう、
とりたてて、やらなくちゃならない作業はない。

まだ職場に籍があるけど、
出社はやめたし、もう行くつもりはない。
およそ5年ぶりに 
ほんとに明日の仕事のことを
まったくなにひとつ気にしなくていい
「休み」というのが始まったことになる。
これを休みと解釈していいのか
どうなのか わからないけど。

・・・

この職に就いてからは、
ほんとうにずっと働いてた。
ずっといつもなにかをやってた。
「なにもない」なんて日はありえなかったし
頭をやすめたことも まずなかったとおもう。

ひどいカゼでもひいて もうこれは無理というときや
外にいたら息もできないくらいの 荒天でもないかぎり
出社して仕事をしてた。

休日もよほどのことがないかぎり 外出してて
美術館にいってみたり映画をみたり
音楽をきいたりしてた。
移動中にはなにをしてたかというと 本を読んでた。
なにか絶えず頭にいれて、何かを思って、考えてないと、
できない仕事である(とわたしは認識してた)からだ。
そもそもわたしの性分であるし、
こんなことしたくない、なんて思ってはいなかった。
仕事のためでも、楽しかった。
刺激的だった。麻薬みたいなものだった。
でも なくなった。
なくなったし、
やりたくてももうできそうにない。
つい2か月まえまではやっていたのに。
体も頭もいまや動かなくなった。

このころ 
自分の変化が顕著なあまり不安になって
携帯電話のメモ機能を利用して
記録しておいたものによれば

物が持ってられない
すぐ落とす
開けられない(※ペットボトルのフタとかドアノブ)
転ぶ
レジでもたもたする
お金の判断できない
日にちまちがえる
約束を忘れる
言い間違い
本読めない 意味が理解できない
食器棚やドアにぶつかる
メガネ意味なし ものが二重三重
頭に膜がはったようなかんじ
指がしびれる
自分が言っていることが、ほんとに言いたいことか
わからない
思ってることと違うことが口をついて出る

・・・
かなりヤバいことが書き連ねられている
・・・

G夫妻は
傷病手当金をもらって休めるようになったら
体調をみながら 元気なときは会って 
一緒にいろいろなことをしよう。
なにがYちゃんにとって楽しいことか
どんなことをこれからやっていきたいとおもうか
いろんなことをやってみて、探していけばいい」
と言ってくれていた。

しかしながら、
いろいろなことをしよう、って なんなのかなとおもう。
仕事じゃない楽しいことってどういうことかとおもう。
仕事をしているときこそ 楽しかった。
そうじゃないことをして 楽しい、というのが
わからない。
かつてはもちろんそんなときもあったはずなのだが・・・。
でも、もう楽しかった仕事はない。
仕事じゃない楽しいことをとおして
楽しいこととはなんなのか考える時間があっても
いいのかなとおもう。
そんなことが自分に可能とは 到底おもえないにしても
G夫妻がそう言ってくれるのは すくなくともわかる。

ただ・・・
G夫妻は、夫妻だから、
困っても、助け合えたりするとおもうけど、
わたしはひとりだ。
わたしは
G夫妻がなにかをわたしにすすめてくれても
一緒になにかをやろうといってくれても
なにもかもまったく言われたとおりに
ふたりとおなじにはできない。

G夫妻はそのようにするのですね、
でもわたしはそこまではできないからここまでです
そう伝えるのつらいなとおもった。
ひとりだからそこまではできない、って言うのは
恥ずかしいことだとおもった。
そうまで言わなくてもわたしがそう思っているというのは
つらいなとおもった。

G夫妻はふたりだけど、わたしはひとりということ
それについて自分がかなりなにか
抱えているということをわたしは感じてた。
それは根深かった。
仕事とか働くとかそういうのうんぬんとは
今回の問題のごく浅いところとは
ぜんぜんちがうところに しかももっと前からある問題だ。
もっといろんなこととすごく関係する。

いまでも ふたりとそれについてちゃんと話してはいない。
でも、話してわかってくれないふたりではないこともわかっている。

でもいつもそんなことを思っていたわけではなかった。
わたしは夫妻が言ってくれたこと、
楽しそうなことを一緒にいろいろやってみて、
これからなにができるか探そう、というのを
たしかにそれはすてきなことだ、
おもしろそうだ、と。

