BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「ヴァイブレータ(2003)」-190422。

ヴァイブレータ
廣木隆一監督、2003年、日本

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これは・・・よかったんじゃないか。

あんまり年齢でなにがどうとかって
話をしたくないけど、
本作に限っては・・・
20代ではこの映画観るのは
ちょっと早いかもしれない。
お若いうちに観ても
たぶん な~んだかよくわからない
たいくつなロードムービーだ、としか
思えないんじゃないかな。
すくなくとも
30歳もひとつやふたつ越してから
観るのがいいのかもしれない。
そのくらい生きれば いろいろと
経験しているだろうから。
わたしのようなたいくつな人間でも
やはりそうであるし。


シンプルで静かだ。でも
必要なことはちゃんとみんな入ってる、
そんなかんじの映画だったな。

「自分がいいものになった気がした」
というモノローグを見て 
レイの過食嘔吐の症状と
オカベとの行きずりの恋
という彼女の体験とは
深く関係していたんだろうなと。

食べてもすぐに吐いちゃうんじゃ
栄養として体に吸収されず、何も残らない。
食べたのに吐くのはなぜなんだろう、
その行為になにを期待しているのか。

初対面のまったくしらない男にもかかわらず
オカベは レイにとってまさに
王子さまのような存在であったとおもう。
だけどレイは トラックを降りた。
「ずっと乗っていてもいいよ」と
彼が言ってくれたにもかかわらず。
レイは彼との3日間で得たぬくもりや
愛情といった滋養をすべて
吐き戻したことになるのだろう。
いや、オカベにとってもレイはいつしか
かけがえのない恋人になっていたわけだから
レイがトラックをみずからおりたことは
オカベがレイを吐き戻してやらざるを
えなかった、ということになるのかも。

レイは自身の過食嘔吐の行為について
「どんなに食べても
それをぜんぶ吐くことによって
よかった、太らずにすむ、と
安心することができ、
ぐっすり眠れた」と。
わたしは過食嘔吐の経験がなく
吐くって行為にはただただ
苦しいこと、つらいこと、っていう
印象しかないけどな~
レイはそれで安心を獲得していたという。
だが、けっきょく彼女は
過食嘔吐では 癒されなかった。
それでほんとに安心できるというのなら
そりゃまわりは 過食嘔吐なんて
よくないからやめなよ、って言うだろうが
彼女がそれでいいというならべつにいい。
気のすむまで食べて吐いてればよかった、
そうすることでしか安心できないという場合
奪うのは酷というものだろう。
それで十分にみたされていたならば
オカベのトラックに乗る必要も
なかったわけではないか。
でもじっさいは 彼女はトラックに乗った。
過食嘔吐によって
たしかに気休めのような安息を
得たことがあったのかもしれない。
でも根本的には
ぜんぜん癒しをえられていなかった。

レイは ずぶぬれのように浴びた
オカベの愛情をすべて嘔吐することで
安心できたんだろうか。
わたしは、これにかんしては、
たぶんちがう考えかたが必要なのかなと。
感覚としては
オカベに注いでもらったたっぷりの愛情が
奔流となって彼女の「嘔吐」に勢いをくわえ
レイのこころのなかにたまりにたまった
激しい苦痛やかなしみや孤独の毒を
洗い流したのかなとおもう。
ほんのちょっとだったかもしれないけど。

彼女が吐き出したかったものは
なんだったのか。
それはまちがいない。
彼女のかなしみ、孤独、傷だ。

かなしみをさらなるかなしみで
洗い流すことはできない。
それに、母親との関係において
ほしくても得られなかったものを
オカベからもらおうとしたって
それは無理だろう。

レイの心は空虚だったのではない。
孤独と涙と傷がぱんぱんに詰まっていた。
そいつをどうにか外に出しちゃいたくて
どうしたらいいのかわからなくて
食べては嘔吐を繰り返していたと
考えてもいいだろう。
でもモノで心を洗うことはできない。
必要なのは人の愛だったのだ。
なるほどなー 苦しいのは
嘔吐する行為そのものじゃなくて
吐きたいのに吐けないことだったのか・・・
愛情のあたたかみだけが、
愛をもらえるかもしれないという
子どもじみた期待だけが
かなしみをためこみすぎて
こちこちに硬直した彼女の心を
ゆりうごかす。
胸ポケットの携帯電話のヴァイブレーションや
トラックの機械振動は
よびさまされる心のふるえを象徴してたみたいだ。
それが胃に波及して蠕動への呼び水となり
やがて激しい「嘔吐」を引き起こした、
というふうにみえる。

レイは本能的に
必要なのは人の愛と
わかっていたのかなとおもう。
さしせまった表情で
オカベに「さわりたい」と。
レイの孤独とかなしみは
痛いほど深刻だった。
彼女はすでにぎりぎりであった。
ある意味ではもうほんのちょっとの
きっかけがあればそれでよかった。
そこに白馬に乗った王子さまよろしく
オカベが現れちゃいますかね、
そんな都合のいい話ありますかねと
まあそういうことになるだろうけど
・・・
ないともいえないだろう。
ないことを証明することはできない(笑)
いや、なくてもべつにいいではないか。
いまは世界のどこにもなくても
自分がだれかにもたらすことは
できるかもしれないではないか。
そんな いじらしくもちいさな奇蹟が
わたしのだいじな人たちのうえに
ふりつもってくれないかな。
わたしもだれかにやさしくしたい。
そう 祈りたいきもちになった。

オカベのやさしさは
とってもすてきだったな~
ああいう天性の気の良さというか
どこまでも自然に、思いやりを発揮できて
ちゃんと人にやさしくできる人って
いるよね。
ほんとうに たまにだけど。

でも そのオカベもじつは
切り刻まれるような孤独を
生きている男だったのだ。
その彼がレイを吐き戻さなくちゃ
いけなくなったのは・・・
わたしは、オカベのために
あの結末はかわいそうだなとおもった。
彼にいつか
やさしい人との出会いがあるといいのだが。
あのように野性的なまでに
人に優しくできる人は、
自分自身をも よもやそまつには扱えない。
だから彼は生きていくだろう。
それってすごくつらいよな。

寺島しのぶ大森南朋、名演。