BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「恋とボルバキア」(2017)。

恋とボルバキア
(小野さやか監督、2017年、日本)
を観た。
ポレポレ東中野、12:30~

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映画『恋とボルバキア』公式サイト

 

よかった。
ダンケルク」の次くらいによかったな。
「井上魅夜」さんのエピソードを構成上の芯に据えた時点で 
この映画の「勝ち」が決定したものと 確信する。

※上映後に、本作監督と話す機会をえたのだが
彼女によれば、著名な映画監督に
本作をみせて助言をあおいだところ、
「井上魅夜の話は外したほうがよい」
と いわれたそうだ('_') 
な~んでそんなことを その映画監督は言われたのか。
失礼ながら わたしにはぜんぜんわからない。※

井上魅夜さんのエピソードは 
「してやられた」と なんか思わされたくらい
心をわしづかみに つかまれた。

ゆれうごき グラデーションを描き続ける 
人間の心、サガを あの人こそが象徴してた。

なぜ、してやられたと 感じたか
あとで よくよく考えてみたんだけれど、
わたしもけっきょく、自分の期待や はりつけたいラベルを
井上魅夜さんに押しつけて、観てたんだとおもう。
井上さんは、悩み多き「男の娘」たちにとっての 
頼れる姐御的な存在であり、
その界隈にしっかりと根を下ろしてずっと彼女たちを
支えていくのです・・・、というポジションなんだと。
ポジションというのはつまり本作にとっての、ということであり、
社会における井上さんの、ということでもあるんだけど。
勝手にそう思いながら観てたってことなんだよ。

けど、井上さんはそうじゃなかった。
わたしはその展開に 当初かなりびっくりしたんだけども、

いや、そうだった、人の心は変わるもんなんだったと。
そうだったそうだったと。

先にのべた、
「ゆれうごき グラデーションを描き続ける 
人間の心、サガを あの人こそが象徴してた。」
っていうのはそういうことなんだけど。

LGBT LGBTっていうけれど、
自分は体も心も男/女、って信じてうたがわない人でさえ、
そんなことはなにひとつ
「わからない」っていうのが
ほんとうのところなんだよ。
ゆらぐんだよ。
やっぱり人の性って人の数だけあるものみたいなんだよね。

井上魅夜さんは 性別どうこうじゃなくて
その人生の歩みというところで、
大きくゆらぎ ひるがえすさまを見せてくれていたんだけども、
あの人をみていたら、わかったんだよ。
人はゆらぐんだ、わからないもんなんだ、
だからこそ捕まりたいし、愛し愛されたいんだということを
この映画は言いたいんだ、と。

あと、女装を趣味とする50代くらいの男性も
ひとり登場していた。
彼はこの映画にでてくる人たちのなかで
まちがいなく最年長だった。
おもえば年長の人ほど、本作において言葉少なだった気がする。
若い人ほど悩みを吐露していたし、
迷っていることをあきらかにしていたとおもうな。

自分の迷いや弱さを秘することと あきらかにすることと
どちらが強いのかとかそういうのはわからない。
正直わたしには どの人も、とっても心が傷ついて
弱っているように見えたけどなあ・・・


また、本作は、
へたなフィクションの恋愛映画より
よほどひりつくような、迫力ある、
しかもなんというか・・・うん、いや、
「恋」がみられる映画だった。

わたしは 
かなわぬ恋というのは、
けっきょくのところ自分に 相手を振り向かせるだけの魅力が
なかった、それにつきるのであって
同性だからとか年齢がとかそういうのは
あまり関係がないとおもう。
その前提にたつからこそ
本作にでてくる人びとの 恋の苦しみ、胸の痛みがすごく
伝わってきた。
傷つきたくない
傷つけたくない
決定的なことを言って相手の逃げ場を奪いたくない
早晩 終わりだとわかっているけれど 認めたくない
言っても大丈夫そうなときだけ本当のことを言う卑怯さ
「結婚して、子どもがほしい」・・・
機先を制して相手の口を封じてしまうずるさ
「この指輪の意味は?」
「意味とかどうでも良くない?」
心から血が噴き出す瞬間
その他もろもろ。
そいつはどれもこれも、他人の眼から見たら
おろかなんだけれども、
でも それが恋なんだろうとおもう。