・・・

職場に団体交渉を申し入れた日の翌日 12月14日、
G夫妻のだんなさんといっしょに、
建築家の安藤忠雄展をみにいった。
六本木の国立新美術館
行くのはひさしぶりだった。
過去、直近ではここに何を観にいったんだっけなあ。
大規模な展示、内容がもりだくさん。
そこそこ混んでもいたし、ゆっくりと観ていく。

そこへ、携帯電話にメールが届いた。
職場の女性の先輩からだった。
「ゆうべ23時くらいに、専務から電話があった。
『Yさんに会社のカギとビルのカードキーと
名刺を返してくれって伝えて』って。」

わたし
「え!そうなんですか!!それはすみません。
業務時間外なのに。会社のカギのことだけど、
そういうのを返すのは、退職の意思を明確にする
ことにつながるから、今はまだしないほうがいいと
労働組合の人からアドバイスされているんです。
どうしたらいいか、組合の人に相談して対応します。」

先輩
「そうしてくれー。あんな時間に非常識だわー」
「でもできればわたしの名前とかは組合の人に
言わないで。専務に話がつたわっておおごとになるのが面倒」


先輩とのメールを終え、LINEのグループトークにつなぐ。
ユニオンのおふたりに 先輩の伝言について 相談した。


ユニオンのMさん
「それは本来、組合を通して連絡すべきことですね。」
「社員を通してなら組合員本人に連絡してよいという
ことではないので。専務は全然理解してないですね。」


わたし
「あ、やはりそうなんですね
先輩、すでに社内の仲間とわたしとの秘密の連絡係を
買ってでてくれているので、このうえ副社長からまで連絡きて、
負担に感じたろうなとおもったんですが」


Mさん
「組合から会社に連絡して、そういうことは
しないように伝えます。」
「会社のカギの件は急がなくていいので、いったん
保留で良いと思います。」

わたし
「わかりました。でも、ビルのカードキーは、
会社の入退館データをとるのに必要なんだけど!と
言ってくるんじゃないかな・・・
すみませんが、専務に連絡してくださったら、
わたしに『連絡したよ』と一報いただけますか?」

Mさん
「了解です。専務から先輩への連絡は、
電話でしたか、メールでしたか、また、
先輩のお名前は?」

わたし
「あまりおおごとにしてほしくないと先輩が
言っているんです。」
「できれば先輩のことはださずに
『まさかそんなことはしていないでしょうけど間接連絡もNGですからね』
みたいな形で釘を刺していただけるとたすかりますが」


Mさん
「専務のようなタイプは、はっきり言わないと理解しません。
具体的な事実をあげて、それはやってはだめと
指摘すべきかとおもいます。
先輩は何も悪くなくて、専務がしたことのほうが問題なので、
気になさらなくても大丈夫かとおもいますが、どうでしょうか。」
「この件自体は、指摘して、専務が理解すればそれで
オッケーなので、そんなにおおごとでもないですよ。」


わたし 先輩にメール
「はっきり言わないと理解しないタイプだから
今回はやっぱり ちゃんと言わなくっちゃだめだって。
つまり先輩にゆうべYへの伝言を頼んだみたいだけど
そういう間接連絡もNGだよ、ということを。」


先輩
「やっぱそうなっちゃうよねー。しょうがないか。
専務ってデリカシーってものがないから、
『ゆうべはごめんね!労働組合の人に怒られちゃった!』
とかみんなのまえで平気で言ってくるとおもうから、
それを想像するだけで身の毛がよだつよ。でもまあ
しょーがないよね。」


わたし
「ごめんなさい。
これっきりになるようにきつく言ってもらいますから。」


わたし Mさんに再びLINE
「先輩に、実例として名前をだすことについて了承をえました。」


Mさん
「ありがとうございます。
たぶん、あの専務のタイプを推測するに、
常識のない対応を今後もしてくると思いますが、
その都度きびしく指摘していくしかないでしょうね。
学んでいってもらいましょう。」
「連絡させられた先輩も気の毒ですね。」

