BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

くたくた。-181219。

寝屋川市の、中学1年生の男の子と女の子が
殺された事件で
被告人に死刑の地裁判決があったそうだ。

殺す気はなかった、という本人の主張は、
本心なのかもしれない、と わたしはおもってる。
控訴したという。
もうすこし深く事情を知りたい。

・・・

日曜日、新宿から飯田橋に行こうとして
総武線の階段を降りていたら、
階段をのぼってきたひとりの男性が
わたしとぶつかるのもかまわないというかんじで
真正面からつかつか迫ってきて、
立ち止まったかとおもうと
面と向かって わたしに
「ばか!!!」と言った涙。

あぜんとしたのと 
何か怖かったのと
先方がすぐに立ち去ってしまったのとで
なんのリアクションもできなかったが

なんで ばかって わたしは言われたのかなと。
それで状況をよくたしかめたところ、
自分が、階段の「のぼる」用のライン上を
おりていたことに気づいた。
原則 階段は左側通行の認識なので
左側の手すりに手をそえながら おりていたのだが
左側が のぼるラインだったのだ。
すいてたし、前を歩く人もいなかったし
ぜんっぜん考えてなかった。

あの人は ぼーっとした女に行く手をはばまれて
じゃまで むかついたんだろうな。

だが、ばかなんて言わなくたって、
ふつうに
そっちはのぼる人用だよと 
指摘してくれればよかったのに・・・

・・・

おととい、図書館に、かりていた本をかえすために
仕事のあと 実家がある街の駅までいった。
列をつくって改札をとおる順番をまっているとき、
わたしがもっていた おりたたみ傘の柄の部分が
まえにいた女性の、背中に触れた。
女性は 驚異的な大きな声で
「あぶない!!!」と叫んだ。
あぶないじゃないですか、何をするんですか!
痛いじゃない、何すんのよもう!
という 怒りのかんじを含む叫びでは、なかった。
痛い!とか熱い!とかみたいな、
苦痛を表現する本能的な叫びでもなかった。
たとえていうなら 
公園で おかあさんが
ママ友たちとのおしゃべりに夢中になって
ちょっと目をはなしたすきに
よちよち歩きの小さい子が
ゴーカート乗り場にでてしまい
路上をのこのこ歩いてて
そこに血気盛んな小5くらいの悪ガキが
ゴーカートで爆走、急接近
あと15メートルで すわ激突という場面
おっかさんはいまだ気づいてないが 
ママ友のひとりが たまたま目撃
あわてて
「あ、危ない!!!」と 叫ぶときの
あのとっさの「危ない!!!」だった。
叫んだ女性も
「思ったより大きい声でちゃった汗」って
思ったんじゃないかとおもう・・・
そのくらい 場違いであったし 声がでかかった。
わたしは間髪いれず「ごめんなさい」
と あやまった。
そのリズムのかんじがおもしろくて
ちょっと笑ってしまった。
でも 
あんなに大声出さなくてもいいのにとおもった。

・・・

きのう、仕事の帰りに、
職場がある街の中央図書館に行った。
まえから知っているが
実家近くの図書館を見慣れた目からすると
ほんとにでっかくて 広くて
天井が高くて開放的で
壁いっぱい、高い天井めいっぱいまで
本がぎっっっしり。
ひかえめにいっても 最高だ。
なんかちょっと外国の図書館みたいなかんじだ。
国立国会図書館も わたしが通った短大や大学の図書館も
実家がある街の図書館も みんなそれぞれに特長があり
わるくない。だが
わくわくするかんじがある、という点で
この中央図書館はかなり いい。
蔵書はたぶん 実家の近くの図書館の
140~150パーセントくらいもあるし、
書棚の配置や図書の分類法的にも
なんとなく、わくわくさせられるかんじがあるのだ。
しかも、たしか6階まであり とても広いのだが
たいへん分類がわかりやすくて 本が探しやすい。
いままで、困ったことは1回もない。
視聴覚ライブラリのメディアの品ぞろえもりっぱなものだ。

