BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

引っ越しまでの2週間。-181030。

実家を出てきたことに関して、
いきさつをつぶさに
書いておいたほうがいいのかなあ
(自分の備忘のためには。)
と考えてて、
ずっと書こう書こうとおもってたが
できそうにない
ここでいういきさつとは、
母親とのあいだに
どんなやりとりがあったか、
どんな言葉を自分が発したか、
何を言われたか、
何をしたか、
何をされたか、
どう感じたか。
それを書いといたほうが
いいかなあって
ことだったんだけど
言われたことされたことよりも
言ったことしたことを
わたしはここに書きたくない



だが
ここではなく
しかるべきところで
話はする。



もう耐えることができそうに
ないとは考えた。
こんなにがまんばかりする
べきじゃなかったと。
だれがしろといったわけでもないのに
生まれてこのかた
自分の限度をはるかにこえて
がまんしてしまったせいで、
順当かつ理想的な独立の計画は
崩壊した。
つまり順当かつ理想的な独立
なんてのは
わたしと母親であるかぎり
さいしょからムリだったとも。


いつも
どなられないよう、怒らせないよう、
不興を買わないよう、喜ばれるよう、
が、わたしの行動原理だった。
でもわたしのそういうのは
原則ぜんぶ「ハズレ」だった。


それで10月9日の正午すぎ、
財布と通帳と印鑑と保険証
携帯電話と充電器とMP3プレイヤー、
わずかな着替え、あたりだけ持って
くつしたのまま、
奥の四畳半の部屋の窓から
家を出た。
玄関のドアは重くて
開閉すると音がかなりひびく
母親が聞き付けるとおもうと
靴をはいて
ちゃんと玄関からなんて
でてる場合じゃなかった
実家から100メートルくらいの
ところにある
スーパーマーケットで
サンダルを買って歩いた。


そこから1週間は
叔父の家に身を寄せていた。
さいしょの2日間はなにもせず
ただ休ませてもらってた。
頭と顔を負傷した関係で
ひどい発熱があった。
メガネもこわれたため
叔父に修理にだしてもらった。
たまたま部品があり
翌日直されて戻ってきた。
これで体調がもどればすぐ
仕事にでられる。


ひきずられても家には帰らない、
このまま可及的すみやかに
独立への道をつけると
叔父に表明して、実家との
なかだちをたのんだ。
兄に連絡し、家にはもう
帰らないことをつたえた。
以後引っ越しまで、
叔父はほとんど毎日のように
わたしの実家に通って、
わたしの近況や行動計画を
伝達したり、
気を回して
足りなさそうな洋服などを
わたしの部屋から持って
きてくれたりした。
しかし、叔母がやがて
部屋から荷物をもちだすことは止めた。 本人のためにならないし、
勝手に 本人がいない部屋に入って
ものにふれるべきじゃない、と。


叔父は母親に
わたしが独立することへの
承諾をあらためて
とりつけてくれた。
わたしは10年かけても
できなかったことだった。


2日やすんで体調がもどり
仕事に復帰した。
以後その週いっぱいは
叔父の家から通勤した。
転倒してケガをしたので休むと
伝えてあったが
上司に事情をすべて話した。
午後からのパートタイム勤務から
常勤にあげてくれるようお願いした。
手前がってにもほどがあるお願いだが
だめでもともとだった。
だめかもしれないが
かなうならそれがいちばん
いまの自分にとってありがたい
形だった。
だから、頼んでみた。
上司の尽力で申請がとおった。



10月13日、部屋を決めた。
職場のすぐちかくの不動産会社に
予約もなしで飛び込んで、
部屋をさがしてる、
可能ならすぐにでも入居したい、
と相談した。
たいへん力になってくれ、
たまたま適した部屋がみつかった。
昼過ぎに内覧にいき、
数時間後、夕方にもう一度
みせてもらい、その場できめた。
原状回復とクリーニングがあるが
はやければ1週間で入居可とのこと。