・・・

この日21時ごろ、Mさんから
「会社にファックスで、Yさんへの連絡は
組合を通してするようにと申し入れておきました」
との報告。

夜 先輩からメール
「やっぱ職場で
『ゆうべは悪かったね!伝言ならいいとおもったから
つい!』とか言ってきて気持ち悪かった(笑)」

「だとしても業務時間外に女の社員に連絡とか
ダメですよね・・ 男の社員でもダメだけど」

「バカでKYだから言われなきゃわかんないんだよ」
「ところで、会社のNくんがね、
『Yさんと連絡とることがあったら、Aの案件
データ収集いっぱいやってくれてありがとう
ございました、って伝えてください』って」

「あ、よかった。
年末進行まっただなかに
フェイドアウトという罪深いことをしたんで。
せめてもの罪滅ぼしに、いる間にできる仕事は
ちゃんと、とおもって。
A案件のデータは、25も集めればよかったんですけど、
100やってわたしといたんです・・・。
Nくん 怒ってなくてよかった。」

「死にかけたんだから、
少しでも早く辞めるのは当然だとおもってるよみんな。
Yちゃんが仕事納めの日まで出社するって
最初言ってたとき、Nくんは
ぜったいやめたほうがいいのに・・・って言ってたよ。
今度のことで、自分の会社のブラック経営ぶりを
専務が思い知ればいいって、社員のほとんどが
おもってるよ。」
「暮れに、会社の忘年会とは別に、
そういう社員だけで集まって仲間内だけの
飲みをやるから、来れたら来なよ。」

・・・

会社とのつながりは みずから断ったが
職場の人たちとのつながりのいくつかは
これからも続いていきそうだということを
感じられて うれしくおもった。
なんといっても重度のコミュ障ばかりの職場であったから
吹けばとぶような「つながり」なのだが・・・。

HELLSING OVAの思い出-180627。

OVA版「HELLSING」はおもしろかった。
あれは何回でも観たい。
メッセージ性、今日性といったことを
まったく超えたところにあった。
なんのために・・・なんて、
そんなことって、どうでもよかった。
大のおとなが力のかぎり才能をたれながし
趣味に走りまくって作り上げるものって 最高だとおもう。

そういうのばっかりに触れてすごしても
胸焼けするのが目に見えているが、
そういうのがあってくれないと、確実につまらない。


ドリフターズ」の、最新巻を心待ちにしている。
なかなかでない。

ビッグイシューのカバーが真木よう子さん/「宝石の国」を観始めた-180621。

2週間に1回の割で 新宿の病院にいく用がある。
小田急新宿駅の出口のところにいる販売員さんから
ビッグイシュー」の最新号をいつも購入している。
前号の、カバーがリリー・フランキーさんのは
買いそびれたが 
販売員さんはバックナンバーも持っている。
次行ったとき 出してもらって買おうとおもう。

毎回 ペットボトルのお水を1本 差し入れしている。
けどたまには 塩分のとれる・・・経口補水液的な 
ポカリスエットのようなものを
差し入れして変化をつけてもよいのではあるまいかと
このまえ友人にすすめられたことを 思い出し
今日、1冊購入したときに
レモンスカッシュ的なものを買って さしあげた。
販売員さんがそういうの好きかわからないけど。
いちおうおもてむきは すごくよろこんでくださった。

最新号のカバーは真木よう子さんだった。
元気そうな姿をみることができて うれしかった。
すこしふっくらとしたようで 健康そうに見えて安心した。
元気でいて 自分の演技に集中していてくれれば
それでいいとわたしはおもう。
それにしてもマリオン・コティヤールをおもわせる
まるいお顔と おおきな目、気品のある笑顔。
ほんとにすてきだ。

・・・・・・・・・

このまえ市川春子さんという才能あるマンガ家を知った。
市川春子さんの同名のマンガが原作の
宝石の国」というアニメを観てみている。

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afternoon.moae.jp

 

land-of-the-lustrous.com



映像がすごくきれいだ。
これからなにがおこるのかはぜんぜん予測ができない。
「虫と歌」に、菩薩さまの掛け軸がでてくる場面があったけど
作者は仏教芸術か・・・宗教的なものに 
関心があるのだろうか。
宝石の国」は、すごく宗教的な物語だとおもう。

