BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

萩尾望都「ポーの一族 春の夢」(小学館)を読んだ-180831。

萩尾望都
ポーの一族 春の夢」
(小学館フラワーコミックススペシャル)

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https://www.shogakukan.co.jp/books/09139560#header

ずいぶんまえに
発売されたとき購入したきり
ちゃんと読んでなかった。
読んだ。

ブランカが思い出の歌を
歌うところと、
彼女がとおまきに、かつて憩った
家のようすをみつめるラストシーンが
ぞっとしたくらいよかった。

よくあのような表情が描けるものだ。
よっぽどの自信か、
ぜったいこうしたいのだ、
というきもちがなければ
とても描けないだろう。


ブランカ、は たぶん「白」の意味だろうから
彼女がああなることの暗示であったのかなあとおもった。


彼女のような思いをする必要も、あれほどつらいがまんをする必要も、子どもにはないのに、
背負わされてしまったことがほんとうにあわれだ。かわいそうなことをした。
あんな目にあった子どもひとりひとりのところにその場そのときにかけつけて
ぜんぶなかったことにして、最初にもどしてあげて、
頭をなでてやり、ごはんを食べさせて、お風呂にはいらせてあげて、ふとんで寝させて、手を繋いで、おうちの人が待っている彼らの故郷にひとりひとり送ってあげる力が
自分にあればよかったとおもう


ブランカの花のときはとてもみじかいが変化と起伏と色彩に富み、
つらくて、痛くて、切ないが、
まぶしいようにきらきらしている。


エドガーたちの時間は
美しいかもしれないが
凍りついていて、
なにも変わらない。
彼らはなんのために
生まれてきたのかと。
それがもんだいだ。
彼らはなんのために生まれてきたんだろうな。

「友だちでいたい、だから聞かないで」
手慣れた言い種が胸にせまる。


それにしてもわたしはアランがすきじゃないよ、ずっとまえから笑。
すきじゃないっていうか
だいっきらいだな笑


・・・



苦しいのもあるていど度をこすと、
もう本心なんて
人には話せなくなるもんなんだなと
このところ頻繁に実感する。
気を許して、受け入れてもらえなかったとすこしでも感じたときの自分の傷つきようを想像すると
それだけでとってもじゃないが耐えられないきもちになり、
ますます心を広げることができなくなっていくものだ。
相手にも相手のつごうとかがあり
そういちいちちょっとしたことで
傷つかれてもめんどくさいだろう
わたしもそれはほんとうによく
立場として理解できるとおもうのだが
いまはそういう
おたがいさまとか
どうせ他人どうしだからわからないどうしで当たり前とか
それがもう、そのおりこみずみの摩擦さえがまんすることができそうにない。


でもそれでも毎日の
生活を回していけないわけでは
けっしてない。
かんけいのないところであれば
いくらでも他人にやさしくできる。
なにを言われても大丈夫だ。
頭も手も調子よくうごく。
「めんどうなことを頼んでしまってごめんね」なんて
めんどうでもなんでもない。
こっちとしては造作もない。
むしろやらせてくれてありがとうといいたいし、まだまだいくらでもやれる。


まいにち、楽に死ぬ方法がないかなとかいっしょうけんめい考えているが
いっぽうで「来週は」とか先の話をしてる自分にそのときはぜんぜん疑問をかんじない。


なんだこれは、馬鹿じゃねえのかって
あとですごくおもって
しんそこ気持ち悪くなったり、
どうしようもなく
いらいらしたりする。


わたしも自分でも自分が
なんなのかまるでわからない。
子どもじみた欲求だが
言うことがゆるされるなら
おもうのは、
らくになりたい。
ということだ。