BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

別冊カドカワの欅坂46本-180830。

書店で「別冊カドカワ」の「欅坂46総力特集」を買った。

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https://www.kadokawa.co.jp/product/321803001674/

読んでみてつくづく思った

いったいなにが得たくて、
どんな気持ちになりたくて、
この本をわたしは読んだんだろうか笑

読むまえからわかりきってはいた。
「彼女たちはまだお若く、というかほとんど『子ども』に近い」
だから、
「ロングインタビューなんか読んでも、たいしたことなんて言ってるわけがない。『おっ』と思うような発言なんか出てくるわけがない」
ということを。
冠番組観てるのも
彼女たちにそういう
「手応え」みたいなものを期待してのことではないし
ただなんとなく
かわいらしいなあ、いい子だなあ、とか強いていえばそんなことをおもうだけだ

彼女たちはただのふつうのあの年齢の女の子なのだ。
おもしろいこというねこの子、とか
たまにおもう場合もあるが
それは欅坂じゃなくても
だれにでもそうおもう。

飛び抜けたなにかであるとはべつにおもってない。
そうなってほしいとねがってるわけでもない。

わかっていたし、
読んでもやっぱり
「思った通り」だった。

かといって
けっして、
彼女たちはかわいらしくて
きれいなだけの、
おつむのよわいアイドルだ、
と思ってるわけじゃない。
そうであってほしいとも
考えたことはない。


読んでもがっかりはしなかった。
「期待どおり、
やっぱり彼女たちは
な~んにも考えてなかった。」
などとも、おもわなかった。


読んでみて、いま、自分のきもちを言葉にしたときいちばんちかいのは

とくになにも感じない、だ笑

でもこの本がダメだともおもわない
なんで読んだのか、とすごくおもう笑

ただなんとなくの好意ではあるんだろうな
理由のない嫌悪ではない。


べつにグラビアが観たいわけでもないしなあ。


わからない。なんとなく
あ、欅坂だ、と。
まるまる一冊、欅坂だー、と。
それでなんとなく買っちゃった笑


自分にとっての欅坂46とは
なんなのかとおもうね


わたしの欅坂46のたのしみかたは
もしかして、かなり、なにかを
絶望的に
まちがっているんだろうか笑


わたしは自分は
欅坂46好きだとおもうけど笑
ほんとはべつに好きじゃないんだろうか、こんなになにも感じないなんて笑


けどまあ
菅井友香ちゃんが
「曲の世界観を大事にして、自分を追い込んで死ぬ気で表現するということを、今まで平手ちゃんが先頭に立って教えてきてくれたこと、大事にしてきたことなんだから・・・」
と語ってたのは、
多少、ぐっときたようなかんじはした。

これがもし
「(平手ちゃんが)大事にしてきたことなんだと思うから」
だったら、
平手ちゃんの姿をみて
菅井ちゃんが勝手にそう解釈した
という意味合いになるが

「大事にしてきたことなんだから」
だから、
菅井ちゃんが、なにかのおりに
平手ちゃんから
「そういうきもちでわたしはパフォーマンスをしている」
と、直接聞いたことになる。


平手ちゃん本人が
ほんとにそうおもってるか
わからないのに
「大事にしてきたことなんだから」
などと
断定的ないいかたにはならないだろう


だから
「あ、平手ちゃんてやっぱりそういうかんじのところにいる子なんだなあ」
とおもった。


グループのなかでも
いちばん年少ときいてるけど
とても早熟だなあといつもおもう。


最初は、プロデュースする側が
「あ、この子はなんか影があるから、それっぽい雰囲気をだせる」
と踏んだために、
そう仕立てあげられたときが
あったかもしれないが
本人にその資質と、多少なりと
「やってやる!」がなければ
ここまでだって続かなかったろう。


やらされてるじゃなくて
本人がわかったうえで
自分でやっている、
やろうとしている部分があると思う。

「そういう子に見えるように撮影とか工夫してそう見せている」
んじゃない。
平手ちゃんて、もう、やっぱり。


殻をやぶるスピードが
ふつうよりあきらかに早いし、
でもやっぱり17歳の
ふつうの女の子だしで、


だからあんなにいつも
見てて痛そうだし苦しそうだし
わたしも痛いし苦しいんだなあ。


それにしてもやはり
菅井ちゃんと平手ちゃんは
そのような話題で
語り合ったことがあるわけだ。
パフォーマンスとは、表現とは、
センターをやるとはどういうことか、
とかについて。

平手ちゃんがそれで
上記のような返答をしたならば
聞いた相手が相手なら
どん引きしてもおかしくないだろうな、
鼻白む人もいるかもしれない。


みんなのなかでひとりだけはやめに
ちがうところにきてしまったところを
大人に見つけられてしまった子は
それはそれで大変なものだ。


ほめられてうれしいけど
次またおなじことをやって
「できませんでした」
とはもう言いにくいし
やらないわけにいかないし
でも
やりたくないのにやってるわけではなく
内心ではやっぱりなにか
熱いものが駆り立てられたりも
確実にしてて
そうして
いったいなんのためなのか
誰のためなのかわからないが
走りつづけることになり、
そうしたらべつに心から
そうなりたいと望んだつもりもないのに
ほんとうになにかが目覚めてきて
いつのまにか自分なりの
「こういう気でやっていくんだ」という
意思のかけらみたいなものまで
うまれていくのだろうと。