読めない/市川春子『虫と歌』-180619。

駅のホームで電車をまっていたとき
フラッシュバックに遭い、そのまま調子をくずし
予定はぜんぶとりやめとなった。

自分でもなかなか 体調の波をつかみきれず
きょうはどうかな?みたいなことが 読めない。
読めない。
どうか、大丈夫そうか、と聞かれてもこまる。
わからないとしか答えようがない。
だが わからないではすまされないのが実際のところだ。
大丈夫そうだと答えて大丈夫じゃなかったときには
周囲に迷惑をかけるし、自分もまことにおちこむ。
「『大丈夫そうだ、がんばる』と口にだしたからこそ
きょうはなんとかがんばれた」と 
振り返ることができる日もある。
わからない。どうしようもない。

でも ずっと内にとじこもって
横になっていることもできないのだ。

自宅を出発した時点では、
こんなことになるとはおもってなかった。
すごくかなしいきもちになった。
こんなことをまだまだ何度も耐えて
いかなくちゃならないのかとおもうと。

出かけておきながら 
このような時間にとんぼ帰りしては
見とがめられて 
安心して休むことなどできない。
図書館とか 座って体を休められるところに
行ってみようかなと考えたが 
座るのではなく、横にならなくてはという体感があった。
ちかくに住む友人に連絡してみたところ
仕事がおやすみとのことで
きていい、一日寝ていろといってくれ、
駅まで車でむかえにきてくれた。
家ではすでにベッドが 
わたしのためにととのえられていた。
夕方目をさましてみると 調子は戻っていた。
まだじっとしてこれでも読んでろ、と
わたされたマンガが傑作だった。
市川春子というかたの作品集で、
『虫と歌』というものだった。

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kc.kodansha.co.jp

このように魅力的な物語を かく人がいると知らなかった。
めまいをもよおすほど壮大なSF、言葉少なでやや難解だが
妙にしずかで、ゆったりと時間がながれ、
それに、さびしかった。
彼女の描くマンガの世界にいると呼吸が容易であり、
体がラクにうごかせた。

九井諒子さんを知ったとき以来の感動だった。




わたしも友人が外で調子をくずして 
助けをもとめてきたときに
自分のベッドをあけわたし、一日ここで寝てていいよと
言ってあげられるような人間になりたい。

映画の感想-『犬ヶ島』-180617。

※ねたばれというほどでもないですが 
内容には触れています。※

ストップモーションアニメ映画
犬ヶ島』を観た。

原題:Isle of dogs
ウェス・アンダーソン監督
2018年、米・独合作

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www.youtube.com


あと5回くらい観たい。
ゆうべ なんの気なしに家で観た映画が
ぜんぜんおもしろくなくて
がっかりしていたところだったから
このようなモノスゴイ作品を 
スクリーンで楽しむことができて
うれしかった。

『グランド・ブダペストホテル』や
『ファンタスティック・ミスター・フォックス』
をてがけた監督だ、ということは 
観る直前くらいに知った。

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movie.walkerplus.com

movie.walkerplus.com


あの人なら 傑作まちがいなしだろうと
期待してかかって
なおそれを上回ってきた。

近未来の日本、「メガ崎市」(!)が舞台の物語。
市の政権を掌握するのは、小林家という旧家。
一族はゆえあって、代々「犬」がだいっきらい。
市長は、街から犬を殲滅したい。
「ドッグ病」なる人獣共通感染症
確認されたのにかこつけ、
街中の犬という犬・・・ペットも含む・・・を
離れ小島「犬ヶ島」に隔離(廃棄)する
政策をおしすすめる。
しかし、じつは小林市長も犬を飼育していた。
息子アタリの忠実なボディガード犬、スポッツだ。
にっくき「ドッグ病」を根絶します
という政策で一躍ヒーローとなり、
次期市長選の再選を盤石なものにしたい市長。
それなのに自分が犬を飼っているんじゃしょうがない。
隔離第1号にスポッツが選ばれ、
さっそく島に捨てられてしまう。
アタリにとってスポッツは、唯一の親友だ。
彼は弱冠12歳にして 単身犬ヶ島にたびだち、
スポッツ救出をこころみる。