翌週あけ、10月15日、
叔父の家を出た。
実家から1駅のところの
年上の友人宅に身を寄せた。
以後19日の夜までお世話になり
ここから通勤もした。


16日、部屋の契約をすませた。
カギ受け取りは20日(土曜)か
21日(日曜)になりそうだとのこと。


部屋を決めたら
すぐに叔父の家からは出る約束だった
引っ越しまでたった1週間
それまでは
ネットカフェででも寝泊まりすれば
いいと考えてた。
前職でいそがしくて
帰れなかった日には
そんなことしょっちゅう
やっていた。
叔父夫妻には、しかし反対された。
預かっていた身として
ネットカフェみたいに
だれがいるかわからないような
あぶないところに行かせたとは、
わたしの母に言えない、
と言下に。
一方でビジネスホテルは
金がかかるからやめろといい、
友だちの家などは迷惑がかかるから
だめだともいわれた。
こういう
「なにをやるといっても
結局だめといわれる」
的な、袋小路的な展開に
よく、おちいる。
とくに母親とのあいだで。
「だめといわれた」
「やめろといわれた」
「禁じられた」
「反対された」
だけのことであり
わたしがほんとうにやりたければ
わたしの責任をもって
冒してもかまわないはずだ
だが
ダメだといわれたことは
絶対にやってはならない
なぜならどなられるから、となる。
そのことを急におもって
冒してみようと。
ほんとうはどうしたいかを
かんがえたとき、
「安心できるところにいきたい」
というのがでてきた。
それが身を寄せた友人宅だった。
事情あって友人も
きわめて多忙な時期だった。
だが、
おいで!うちにはネコがいるよ!
1週間、たのしもう!
と言ってくれた。
母親ではなく叔父だったからかも
しれないが
反対したのにわたしが友人宅に
行くことにしたと知ったとき
しぶい顔はしたが、
くどくどおなじことは
言わずにおいてくれた。
叔父は15日の夜、
友人の家まで車で送ってくれた。
だが車中で、
友人が年上であること
飲食店を経営している人で、
自分は彼女のお店に
客として訪れて親しくなったこと
などを話したところ
叔父の考えでは
それは友人とはいわない、
自分は送り届けるがその人に
あいさつはしない、といって
きゅうに不機嫌になった。
あいさつをしなければさぞかし
その人は、失礼な叔父さんだと
思うだろうよ、などと
叔父らしくないとおもうような
奇妙なイヤミまで。
正直わたしには今もって
いったいなんだったのか
なにが叔父は言いたかったのか
どうしてほしかったのか
ぜんぜんわからない。
わかる人がいたら
ぜひおしえてほしい。



18日、部屋のカギが20日土曜の
夕方にはうけとれるということが
確定した。
これにより
20日土曜の引っ越しが決まった。



19日夜、友人宅をでた。
20日の朝までだっていていいよと
友人は言ってくれたが、
20日は彼女もいそがしいことを
聞いていたのでおいとました。
実家のすぐちかくにある
ビジネスホテルを一晩予約しておき
そこに泊まった。
ひさしぶりにテレビを観た。



20日朝、
迎えにきてくれた叔父と
実家におもむき、
引っ越し作業をおこなった。
引っ越し業者を頼まずに
叔父の軽トラックに
兄の力をかりて
荷物を積んだ。
15時30分ごろ出発した
カギをうけとるために
職場ちかくの不動産会社に
まず向かった。
ふつうなら30分くらいだとおもうが
道が混んでいて1時間くらい。
叔父がイライラしているところを
わたしが知る限り初めて見た。
不動産会社は繁華街にあり
自動車では入りにくい
不動産会社からあるいて
20分くらいのところに車をとめ、
そこから店にいき
カギをうけとって
また20分あるいて叔父の車の
ところまでもどる、という
ことをやった。
この徒歩の道のりで
繁華街からはよい加減に離れて
かつ、もっと不動産会社までの
アクセスが楽なパーキングは
いくつでも見つかることに気づいた。
だがわたしはふだん
車を運転しないから
そういうことに目がきかない。
この街も
勤務先があるというだけで
そう土地鑑があるわけでもない
叔父の軽トラックにはカーナビがない
不動産会社を中心に
近隣のパーキング検索、とかできない
しかも叔父はいらいらしていた
いろいろしょうがなかったとおもう
カギをうけとって叔父の車に戻るとき
ひどいにわか雨に降られた
ようやく車のところに到着すると
おまえは20分でもどるといったが
25分かかったと不平がとんできた
車でアパートにむかった
にわか雨がつづいていて
作業はたいへん難航した。
だがはやく終わらせたい
きもちがあったからか
30分くらいで
荷物の運び入れがおわった。
叔父はもうきょうは、というか
しばらくはおまえの顔は見たくない
といったようすをありありと見せて
帰っていった。
とうぜんだとおもった。
驚異的な忍耐力にあたまがさがった。
とか他人ごとみたいに
人に頼らないと
なにもできやしないくせに
わかったような口をきくところが
叔父からしてみたら
まったくかわいげのない
ムカツク姪なんだということに
もしかしたら叔父も今回
きづいたかもしれない。
叔父への返礼として
わたしにできることが
なにかあるとすれば
もう煩わさないことにつきる気がした。



これはまだあんまり
ちゃんと考えてはいなくて
的確なことをいっているという
自信はもちろんないが
わたしの母親は
叔父の実姉で
叔父にとってはたったひとりの
存命の肉親だ
わたしは自分の肉親といえる人に
たぶんあまり健全、または一般的な
愛情や感慨をもちあわせてないから
わからないのかもしれないが
叔父にしてみたらわたしの母親は
とてもだいじな存在なのかも。
叔父はわたしのことも
たいへんだいじにしてくれるが
それは姉の娘だからで
実の姉はほんとうになにか
べつのところで
たいせつにおもうものなのかもと。
わたしはその
彼の姉を苦しめた。
わたしはここに書いたことで
必要なことをぜんぶ言い切った
とはまったくおもわないが
でも彼の実の姉を苦しめたことで
叔父のことも苦しめたんだろうなと。

こんなふうにロボットみたいな
ものの言い方しかできないわたしは
母が言うように、きち○いなんだろう。
わたしはあたまがどうかしている。
こんなまともでちゃんとした
人間のもとで育ちながら
なぜこうなったのか
とか一応
口では言ってみるが
本音は
「たしかにそうかもしれないけど
なっちゃったものはしかたない」。


にわか雨がやんで
ひとりになった。
外にでて近所を散歩した。
2時間後くらいにもどって
床にふとんをしき、すぐにやすんだ。
睡眠導入剤は行方不明になっていた
のまずに朝までぐっすりねむった。