つい何冊も衝動借りしてしまう。
今回も。

内村鑑三とか 今さら 読んでどうするんだろう。

・・・

アパートの管理会社に確認したいことが数点あり
毎日電話をかけているんだけど
つながったためしがない。
混み合う時間帯にかけてしまっているのかなとおもって
朝とか昼とか夜とかいろいろと
時間をずらす工夫をしているんだけど かからないのだ。
公式サイトに 問い合わせ用フォームがあるのを
発見したので そっちに入力して、送り付けておいた。
わたしが問い合わせたいような内容のことは
問い合わせ用フォームの 要件ジャンル選択画面には ない。
そういう用事は直接電話でお問い合わせくださいとの
注意書きまであったが
こっちとしては 電話をかけても つながらないんだから
しかたがないとおもう。

・・・

今朝、
また体調を崩した。
自宅から職場のある駅までは
たった3駅なのだが
電車に乗ってほとんど30秒くらいで
気分が悪くなりギブアップ、途中下車した。
めまいと突発的・暴力的な頭痛からくる
つよい嘔吐感に2時間あまりくるしめられた
電車のなかで気分がわるくなったのは
音がとにかくすっごく気になったからだった。
電車のなかでというか、
電車に乗る前にはもう、
そういうふうになるための
コンディションができあがっていたんだろう。
ぜんぜん 自覚なかったけど。
まわりのかたの話し声とかが
ぜんぶ すごく近いところで聞こえて
自分のことをこそこそ悪口言っているように感じる。
電車の走る音などの機械音も 
獣かなんかの吠える声みたいで きもちがわるい。
人間の世界じゃない怖いところにいるような気がする。
なんなんだろう。
そういうの、なんで起こるのかな。

睡眠に難があることと
自分で思うよりも疲れているのであろうことが
いちばんおおきい気はする。

わたしは、こんなことが一生続くわけがないと
それだけはなぜか確信している。

年内にもし予約をとることができれば
カウンセリングを受けようかなとおもう。

けっこう ひどいめにあったなとおもってる。
わたしもわたしで 
神経が細すぎるのかもしれないけど
正直いってものすごく傷ついた。
ほとほとまいってる。
忘れることがむずかしい過去は
たくさんある。
苦しい。

ただ、いまや家に帰ってくれば
もうつらいことはぜったいにない。
涙が止まらなくなっても だれも見てない。
はずかしくもなんともない。
寝てても怒られないし
どばどば涙がでて 完全に危ない人にもかかわらず
平気で本とか読んでても 
べつにだれを驚かせるわけでもない。
部屋はとてもしずかだ。
すっごくちらかっているんだけど
気持ちがおちつく。

できれば だれかにそばにいてほしいと
おもわないこともない。
理解し、許し、そばにいてほしい。
でも、こんなめんどうくさいことに
わたしなんぞと一緒にいてくれようとするやさしい人を
巻き込むわけにはいかない。
やはり、どう考えても
巻き込んでいいのはプロだけだ。
プロならどんなに巻き込んだって
巻き込まれないでいてくれる。

深刻にかんがえることはない。
このことがなくたって
すでにして わたしの人生は周回遅れだ。
あわてる必要はない。
あせっていいことなんかひとつもない。
わたしはだめなままかもだけど
わたしの体がなくなっても
それで終わりとか無に還るとかいうわけではないらしいから
まだまだいつまででも望みはあるだろう。

なんだったっけな・・・ コリント人・・・
いやローマ人への手紙だったか
「艱難は忍耐を生み出し、
 忍耐は錬達を生み出し、
 錬達は希望を生み出す」

わたしは自分がされてつらかったことを
ひとには絶対しない。力でおさえつけない。
力ではなく
時間と忍耐力にものをいわせ
徹底的に相手と向き合う努力をする。
たとえへたでも 工夫と対話を怠らない。