・・・

登場するパペットたちが
ぜんっぜんかわいくない点だけガマンすれば、
これほど夢中にさせてくれる映画って
さいきんあんまりなかった。

一画面 一画面
偏執的なまでに描きこまれた
細密画のようなしあがりで 
まばたきするのが もったいないくらい。

パペットたちの表情の変化・・・
顔が紅潮したり 目に涙がにじんだりを
いったいどうやって実現したんだか 
わたしにはぜんぜんわからないが 
ほんとにすごかった。

とくにやられたのは
お寿司をにぎる 職人さんの手元を
真上から撮ったシーン。
数種類のネタをそれぞれ
しめる、さばく、握りまでの
ながれるような動きが完璧に再現され
(実写じゃない。ストップモーションアニメ。)
でもよくよく考えるとあれは 
最後ににぎるお寿司に
暗殺用の毒入りわさびをつける、
というただそれだけのシーンなのだ。
「監督が、やってみたかっただけだよね」感が
たまらなくよかった。

犬たちの鼻のあたまに
薄桃色の花びらがくっついて
ひらひらしているところ、
乱れた髪の毛をなおしてあげる
やさしい手つき、
芸のこまかさにいちいち泣けた。

世界観は
60年代日本がベースのレトロフューチャー
といったかんじが近い。
黒澤明監督の
『天国と地獄』や『酔いどれ天使』にでてくる
日本の建物や人びとの服装、表情を参考にしたと
監督は話しているようだけど
黒澤明よりもどっちかというと
小津安二郎の影響を わたしは見たようなきがする。
ただ 市長のルックスは
文句なしに三船敏郎(笑)。

タルコフスキーの『ストーカー』や
キューブリックをおもわせるシーンも。

知ってればたぶんもっと
いろいろとわかっておもしろい。

心ある科学者たちによって
ドッグ病の血清が開発され、
発病しても完治が可能となったにもかかわらず
市長はその情報を黙殺、犬の隔離政策を断行する。
市長の目的はじつのところ
伝染病の根絶でもなんでもないのだ。
一部の強者の利権のために 
真実がにぎりつぶされ、粉飾される。
みんなにとって有益な事実も
情報を受け取る側の眼がくもっていたり
単に
「現状をいまさら変えることがめんどくさ」
がられたりすれば
だれにも注目されない。
少数派意見の尊重が 標榜されながら
その裏で「不穏分子」の抹殺がまかりとおる。

現実世界のいたるところで 
いままさにおこっていることが
アニメにたくされて 
きわめて巧みに描かれていた。

本気で何かを変えなくてはいけないとおもったら
犠牲も覚悟しなくてはならない、
そういう世界が存在したし、いまもあるのだと感じた。
なにも腕力でやりあわなくても話し合いで
・・・ とは一見正論だが、
話し合いで解決できることのすごさを
普段ちっとも考える必要がないくらい
穏便さ 平和さが「続いている」、
それを無神経に享受している、
だからこそ言えることだ。
話し合いでどうにかできるおだやかな世界、 
それは血の海と しかばねの山のうえに 
あるのだとおもう。

また、すべて失っても
本人がくさってないかぎり
再起のチャンスはきっとおとずれる、という
たいせつなメッセージは、
隔離処分となった犬たちが伝えてくれた。

映画の感想-『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』おもしろくなかった-180616。

原題:Mortdecai
デイヴィッド・コープ監督
2015年、米

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www.youtube.com


映画としての「いいところ」は
ひとつも見つけられなかった。
映画みててこんなにたいくつになることって
はたしてあるか、とおもうくらい
たいくつだった。

この仕事をうけたどころか、
製作かなにかまで担当したという
ジョニー・デップの気が知れない。
そのジョニー・デップも 
役としてぜんぜんだめだった。
ムリが感じられてしかたなく、しんどかった。

もっとぜんぜん売れてない役者さんばかりで
下品で やすっぽい映画だったにせよ
たとえば「デッドプール」には
野花のように強靭な意思のようなものと
あちらのお国の「らしさ」みたいなもの
そんな しっかりとした芯を感じた。
また、
圧倒的に無内容な映画だったにせよ
たとえばトム・クルーズ
『ザ・マミー』(2017年)なんかは
あれで案外 うむをいわさぬ勢いがあり
全力かつ精力的に
お金をドブに捨てにいってるかんじが
なぜだか けっして悪くなかったものだ。
しかるに本作は、なにかこう
ダメさにかわいげがないというか。
ダメならせめて愛嬌がほしい
みたいなことかもしれない。
それさえないのはもう 
どうしようもない。

おもしろい映画が恋しいなあ。