BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

「レプリカズ」予告動画解禁とのこと-181123。

キアヌ・リーブス主演の
新作映画「レプリカズ」の
予告動画が公開された。
人間のクローン生成をめぐる
SFドラマとのこと。

youtu.be


事故で家族をうしなった神経学者が
妻子にもう一度会いたくて
クローン人間生成という
禁域に足をふみいれる

ふつうすぎる・・・
手塚治虫あたりが
とっくにやってる話では

ところで、
手法はどうあれ
その道の研究者なら
むしろ人間のクローン生成には
気が狂っても手を出さないだろうと
わたしは思うんだけど、どうかな
そしてそのわけは
「クローン人間つくりたい」
という考えを
人間が捨てないわけと
根っこを同じくしている、とも。

というのも科学者たちはたぶん
Aさんという人間のクローンを
つくれたとしても
それはAさんではない、と
知ってるんだとおもうのだ
科学とは究極的には理想の追究だ
科学者は究極的には
リアリストであると同時に
ロマンチストでなくてはおかしい
おなじ木からおなじ日に採った材料で
おなじ工房においておなじ職人が
おなじ部品、おなじ工法で
てがけた楽器でも
おなじ吹奏感のおなじ楽器には
ならない。
そんな単純なものじゃない
おなじになるはずというのなら
一卵性双生児はどう説明するのか
わたしはしらない。
楽器じゃなくまして人間となると
もう わからなすぎるし
わからないままではいけないと
思われてならないからこそ
まだ手を出しちゃならない、
というのもあるだろう。
だがそれよりもなによりも
もっと
「これじゃあつくっても意味ないわ」
「つくっただけよけいにかなしむ人が増える」
となることがあると、
もう知られているのだ。
それが
「AさんのクローンはAさんではない」
ということではないだろうか

ハリウッドの最新映画でも
70年くらいまえにはさびついてたような
古くさいプロットしか組めないように
クローン、人間、というとどうしても
もういないあの人と、もう一度。という
願望の成就が その到達点におもえても
むりなんだ、と
すでに理解されてることなんじゃないかと
わたしはおもう

しかるにキアヌ・リーブスが演じる科学者は
それがわかってない科学者ということに
なるみたいだ
個人的にはこの映画は
話がはじめから
成立してないようにみえる

また
「理解してたはずなんだけど
家族をうしなったかなしみのあまり
つい、クローンつくっちゃって、
でもいろいろ不都合がおきて
やっぱりクローンはクローンなんだって
かなしみとともに理解しなおす」
という流れになるのもみえすいてる。
なんだかな、ってかんじだ
設定にこまかな工夫はあるようだから
「じつはクローンつくった科学者自身も
クローンでした」
とかいう展開ももしかしたらあるかも。
それはそれでデジャ・ビュ感がすごいが。


もっと
うならされるような、ひねったプロット
つくれなかったのかしら


クローン人間をつくってみたいと
わたしたちがそれでもおもう
わけの一端も
根っこはおなじで
そだちかたがちがう

かんたんにいえば
(語弊はあるが)
「いいんじゃね?本物じゃないんだし。」。
突き詰めかた、
想定される運用方法が
ちがっているんだろう


となると
「AさんのクローンはAさんじゃない」
また、おそらく
「そもそも人間のクローンが人間といえるかどうか
わからない」
という議論については
科学者じゃなくてもたいへんおおくの人が
わかってるかおもってるか感じてることなのだ
後者については
「人間かどうかわからない」
なんてふうになることからみても
人間じゃないとしたらやってもかまわない
人間じゃないということにして
あわよくば、やってみたい
というわたしたちの
いじらしいような切なる欲望が
なんか、すけてみえるようにおもう

わたしたちはそれほどまでに
死が怖い。
病みたくない。
苦痛を味わいたくない。
喪失をおそれている。
または、たいくつしている。

でも根本的に誤りだったと
あとで気づいたときに
どうすれば挽回できるか、
やってしまったことを解消できるか、
その方法がわからないなら
やるべきではない。
だから人間それじたいのクローンは
まだやめたほうがいいのかなとおもう


性犯罪者の化学的去勢はあっていいのか
という議論と
死刑はあっていいのか
という議論は
考えなきゃいけないことの内容は
まあまあ似ているが
ぜんぜん レベルがちがう
それとおなじで
クローン生成技術でつくった臓器を
移植するのはいいのに
なぜ人間それじたいはつくってはならないか
という議論も
ふたつをあたかも地続きかのように
ふりかざすのは ・・・、ってかんじがする。
人間それじたいをつくってはならないと
されていることのほんとうの理由は
わたしたちのだれもがたぶんもう知ってる。
カマトトぶるのはよろしくない。
ぶってるのかほんとにわかってないのか
しまいにはわからなくなってくるからだ。